【2000字小説】自殺戦争
私の記憶が正しければ、2020年に起きた出来事だった。
ある日、匿名掲示板の4ちゃんねるにこんな文章が乗った。
「あのシンガーソングライターの、美咲って人。ボイトレとか受ければもっと上手くなると思うんだけどな。」[ハンドルネーム:KERA ID:0406]
ボイトレとは、「ボイストレーニング」の略で、その人の声質とかを改善する、トレーニングのこと。
この発言に、多くの人が注目した。
この意見に対する賛否両論が巻き起こっていた。
「確かに!あの子がボイトレ受けたら同じ時期にデビューしたOTIES抜くかもね!!」
「いや、ボイトレよりもピッチの調整が必要だと思うよ!」
最初はこのような穏やかな意見ばかりだった。
だが、だんだんと風向きは変わっていった。
「ボイトレも受けずにシンガーやるとかww」
「ボイトレしたってあれは変わらんww」
「OTIESは比べるまでもないw」
そして、このことを多くの人が、"別の場所で" 取り上げていった。
Twoterや、Inoragram、TokTukなど。
そうして取り上げられた情報は、「"シンガーソングライターの美咲はボイトレしていないから下手ww" ということが4ちゃんねるで書かれた」
そんな情報だった。
それを鵜呑みにした他の場所の人々は、
「そんなことを書くなんて。書いた人は誰なの??」
「最初に投稿したのはハンドルネーム KERA で ID は 0406 だな!」
「KERA の個人情報特定するぞ!!」
「KERA は人の心を傷つけるということがどれだけ悪いことか、分かっていない!!」
「今から俺たちでそれを分からせてやる...!」
そうやってKERAの個人情報を特定し、家に押しかけたり、迷惑電話を掛けたり、職場に悪口を送りつけたりしたのだ。
そうやって社会で殺されたKERAは、とうとう自宅マンションの屋上から飛び降りて"現実でも" 自殺してしまった。
そして、今度はKERAの個人情報を特定した人を、非難する声が集まった。
「すぐ個人情報特定するなんて!!」
「最低だ!!!犯罪者だ!!!」
「犯罪者は懲らしめるべきだ!!!」
ここで一旦、冒頭に戻って欲しい。
KERAが書き込んだのは、「あのシンガーソングライターの、美咲って人。ボイトレとか受ければもっと上手くなると思うんだけどな。」という文章だった。
KERAはどんなことを思ってこの文章を書き込んだのか。
それは本人にしか分からないが、明確な悪意があったといえるだろうか。
その頃にはもう、何もかもが狂っていた。
戦争が起こっていた。
普通の戦争とはちょっと違う、でも多くの人が死ぬ戦争。
結局、多数の死者をもたらしたこの戦争は、数年間続き、"自殺戦争" や、"ネット戦争" "遠隔戦争"などと呼ばれ、多くの人の記憶に刻まれることとなった。
結局、この戦争は、「ネット回線の断絶」という政府の政策により終結した。
今、この小説を読んでくれているのは、2020年の人間だろう。
どうか、未来を変えてはくれないか?
ネット回線が断絶した今、世界はとても不便だ。
大陸から離れた孤島の日本は、船に乗って海を渡らなければ、外国にいる人に手紙を書くこともできない。
私はかつて、研究者だった。
コンピュータやインターネットを使って、世界をよりよくしたいと思っていた。
だが今、世界は真逆だ。
2020年に戻りたい。そう思っている。
その為にも、どうか、君たちの力で、未来を変えてほしい。
"偽善だ"
そんなことを言われるかもしれない。
だが、偽善でも、何も行動を起こさないよりいいのではないか。
批判した人に対して、正義感から総攻撃をしかける。
その総攻撃だって、言葉の刃なのだ。
ある人を、言葉の刃で刺した。
それを見ていた野次馬が、その刺した人を今度は10本の言葉の刃で刺す。
その野次馬10人に対して、100本の言葉の刃で刺す。
”正義”
一体何が正義で、何が悪なのか。
それを見失ってしまうことは、正義に対する一番の冒涜だ。
正当防衛が適用されるのは、その被害を受けた人のみだ。
他の野次馬は、私人逮捕しかできないのだよ。
誰かを攻撃する。自分の正義のため。
その正義は、本当に必要な正義なのか。
一度考えてみてほしい。
これは、"自殺戦争"を止めるための、未来からのメッセージだ。
言葉は、変幻自在なものだ。
小説家が心安らぐ小説を書けば、その言葉は"薬"になる。
人が誰かの悪口を言えば、その言葉は"刃"になる。
悪口を、違う観点からみてアドバイスに変えれば、その言葉は"刃"から"ごはん"に変わる。
どうか、言霊の持つ力は強大だ、ということを、覚えていてほしい。
そして、この"自殺戦争"を止めてくれ。
よろしく、頼んだぞ。
2000字小説
――― 作者:樋口 今宵