「なぜ勉強しなきゃいけないの?」に、しっくりきた回答

先日、こんな記事を書きました。転職するつもりがなくても、身につけておくとよいキャリア観をまとめました。

いざ書いてみると、学生へのキャリア教育ってどうなっているのかが気になって、いま読み進めているのがこちらの本です。

いま半分程度まで読み進めたところなのですが、学校で勉強をする意義や意味について書かれたパートで深く腑に落ちた一節がありました。

子供の「手持ちの度量衡」では、学校の学びが「どんな価値を持つのか計算できない」からこそ、君たちの度量衡では捉えきれない価値があるんだよ、ということを伝える必要があるのだと思うのです。
p.106

学生からの「なんで勉強しなきゃならないの?」という質問はよくある話です。

私はどちらかと言えば勉強は真面目にしてきた部類で、学校の勉強をしてきてよかったと思っているのですが、このよくある質問に対しては「まさしくこれだ!」と思える回答がなかなか思い浮かばずにいました。(べつに誰から質問を受ける立場ではないですが)

例えば、子供の目線でわかるように身近な例を取り上げて、こんな場面で学校での知識は活かされているんだと、伝えることはできます。一方で、身近な例に当てはまらないものは学問として無価値かというとそんなことはありません。

そこで、私が考えていたのは「学びを価値あるものにできるかは結局自分次第でしょ」という、間違ってはないけど十分ではないような回答でした。

そんな中で、引用箇所を読んでしっくりきました。

学ぶ価値なんて、もともと身近な例で説明しきれるわけないですよね。説明しきれなくても当然です。(説明する姿勢や努力は要るにせよ)
だから、「今は100%理解できなくても、きっとゆくゆく価値がわかるのだろうな」と学生に信じてもらえさえすれば、質問への回答としては十分なのだろうと思えました。

なんでも、意味だとか、役に立つだとかだけで物事を測ると、味気ないものになります。

例えば趣味なんて、他人からすればなんの役にも立たないように見えるかもしれないですが、でも当人の人生を豊かにしてるならそれでいいですよね。

意味がよくわからないということに対しては、ふつうは意味を教えるというソリューションが第一に選択されます。
しかしその他の選択肢として、ただよくわからないものとして受け取ることもアリなのだなと思ったのでした。

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