「ユースシナリオ」マガジンはじめます
前回の記事で「でざいんにとってのユースシナリオとは」というタイトルで、realisticとfictionalあるいはbeforeとafterという相反する性質を持つユースシナリオがこれからのデザイン活動の中で両方必要になってくるという話を書きました。
会社には色々な役割の人がいて、それぞれのチームの中で固有の用語によって活動をしています。その中で法規制や安全性に深く関わる部門では事実に基づくユースシナリオが中心にあり、一方でイノベーションやクリエイティブの部門では創造によるユースシナリオが意識されていて、全体を一つの活動として進めようとしたときに混乱が起きているということから書いた記事でした。
記事を書いた後で、混乱が起きるほどにそれぞれの活動の中でユースシナリオが重要な役割を話していると考えるようになりました。そこでもっと深くユースシナリオについて整理をしていくために「ユースシナリオ」についてのマガジンを作り少しずつ記事を書きながら自分自身の考えを整理してきますのでお付き合いください。
「ユースシナリオ」とは何か
まず考えなければならないのは「ユースシナリオ」の周辺にある言葉を並べて私の語感を共有しておく必要があります。
まず時間軸として大きいのは「ライフステージ」のような大きな人生の流れです。これは伝記的な小説ではシナリオとなりますが登場人物が使う何かが明確では無いため関係性を記述することができません。だた一生を過ごした家のユースシナリオとして書くのであれば家という商品のユースシナリオとして素晴らしいスケール感になります。(そんな家との関係を持ってみたいものです笑)
逆に短い時間軸としては「操作方法」はユースシナリオと言えるのかという問題があります。操作は何かを使うときにおこなう行為なのでユースシナリオの一部ではありますが、単にタスクの実行手段でありシナリオというには5W1Hの世界が狭すぎるように思います。ただ北方謙三氏のハードボイルド小説のように愛車のマニュアルミッションを操作する過程の中にあらゆる文脈を持ち込み世界との繋がりを持つのであればユースシナリオに成り得ると思います。(コンテキストデザインはこれに近いのかな?)
つまり「大き過ぎず小さ過ぎず」に、使うヒトと使われるモノ、外側にあるセカイとの関係性があり描かれているものを私は「ユースシナリオ」と考えているみたいです。
経験価値としてのストーリー
ユースシナリオは製品の裏側にあるものだとするならば、近年の経験価値としての体験ストーリーは商品に当たるものとして表側にくるものです。極端に言えば1日の旅行のハイライト部分をインスタにアップして見えてくるものが商品であり、その写真を撮るために移動したり段取りするのを含めたものがユースシナリオということになります。この辺りはゴチャゴチャにしないようにしなければなりません。
この辺りはドラマ撮影を例に考えると、俳優の一日の活動がユースシナリオであり放送されるものがストーリーです。厳密なドキュメントではその2つが一致しているものもあります。(実際はほとんど無い)
このように説明するとユースシナリオの一部を切り出したものがストーリーに思えますが、ユーザーから見たストーリーはより世界の見え方に近いものでユースシナリオに出てくる現実の作業はストーリーを具現化するためのノイズのようなものだと考えることもできます。
感情と概念モデルとナラティブ
ユースシナリオの主語は「人間(ユーザー)」と言って良いと思います。これは人間中心設計プロセスやUXの考え方から来ています。
人間を機器を操作する装置として考える場合にはヒトとモノはインタラクションとして対等ですが、人間には思考や感情がありユースシナリオを体験する主体としての「ナラティブ」があります。
デザインの中ではペルソナ手法の一部として扱うことでユースシナリオと別次元で扱うことが多いので実質的には独立したものとして認識されています。ナラティブは自己視点からの世界やユースシナリオへの認識や解釈、意味付けを生み出す内なるストーリーで、上記のドラマの例と同じように必ずしも現実と一致しているものではありません。
タスク分析のようにユーザーをペルソナレベルに記述せず役割名として扱うというのはナラティブの不確定性を排除する手法であり、逆にジャーニーマップのようにユーザーの感情を併記することで出来事に対するナラティブを行為の主体として考える手法と考えることができます。
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今回は、ユースシナリオの定義として周辺にあるシナリオのようなものとの対比によって今後の考察の整理をおこないました。「構造化シナリオ」をベースにしながら一度分解し再構築できれば面白そうです。