なぜもう一度撮りにいってしまうのか。
高価なレンズを買い、朝早く出かけていく。
写真を趣味にしている人にとっては不思議でもなんでもないことですが、
そもそも何のために撮っているのか時々分からなくなる。
私にとって撮影することは、仕事では無いし、好きな被写体がある訳でもない。
だから、上手く撮れなかったからといって、もう一度行く必要もないのに、今日もカメラを持って出掛ける。
生きている証を残したいとか、自分を表現したいとか、そんな野望がある訳でもない。
ただ自分が一度作ってしまったイメージを、撮らずにはいられない。
「撮影家」として、自分自身に撮れるということを証明したいだけなのだ。
木の実が鮮やかなうちにもう一度チャレンジするために2日連続で撮影にいってしまった。
「撮り直す」ということ ~撮影サイクルを回す~
記録的・記念的な意味で撮影する場合は、被写体がきちんと写っていればそれで終了ですが、
被写体の表情や状態にこだわったり、画像としての表現や作画にこだわりだすと、撮影は途端に難しいものになります。
条件が厳しければ、失敗も多くなりますし、もしかしたら一生撮れないことだってあります。
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デジタルカメラの登場で「撮り直す」ということが、誰でもできるようになりました。
①モニタで撮影設定の効果が分かり作画しやすい (誰でも作画できる)
②モニタで直ぐに撮影した画像を確認できる (失敗に気付く、不満を持つ)
③フィルム代を気にしなくても何枚でも撮影できる (無限に撮れる)
この撮り直しという行為を「撮影サイクルを回す」と呼びます。
「撮影サイクル」は、その場での撮り直しだけでなく、
撮影前にモニタでフレーミングや設定を調整する小さなものから、毎年同じテーマで再撮影したり、昔撮った写真と同じものを何年も後にもう一度撮影する大きなものまで、全てを含めたい意味で使っています。
それら全てをデジタル技術、デジタルサービスによって回していくことで、写真の価値を上げ、撮影機会が増大していくという戦略を表すものです。
古い資料ですが、カメラがデジタルになることで発生する情報の流れを書き出したものです。
デジカメビジネスは、撮影サイクルの中で人々を幸せにすることです。
サイクルが回り続けるようにシステムやUIアーキテクチャを設計しなければなりません。
サイクルを回すことがストレスになったり、無意味なものに感じたりしないように、ユーザーの居場所を作っていくことです。
その所属感こそがブランドです。 モノの品質や性能でブランドを作ることはできない時代です。
お金の経済を回すことと同じくらい、撮影を回すことも難しいことですが、とても大切なものなのです。