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子供部屋おじさんと46歳の花嫁

“マッチングありがとうございます。それでは、12月28日などはいかがでしょうか”

2021年12月23日、はじめましてのメッセージがこれだった。社交辞令や探りを入れることなく、いきなりのアポ。聞きたいことは山ほどあるし、向こうだってあるだろう。この40半ばの独身女性を警戒しないわけがない。だから、おもしろい。あえてこちらも何も聞かないで当日を迎えてみようじゃないか。

“はい、12月28日なら大丈夫です! 場所はどちらがいいですか?”

クリスマス目前の浮ついた空気が漂う頃、仕事の予定でも入れるようにサクサクと必要最低限のやりとりを終え、その日を待った。


2時間だけなら誰とでも楽しい


時はコロナ禍。緊急事態宣言だって、最初は楽しかった。ステイホームの大義名分のもと、家に閉じこもり、家庭内LAN環境を整備したり、憧れだったパン作りに手を出してみたり、一世風靡したけど忙しくて見られなかった名作アニメやマンガを最初っから見たり。しかしやがて、それにも物足りなさを感じてきた。自分で調達するエンタメは、やっぱり“自分”っぽくて、意外性がない。

パンデミックだなんて映画でしか聞いたことのない非日常を突きつけられ、正体不明の呪いのような恐怖に世間は縮み上がり、家族以外と会うなんてのは命知らずの輩がやることで、一般常識を備えた大人であれば、自粛すべきだった。
しかしそれは、家族があるものの話だろうと思う。呪いを持ち帰り、感染させてしまう弱き者と生きている人の話だ。我が家にはかつて鋭い眼光が魅力的な老猫がいたが、虹の橋を渡っていまはひとり。(詳しくは当時連載していたエッセイを読んで欲しい)失うものなんてないのだ。

他人から、しかも個人的な関係性からしか得られない「おもしろさ」がある。まぁ会話ってやつだ。しかし世は友だちを食事に誘うことさえはばかられる空気。ええい、このさい知らない人でもいいのに。なかよしと交わす深い会話は最高だが、同じくらい初対面の話は知らないことだらけでおもしろいことを知っている。ライターという職業を通じてたくさんの話を聞いてきた。ご飯を食べる2時間くらいなら、誰とだって楽しく過ごせる。

そうだ、マッチングアプリはどうだろう。これは出会いが目的だから、これを使う人は基本的に人に会いたいはず。「人に会う」意向があるかを確かめる必要がない! いいじゃん、これで!

マッチングアプリに賭けてはいけない


マチアプを使うのは、初めてじゃない。40歳の大台に乗る前に、できることはないかと39歳のとき「婚活ウェンズデー」と宣言して恋人探しをしていたことがある。

これまでそれなりに恋愛はしてきたが、どうも結婚に夢が描けず、相手が変わってもパートナーとの未来が想像できず、仕事や遊びに邁進してここまで来てしまった。好きではない人に好かれるのは苦手だし、安に性的な関係になるのも面倒で、最後の彼氏から「無事故無違反」で5年が経った頃だった。「女」を売るなら、39歳が最後かもしれない。映画「セックス・アンド・ザ・シティ」でも40歳で結婚するキャリーは「ラスト・シングルガール」って呼ばれていたし。ありのままで過ごし、こうやってシングル街道突き進んできてしまったのだから、いまのままではダメだ。なにか決めないと。

それが先の宣言だ。毎日恋愛脳を起動するのは難しいけれど、週に1回くらいならできる。初対面のある飲み会に参加したり、マッチングアプリのアポを入れ、水曜日だけは「初めまして」を重ねることにした。集中が大切だと思って、3ヶ月の期間限定で。

で、どうだったかというと、いろいろありはしたが、結果としてシングル街道の無事故無違反記録は更新し続け44歳になり、マッチングアプリに賭けてはいけない、という教訓を得た。

ただ、人と会うには手っ取り早い。そりゃ、誰かいい人に会えたらそれに越したことはないので、登録内容は誠実にしたし、思い切っていろいろなところに登録してみた。一般的な恋人探しから、結婚への本気度が高いもの、ワンフリックでいっときの相手を探すもの、女性が有料で男性を指名するものなどなど。わたしがもっと仕事の鬼でゴリゴリ稼いでいれば見える景色は違ったのだろうが、法人化したとはいえ一人親方はフリーターと大差ない。赤字すれすれ会社の代表取締役独身女性では、若い燕など飼えないのだ。

出会った人たちのことをふり返ってみた。後腐れのない関係を求める人は逆に「まとも」で、実年齢と成熟度が合っていないやんちゃな人、本来の自分より大きく見せてつかの間の優越感を得たい人、既婚者の身分を隠し不倫するでもなく、ただ恋愛市場で自分が評価されるのか知りたいだけの人、婚活市場弱者の女を相手に社会で満たされない自分を大切に扱ってくれることを期待する人。まぁつまり、わたしを含めたみんながすねに傷を持ち、初対面の相手としては申し分なくおもしろかった。しかし、2度、3度とがんばらずに会いたいと思える人は一握りしかいなかった。

会える、会えるぞ……!?


これまでのマチアプ初対面所作で、自分がどんなふうに値踏みされるのか、知っている。40代半ば、高卒、自営業とくれば、もう会う前から婚活市場弱者指定だ。待ち合わせ場所で初めましてと声をかけるが否や、こちらの顔を確認するなり独特の安堵の表情を浮かべる。「お前に時間を作ってやった寛大なオレ」といった面持ちの人までいる。そういう人たちには妙な共通点があって、食事が進みお酒が回り始めた頃合いを見て名刺を渡すとその様子が一変する。経済的・社会的立ち位置が変わらなくても、肩書きに「ライター」があるだけでみんな一様に座り直す。目の前の女がものを考え、それを発信することができることを知ると、急に社会的な笑顔を貼り付けて「へぇ、文章書くんだ」といい、たいがいはお行儀が良くなる。人を上下に仕分けしたがる人たちは、自分が分けられるのが怖いのだろう。個人情報を開示してしまうことで身を守れることがあるんだな。それからわたしは初対面でも、少し話してすぐに名刺を渡すようにしていた。

彼との初対面の印象は、マチアプのプロフィールと変わりないな、だった。中肉中背、猫背、目は合わせてくれるが、声は小さい。事前のDMをほとんど交わさない大胆なやり方は、自信家だろうと思っていた。自分を立ててくれる人を望まれているとめんどくさいなと思い、プロフで身長差が3センチ程度ということを把握していたので、あえて7センヒールのブーツを履いて彼の前に現れてみた。

話してみた印象は、やはり自信家だ。それはいい意味で、卑屈じゃないということ。会話にちりばめられるわたしのエピソードトークは、この年まで自由気ままに過ごして来られただけあって少し特殊で、相手によって自慢などととられることだってある。だが、彼は色眼鏡なく反応し、過剰に讃えることもなく、非常に話しやすかったし、名刺を渡しても何も変わらなかった。人によっては“書かれそうで怖い”なんていうんですよ、というと「書いても良いですよ」といってくれた。

年が明け、また会う約束をした。
初対面から2週間後、成人の日に、磯丸水産で会った。正月の過ごし方や、いまやりとしているマチアプの他の人との進捗を共有した。

次に会ったのはさらに翌週の1月16日の日曜日だ。
夜ばかり続いていたから昼会ってみようということになり、秋葉原を案内してもらうことにした。彼はラブライブが好きで、秋葉原に詳しいという。ヨドバシのカレー屋さんでランチをして、神田明神を案内してもらったあと、いつも彼が行くアキバお買い物コースを辿ってもらったら、いきなり成人タペストリー売り場に連れて行かれて憤慨した。(これを「秋葉原エロタペストリー事件」と呼ぶ)

一週間空けて、1月29日土曜日、新宿紀伊國屋の前で待ち合わせをした。彼は先に着いていたので2階で本を物色していた。わたしとは1階につながるエスカレーター下で待ち合わせることにした。そこには他の人がいたので、エスカレーターから少し離れたところで彼を待つと、廊下の奥から彼がやってくるのが見えた。一直線にエスカレーターの下にいる他の人へ声をかけようとしていて、慌てて声をかけた。ちょっとまって、わたしの顔をまだ覚えてないの? いや、秋葉原エロタペストリー事件が象徴するように、どうやら彼は極端に周りが見えていないようだ。まぁすねに傷を持つ類友ということで、そんなに責める気にもなれない。彼の傷はそういう形なのだ。フレッシュネスバーガーでランチをして、新宿御苑を散歩した。

思うところがないわけではないが、気がつけば1月はほぼ毎週会っていた。
うーん、毎週会っていても疲れないな。まだ会える、会えるぞ?

心根ダイヤモンド

彼と出会って6回目のデート。2月11日は浜松町のダイアログ・イン・サイレンスへ行った。そこは身体能力を制限した体験型アートで、「サイレンス」は聴覚情報を遮断する。内容はシークレットで何を行うのかまったく分からない。案内の方に、体験が始まったら発声はもちろん、極力音をたてないよういわれた。それにうなずいて、防音イヤーマフをつけて室内へ入る。

その回の参加者はわたしと彼の2人だけ。聴覚障害のあるガイドさんが手話は使わず、ジェスチャーだけで簡単なミニゲームを説明してくれるので、それを察して3人で遊ぶ、というものだった。
わたしは表情が豊かで察しが良いので、わたしの質問はすぐに通じるし、ガイドさんがいわんとしていることがすぐ分かった。たとえば、指さして「指名」されるとその人は片手で数をカウントアップし、次の人を指名する。最初の人(ガイドさん)は一人目なので、人差し指で1を示し、わたしを指さす。わたしはそれを受け、ピースサインで2を表し、彼を指さす。ところが彼はそれがさっぱり分からず、一緒にピースサインをした。それでガイドさんが仕切り直して1を示し、わたしを指さすと、わたしは2を出してガイドさんを指してみた。するとガイドさんは3を示し、わたしはそれに拍手のポーズをする(音はたてられないから)。「ほら、3、3ですよ」という感じで指を見せると彼もわたしにつられてその「3」を示すガイドさんに拍手をした。それで一息置いて、ガイドさんが彼を指さすと、彼は再びピースした。

流れを組むことが極端に苦手なのだ。体験が進む度、ルールは少しずつ難しくなっていくけれど、彼は終始その調子だった。わたしは、ふしぎと彼が何が分からないのか手に取るように分かった。たぶん、ルールがシンプルすぎてルールと認識できてないのだ。そのわからなさが新鮮で、わたしはずっと笑っていたのだけれど、彼は笑うわたしに怒ることなく、戸惑いながらも終始一緒に和やかに過ごしていた。

アトラクションを終え、近くの台湾料理屋に入った。ビールとつまみを3.4品頼み、今日の体験がどうだったのか彼に聞くと「楽しかった」といった。続けて「なにがなんだかさっぱり分からなかったけど」といった。わたしが笑い転げていた件について、腹が立たなかったのかと聞くと、バカにして笑っているわけじゃないことは分かるので、楽しそうで良かった、といった。奇跡かよ、と思った。なにかが「できない」「分からない」のは、単なる事実であって罪ではない。それでも、自分のできなさを恥じたり、悲しんだり、怒ったりするのが当然だと思うけれど、それは自分や、他人から見た自分に「こうあるべき」を望むからであって、人の態度を通して自分を測ったりしない彼の心根の美しさにおどろいた。

わたしが、彼と話しやすかったのはこのおかげだ。濁りがなく、ぴかぴかに輝いて、強く硬い。まるで心根がダイヤモンドでできているみたいだ。少なくとも、この人は不機嫌で人をコントロールしたりはしないし、わたしを沼地へ引きずり込みたいとは考えないだろう。わたしのスイッチが入った。

そして、次の事件はこの直後に起きた。

誤いいね事件

マチアプで人に会いすぎたわたしは、そのとき見聞きした話で相手のSNSアカウントを見つけ出せるという特技を持っており、彼のSNSも実はこっそりチェックしていた。彼の投稿は仕事の愚痴から下ネタにいたるまで、日々の思いつきをつらつらとつぶやくという一般的なものだったけれど、わたしと会ったあとに多少の感想のようなものはつぶやくが、悪口を書くとか評価するような発言は一切なく、それも好印象だった。

その日は友だちと伊豆高原へいくため、特急踊り子号に乗っていた。お気に入りののり弁を食べ終わり、電車は熱海を過ぎて風景は一気に旅情を高めていった。停車駅のホームを歩いていた学生さんが着ていたスウェットの模様が七福神に見えて(実際はメキシコレスラーのマスクだった)渋い渋いと騒いでいたんだけれど、逆に七福神だったらオシャレじゃない!? みたいなどうでもいい話で大笑いしてるときだった。わたしのiPhoneに通知がきた。なんと、わたしの投稿に彼から「いいね」がきたのだ。ファ!?

彼は当然わたしのアカウントを知っている。初めて会ったときに名刺を渡しているからだ。肩書きだけでなく、SNSアカウントも載せているので彼がそれを見る可能性はもちろんある。(見ている、とはいわれていなかったけど)でも、それと「いいね」をもらうのとでは話は別だ。こっそり彼のアカウントをチェックしていることを「知ってるぞ」と言われたようで動揺した。もしかしたらこのリアクションは間違いで、取り消されるかもしれない。でも、取り消されなければ、気がついた、というリアクションをしなければいけない、と、思うんだけど、どうしよう、どうすればいい!?

友だちを巻き込み、七福神の話題は「どうリアクションするべきか」に差し替わり、夜まで続いた。その間、いいねが取り消されることはなかった。わたしはいいねをしてきたこのアカウントを認識しなければいけない。直近の彼の投稿にいいねするか? しかし共感を寄せるような直近の投稿はない。彼に直接LINEするか? いや何と書けば? 悩みに悩んだ末、その日の夜、旅館の部屋でみんなが見守る中、彼のアカウントをフォローした。
その直後、彼からすぐにLINEがきた。「ちょ、フォローとか」どうやら誤いいねだったようだ。フォローを外すか聞いたら「いや、そのままでいい。フォロバする」と返信があった。我々はまた一歩、関係を深めた。

2月18日、出会ってから7回目のデート。神田の鳥貴族で「付き合いますか」とわたしがいった。

犬のために16時に帰る男

夏生まれのわたしが45歳になったその月に、彼がドラム式洗濯機とともにうちへやって来た。同棲の開始である。彼は一度も実家を出たことがない、いわゆる子供部屋おじさんで、ひとり暮らしの経験がなかった。それはよく言えば、単身者同士が直面するような重複する荷物を持たず、同じ暮らしを始めやすかった。それまで、こだわりの強い彼は「実家の犬の散歩は自分の仕事」と強く戒めており、昼間のデートでも16時には帰宅していた。うちに泊まっていくときでも、夕方に来て、翌日の昼には帰る、といった調子だ。わたしにはそれが窮屈で、うちで暮らさないか、と提案した。

幸い我が家は、独身女性が暮らすには幸運すぎるほど広く、家賃も安く、立地もいい。
マチアプを始めたのは結婚したいからではなかったけれど、交際することになったのなら、長く付き合える相手かお互いに確かめ合いたいという気持ちがあったので、自然と同棲する流れになった。

本当にともに年を重ねるのか


夏に始まった同棲生活は秋へ進み、冬になった。二人が出会ってもうすぐ1年だ。昨年の今頃は同棲しているなんて思わなかった。そしていま、本当にこのまま二人で年を重ねていっていいのか悩んでいた。
彼は家事能力がほとんどないことに加え、感情表現や愛情表現が希薄で、わたしは限界を迎えていた。この感じを、これからもずっと引き受けていかなくちゃならないのだろうか。

同棲する前に彼から折り入って話があると呼び出されたことがあった。
わたしはのほほんと構えていて、安居酒屋で話すことを提案したら「そんなところで話す内容じゃない」と却下され、とはいえ他に入れる店もなく、喫茶店が居酒屋まで営業を拡大したような、妙な飲食店に流れ着いた。ウィンナー盛り合わせを注文すると家庭料理というか、単身赴任のお父さんがつくるつまみのような茹でただけのウインナーが広すぎる皿の上でコロコロと転がった。独特の哀愁ただよう食事を前に、彼が口を開いた。「実はうつ病なんだ」と。

そのときのわたしは、そりゃ知っているよといって笑った。
うちに泊まりに来るときに薬を持って来ていたし、活発な様子があったことはほとんどなく、彼にはつらつさを求めたことなどなかったので、何を今さら、といってそのときは終わった。でも、彼がこのとき語った「うつ病」はわたしが知っているうつ病よりずっと複雑だった。その認識が甘かった。

どこからが病気で、どこまでが性格なのか、線引きすることは難しいし意味はない。だけど、例の「見えていなさ」や感情表現や愛情表現の薄さをずっとずっと、わたしだけが引き受けていかなくちゃいけないんだろうかと思うと苦しかった。彼には悪気がない、わざとじゃない。だから、つまり、直せない。

そんな思いが年越しを前にしてあふれ出していた。彼は一緒にいるのがしんどいとき、いってくれれば実家に帰るっていってくれるけど、だったらさっさと帰ってよ、と怒った。彼は一切反論せず、うん、といって俯いていた。それを見て、結局わたしがガマンするしかないんじゃん、といって憤り、別れる、という結論にたどり着いた。

出口が見えると、ホッとした。それでいいのか、悪いのか、分からないけれど、ガマンしなくていいのなら、心底助かると思った。でも、本当に別れて良いものか。やるべきことは全部やり尽くせたのだろうか。もう、彼との関係の中で試していないことは、ないのだろうか。結論を出したからこそ、今度は胸に疑問が渦巻く。

そんな「破局の最終確認」を自分の中でしているとき、ふと彼を見たら、泣いていた。
感情表現が希薄で、喜んでるのかなんとも思っていないのか全然分からない彼の目から、涙がこぼれている。泣いてるじゃん、というと「そりゃ泣くよ……」とだけいった。

……ああ、もう、これは理屈じゃない。

どういう心情なのか、説明はできない。けれど、まだやりきってないなと思ったのだ。彼とこのまま別れてしまった方が、絶対に楽な道だ。想像が付く楽しさとさみしさの中、それなりにおもしろおかしくやっていけるだろう、ステイホームのときみたいに。でも、きっとまた、わたしは家の外を求め、そのとき彼のような人に会える保証はない。そして、後悔するのではないだろうか。だったら、何にも解決してないけど、結局ガマンしなくちゃいけないんだとしても、もう少しくらいなら、ガマンできるし、なにか、できることがある気もする。だから、もう少し一緒にいようと思い直した。

人と暮らすのは本当に困難なことだ。でも、人は人と暮らしたがる。その真髄に、我々はまだ触れておらず、そして知りたいと思った。

元子供部屋おじさんと46歳の花嫁

映画「セックス・アンド・ザ・シティ」で、主人公のキャリーを「ラスト・シングルガール」と呼んだのはヴォーグの編集長だ。そのセリフはこう続く。「ウェディングドレスの写真は40歳が限界よ。鑑賞に耐えるのはそこまで」これを友だちに話すと、「それは誌面を飾るプロの話であって、ウェディングドレスに限界なんてない」といってくれた。

2023年11月、1年半の交際期間を経てわたしはウェディングドレスに袖を通し、46歳の花嫁となり、元子供部屋おじさんの妻となった。結婚式がやりたいと思っていたわけではないけれど、家族イベントが少なかった実家では、母も、兄嫁も、姪っ子も、誰もウェディングドレスを着ていなかったし、ひとり息子の彼の家族にとっても、結婚は思い出深い記念日になると思い、写真だけでも撮ることにした。
写真館で衣装を借りて、家族みんなで撮影をし、会食をする。馬子にも衣装といったもんで、せっかくいい服を着せてもらえるのだから、友だちにも見てもらおうと、夕方に小さな二次会を設定したのだが、もはやこれは結婚式ではないか、と笑った。

2022年末のケンカのあと、なんとなくよりを戻したけれど、ひとつだけ条件を出した。それは新年より2ヶ月は試用期間とし、ムリなく関係を続けられるか確認しようというもの。「すべて受け止めなければいけないのか」と苦しんでいたわたしは、怒りを表現してみたことで、わたしの怒りと彼の状況を切り分けて考えられるようになり、腹が立ったら直訴するものの、相手に調整してもらうのではなく、わたしが「掃除しない、外食する」など自分のできる範囲で重荷を下ろしても楽になることに気がついた。結果、試用期間はあっという間に過ぎ、ホワイトデーに欲しいものを聞かれ、感情表現が希薄すぎるから手紙が欲しいと訴えたところ、彼からもらったラブレターに「結婚について検討してみて欲しい」とプロポーズがあり(最初プロポーズだと気がつかなかったので、今更なにいってるのかなと思った)、この日を迎えることができた。

そしてこれを書いている今は2024年7月。結婚式から8ヶ月経った。
滑り出しは思っていたより順調で、こんな日がずっと続けば良いと思えた。だけど、人生っていうのは平坦な道ばかりというわけではなく、たった8ヶ月の間でも山あれば谷あり、病めるときもあれば貧しきときもホントにある。

ただ、おかげさまで結婚を後悔したことはまだ1度もない。自分や相手の心理状態をこれほど開示し共有できたことはないし、お財布だって預けられる。ひとっつも隠しごとがない。自分と一緒に課題へ取り組むパートナーが居ることが、こんなに心の支えになるなんて、想像できなかった。

とはいえ、完熟を通り過ぎた我々は腐っても新婚なんで、まだ浮かれてるだけって可能性も十分にある。
1年に一度、note創作大賞の度に応募して、振り返ることができたら良いなと思う。

直近でいうと、現在、夫はうつをこじらせて休職中だし、今住んでる部屋は来年の更新で大幅値上げを宣言しており、引っ越さざるを得ないのだが、同条件の部屋なんかあるわけなく、詰んだりしてる。来年どころか、来月に控える47歳の誕生日をどういう心情で過ごしているかも分からない。

子供部屋おじさんと46歳の花嫁の次回作は、また来年!


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