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統合失調症のVtuberはみんなとお話しがしたい

私の夢。
それは、みんなとお話しをすることだ。

「話す」ことのハードルがとても高い

私は統合失調症である。
これにアイデンティティを見いだしている訳ではないが、今の私の大元を構成している要素である。
この要素を無視して私を語ることはできない。

統合失調症は忘却する

統合失調症の症状は人それぞれらしい。
例えばどんな妄想や幻聴が聞こえるか(統合失調症は幻聴や妄想をしてしまうことがあるのだ)は人それぞれだし、認知の歪みも同様らしい。

私の場合、幻聴や妄想は少なかった。
その代わりに、人の顔や名前、物事を覚えられなくなった。

今でも忘れられない。
正社員時代、休職から復帰した私に向けられた、上司の一言。

「ヤシロさん、覚えてない?」

私はそのとき、沈黙するしかなかった。
頭の中はがらんどうで、それでいてモヤがかかっていた。
何もない。業務上必要な知識も決まりも暗黙のルールも名前も何もかも、私の頭の中から飛んでいってしまった後だった。

私は休職復帰後、一か月ももたずに再休職。
そのまま正社員の地位を手放した。

忘却の日々は今だに続いている

病歴が箔をつけた現在も、物忘れの日々が続いている。
配信をしたとする。
好きなゲームで、好きなキャラクターを見つけたとする。

「次の配信で、あのキャラについて熱く話そう!」

こう思い、ベッドに入る。
次の日。

忘れている。好きなキャラクターの名前はおぼろげ、キャラクターの個性はさっぱりわからない、どのシーンが良かったかなど全くさっぱりがらんどう。

ぶっちゃけ、辛いです。

Vtuberになったからには話したい

そんな物忘れの権化の私だが、Vtuberを始めた。
Vtuberになった理由は「なんか話したい」という、すごくどうでもいいもので。
最初はREALITYというアプリから始まり、ツイキャスやら色んなアプリをウロウロした。

そんな私が手を出したのが、Vtuberという姿だ。

Vtuberはいい。
自分の好きな姿で、自分の好きな配信ができる。自分の好きなことを、好きなだけ。

私は、そんなVtuberに憧れた。
自分のことを、好きなだけ話したかった。
好きなゲームの操作方法を覚えて、よくきてくれるリスナーさんのことを覚えて、Youtubeのアルゴリズムをなんとなく覚えた。

少しずつ、私の中身を埋められてきている気がする。
Vtuberという在り方は、私の「好き」を集める手段になってくれている。

私は、自分の「好き」を世界に向けて話したい。
「好きなこと」を叫んで、囁いて、ときには悶絶しながらうめきたい。

私のかなえたい夢は、「好き」を語るVtuberになることです。
そりゃチャンネル登録者や同時接続者は多いほうが良いけれど、あまりこだわらないようにしている。
(でもチャンネル登録や高評価は嬉しいです。いつもありがとう)
大事なのは、配信の向こうにリスナーさんが一人でもいてくれること。

「チャンネル登録お願いします!」

こんな私ですが、よかったら配信見てってください。
好きなことについて話してます。
必死で話してます。
よろしくお願いします。

「それじゃあ今日もお疲れ様でした!」


#かなえたい夢

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