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余白を意識するUXプロトタイピング

プロトタイピング活動の中で常に議論になり、時に対立するのが最終製品に対する「忠実度」の問題です。

開発前半でペーパープロトのような忠実度の低いもので正しいUX評価ができるのか? 十分に設計や議論をする前にプロトを作る意味はあるのか? など主に設計検証のための試作を作ってきた人たちから意見が聞かれます。

また開発後半になれば自然と忠実度は上がって来ますが、その時でもディテールや性能の評価にならずにシステム全体の提供価値を見ることができるかという問題もあります。機能は完成したけど最終的に役に立たない製品を作らないためにも常にユーザーが実行可能で目的を達成できるかを評価しつづける必要がありますが、モノが出来てくるとモノを中心にした議論が多くなってしまうのをどのように防ぐのか大きな問題です。

この様に、プロトタイプの忠実度によって人の意識は影響を受けます。つまり意図的に忠実度を使い分けることで最適なプロトタイピングが実施できるのです。


余白をチームで補う

製品とプロトの差を不足ではなく「余白」と呼びますが、その余白はそのまま放置しておくとチーム内での認識のズレになってしまいます。しかし逆にその余白を意識的に共有し補う活動ができれば余白が無い時よりもプロトに対する認識の解像度が上がります。

先に書いた、モノが出来てくるとモノの議論が多くなってしまうのであれば、忠実度の低い、余白の多いプロトを使うことでUXの本質部分についてより意識を向けやすいと言うのが私の仮説です。

初期の段階で早く(速く)作るために、仕方なく忠実度の低いクイック&ダーティーなプロトを作ると考えられていますが、そのことが結果的にUXデザインに最適なコミュニケーションに繋がっていたということです。

余白があると改善しやすい

自分が作ったものであれ他人が作ったものであれ、時間と手間を掛けたものを否定したり壊したりするのは嫌なものです。プロトタイピングの目的はアイデアを体験可能なカタチにして評価してみることですが、その時に大事なのが現状を否定して改善案を出していくことです。忠実度が低い完成前ということが明らかであれば色々な意見が出やすくなります。

最近気づいたのですが、デザイナーが使うPost-Itの使い方が、アイデア出しからユーザー観察に対する気付き出しに変わってきていることです。もちろんそれはUXデザインにとって良いことで、アイデア出しはPost-Itからプロトタイピングに変わってきているということもできます。

むかしは「アイデアを100個出す」といってサムケールスケッチを描いていましたが、それと同じかそれ以上の展開をプロトタイピングでおこなうためには、スピードと共に余白による展開性も大切な要素なのだと思います。

さまざまなプロトタイピングツールが登場し、短時間に完成度の高いプロトタイプが作れるようになり、作る側も見る側もそれに満足してしまい、大きな改善のアイデアが出にくくなっているのだとすれば大きな問題です。


余白をバカにしない企業文化をつくる

時間とお金をかけてしっかりしたものを作るマインドセットはどこからくるのでしょうか。50年100年と続く大企業では、たくさんの人が働き、長い時間を掛けてそのような人を評価し、出世させてきたはずです。

ラフで精度も低く手作り感満載のものと、業者を使い作り込んだものが同じ会議に出てきたときに、その完成度に関係なく提案の本質を評価できるのが理想ですが、作り込まれたものが選ばれることが多ければ、長い時間の中で作り込みに時間を掛けるようになってしまいます。

会議で作り込まれたモノばかりを手に取ったり、もっと最悪なのが、ラフなものを持ち込んだ人に対してアイデアの話をするのではなく「仕事とは丁寧にやるものだ」と人格否定するような上司がいれば、もうだれも初期のアイデアを共有しようとはしなくなります。

「雑に作ることの難しさ」についてはこちらの書籍が参考になると思います。東京工業大学の「エンジニアリングデザインコース」のカリキュラムや背景にあるマインドセットについて書かれたとても面白い内容です。エンジニアの人が読むだけでなく、デザイナーの人がエンジニアと一緒にプロジェクトを進めるときの参考としても読むことができます。

東工大をはじめ多くの大学でプロトタイピング教育がおこなわれ、ここから社会全体のマインドセットが変わることを期待しています。それによって企業側でも優秀な人材を獲得する為には忠実度の低い雑な作業を評価するようになるはずです。



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