メジロマックイーン降着事件の真相とは?
1990年から1993年にかけてターフの名優として輝いたメジロマックイーン。その馬は1回だけしか掲示版を外したことがないまさにターフの絶対王者といっても過言ではない。その1回だけ掲示版を外したのは1位入線したものの降着した天皇賞秋だけなのだから実質的にはほぼないのだ。今回はそんなマックイーンが降着したのはなぜなのかということについて解説していこうと思う。
G1で1位入線降着になったのはマックイーン含めて4回ある。ブエナビスタ、カワカミプリンセス、クリノガウディーの4頭だ。個人的な考えだが正直どれも微妙で降着なんかという感じではある。そこはJRAの裁決委員が知る世界なのだろう。
マックイーンが降着の対象になったのはよく降着の対象となる最後の直線でなく、最初の直線であった。最初の直線で降着の対象になるのは現代から見ても珍しくあまりないといってよい。天皇賞秋東京2000m、マックイーンが先行力を生かし、10番プレクラスニーの前に立つ。しかしプレクラスニーもインに寄ってしまった結果、メイショウビトリア、プレジデントシチー、メジロマーシャスの進路を妨害。この結果本田優が乗っていたプレジデントシチーが危うく落下しそうになりレースも散々な結果になってしまった。
レースはマックイーンの圧勝だったが、ここでマックイーンの快勝に酔う中で騎手への事情聴取が始まっていた。まず大きな被害を受けた本田優騎手は「2コーナーで両側から挟まれて行き場がなくなり落馬しそうになった。」これについてはメイショウビトリア岡部騎手も同じような見解を述べた。プレクラスニー騎乗の江田騎手は「外から寄られたので大声を出した」と発言。(競馬では声を出して進路を確保したりすることが多いのだ)武豊騎手は「完全に抜け出して十分な間隔が取れたと思い、内に入った。」と発言。長い審議のうえ、メジロマックイーン最下位降着が決まり、武豊は不満そうな顔をし、降着のうえ勝った江田は申し訳なさそうな顔をしてインタビューを受けていた。江田照男騎手は大穴を持ってくることで有名だが、この降着でGI初騎乗・初勝利を達成した。持っている男である。
しかし現代から見るとどうもマックイーンの降着は怪しいように見えるが、こうなってしまった要因には大きく2つあると思っている。1つは降着制度が導入された最初の年であったため(平成3年から導入)オーバーに取られてしまった可能性があること。2つ目はコースの問題もある。東京2000mはめちゃくちゃ外枠が不利なのである。最初の直線に入る時に、スタート直後にカーブがあるため外枠の逃げ馬はかなり不利になるといえよう。13番マックイーンは逃げ先行型でもあったことから、外枠から逃げるのは少々不利であったというのはまぎれもない事実であった。
しかしあれだけのぶっちぎって起きながら最下位とはいやはや納得のいかないものだ。メジロにとって天皇賞は重要なものであり、メジロ陣営にも大きなショックを受けたらしい。「納得出来ない裁決には訴訟も辞さない。JCや有馬記念にマックイーンを出走させない」と言うほどオーナーサイドは怒り心頭だったらしい。結局、訴訟うんぬんは撤回され、ファンの要望に応えてJCと有馬記念に出走したが結果はJC4着、有馬記念にいたってはなんとびっくりダイユウサク!とまさかの黒星を喫した。この降着はウマ娘プリティーダービーでも語られていたが、詳細についてはよくわからないという感じの人が多かっただろうが、これがマックイーンの降着の真実であるといっても過言ではない。JRAの裁決はやはり外部団体が関わっていないのと社台への忖度ではと、たまに言われることも多い。この裁決が良いのか悪いのかは正直自分でもよくわからない。みなさんはどう思うでしょうか。感想などあればコメントしてくださると助かります。ぜひ駄文ではありますがスキもしてくださると幸いです。
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