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イタリア高級車のデザインプロセス(前編)

本noteでは、拙稿(2020)「イタリアにおける高級車のデザインプロセス―F90の事例」『商品開発・管理研究』Vol.17(1),pp.47-67および拙著『イタリアのデザイン思考とデザインマネジメント』第7章に基づき、イタリアの高級車のデザインプロセスについて記してみます。

1.フェラーリの財産:傑出した三つのモデル

ピニンファリーナのデザイナーであったE.フミア(Fumia)は、自ら率いたフェラーリ90(F90)のデザインプロジェクトを通じて、新たなモデルを創案する仕方を述べており、それによれば、過去の傑出した幾つかのモデルを再解釈してフェラーリらしさ(フェラーリのファミリーフィーリング)を構成する要素を把握しつつ、新たな要素も付け加えるということです。フェラーリの歴史には様々なモデルが登場するけれども、フミアによれば、参照に値する傑出した三つのモデルがあるということです。(1)アルド・ブロバローネ(Aldo Brovarone)が1965年にデザインしたDino 206、(2)ディエゴ・オッティナ(Diego Ottina)がデザインしたとされる1984年登場の512i Testarossa、(3)フィリッポ・サピーノ(Filippo Sapino)がデザインした1969年の512Sがそれです。

図11

新たなデイトナの創造、言い換えればフェラーリの新たな伝統を創ることを目指したF90のプロジェクトでは、これら三つのモデルが強く意識されています(もちろん、フィオラバンティのデザインによる1968年登場のGTB/4デイトナなども考慮に入れられています)。すぐには廃れず、後世にまで残るような傑出したかたち(フォルム)を備えたモデルを幾つも抱えているのがフェラーリなどの高級車メーカーの強みであり、かたち(フォルム)の伝統がなければ、過去のモデルを再解釈しようとしても参照先がないということになります。上記三つのモデルのいずれの点が優れているのか、フミアの解説を聞きましょう。フェラーリに限った話ではないですが、過去の様々なモデルの内、どのモデルが傑出して美しく、またどういった点が優れているのかは、当該デザイナー集団に聞かないと分からないため、日本車メーカーはイタリア人デザイナーらにインタビューして聞いてみると良いと思います。たとえば、アルファロメオやランチャならどのモデルが傑出して優れているのか、その美学的判断をデザイナーらに聞いて、自動車の美の評価の仕方を共有するのです。これは、ベネチアのガラス職人に、どういった「かたち」のガラス食器が美しいのか、彼らの共有する美的価値観をヒヤリングするのと同じです。

1-1.Dino206

Dino 206は、今日にまで続くフェラーリの一つのスタイルの真の始祖となるDino Parigiとして知られるモデルです。主にF2で使われるV型6気筒エンジンを搭載したDino 206のデザイン案を見たエンツォ・フェラーリは、そのフロントビューがV型12気筒エンジンを搭載したF1マシンのものであるとして、デザインの変更を命じました(Dino 206のデザイン案は、伝統的なモデル区分を破壊する一つの非-フェラーリであったのです。しかし、変更前のデザインの方が美しいでしょう)。デザイン案の変更を命じられたフィオラバンティらは、Fiat Abarth 1000のフロントビューに似ているように、楕円形のラジエーターグリッド(以下グリッドとする)とヘッドライトを包む流線形のガラスを透明な長いプレクシーガラスと置き換えました。と同時にレンツォ・カルリ(Renzo Carli)によって後部のリアガラスが斜めではなく、垂直となるように変更されました。もちろんそういった変更にデザイナーらは納得しませんでしたが、それは、1966年の206 Sを嚆矢として、当時のフェラーリのスポーツカーに見られるデザイン上の傾向―250LMに備わった“コウモリ”のような垂直の後部窓と鰭(ひれ)―とともに、そうした楕円状のグリッドがシリーズとして明らかに選好されたからです。308GTBから348、355、360、430を経て458までがそういったスタイルを受け継いでいます。この没にされた楕円状のグリッド案は、フェラーリのファミリーフィーリングを構成する重要な要素として、後のフェラーリ90のデザインに活かされることになります。同様に、フェラーリのファミリーフィーリングを特徴づける重要な要素である波打ったベルトラインが、このDino 206で提示されています。サイドビューだけでどのブランドなのか判別可能であるのは非常に望ましい事態ですが、この特徴的なベルトラインは、アルファロメオTZ2のボディデザインの研究からブロバローネが生み出したものです。具体的には、ザガートからピニンファリーナに提供されたNo.750114のシャシーのサイドと滴(goccia)のかたちをした屋根との繋ぎ方を研究した結果として生み出されました。屋根は、かさばって量感(マッス)のある滴あるいは円蓋(cupola;クーポラ)として捉えられ、同様にシャシーも立体としてその量感(volume)を把握され、三次元の任意の立体(滴)と別の立体(シャシーサイド)の接続部として二次元のベルトラインは事後的に意識されたのです。なお、フィオラバンティが、過去のフェラーリのモデルの中で最も美しいと評価するのは、マウロ・フォルギエリ(Mauro Forghieri)とウィリアム・カソリ(William Casoli)がデザインした1967年の330 P4ですが、その波打つ形状を鑑みれば、ブロバローネがデザインしたDino 206の延長線上にあると言えるでしょう。

1-2.512i テスタロッサ

テスタロッサは、アメリカ航空諮問委員会(Naca)が開発した空気取り入れ孔(Naca Duct)を参考にしつつ、F1マシンのようにサイドに二つラジエーターを設置するという当時としては常軌を逸していたフィオラバンティの提案が、フェラーリに認められた結果実現したものです。テスタロッサのボディデザインは、ディエゴ・オッティナによるとされますが、テスタロッサについてフミアは以下のように評価しています。
「512i Testrarossaのみが、そういったスタイルから破壊的な仕方で切り離されている。私に言わせれば、テスタロッサは、場違いではない真に新しい何かだと述べることができる。多くの人は、テスタロッサのことを考えなかったし、現在でもこんな風に考えてはいない。しかし偏見なしにテスタロッサのことを眺めれば、私にとってテスタロッサが傑作―今日でも目まいがする―である理由が了解される。奇妙でなくて美しく、他とは異なっていて、それでいて確かに発展形である。恐らくわたしがこれほど512i Testarossaを好むのは、フェラーリ308を提案した1980年の私のデッサン(以下の図の中段)に、テスタロッサの側面にかなり似ているような水平方向の長い刃があるという理由からである。もちろん、力量あるディエゴ・オッティナがわたしのデッサンをコピーしたと主張するわけではない。テスタロッサ以後、率直に言って重要なモデルは何も見いだせない。Mythos私にとってMythosが、バカげたMythosである(stup…ythos)であるかどうか定かではないが、それはフェラーリの規準から外れていて、醜くはないが没個性的である。…わたしの考えでは70年代のモデルは、固有の意味でフェラーリではない。パオロ・マーチンのことを言うわけではないが、とりわけ70年代のモデルは、今日でも車輪を備えたオブジェであるにとどまっており、賞賛に値するオブジェであるが、あいまいでフェラリーリ性を欠いている。モデュロ(Modulo)は、自動車というよりは空飛ぶ円盤であるように思われ、円盤という意味では1952年のDisco Volanteアルファロメオの方が躍動感がある。(デザインした)パオロには悪いが、それは廃れない美しさを備えたかたちだが、正真正銘のフェラーリではない。」
他方、フィオラバンティは、自らデザインしたフェラーリ250 P5(1968年;図2上段)において、既にテスタロッサの萌芽が見られると以下のように述べています。
「細かく差し込まれた小さな翼(ひれ)[alette]は、空気の流れを矯正するためのものであり、1984年のテスタロッサを予感させるものである。」
しかし、明らかにフミアによる1980年のスケッチ(図2中段)の方が後のテスタロッサを予感させ、また、オッティナがフミアのスケッチを参考にした部分も大きかったと言えるでしょう。

図12

1-3.512S

フミアによれば、傑出したかたち(フォルム)の伝統を形成している第3番目のモデルが512Sであるということです。フィオラバンティによる前述のF250 P5も近未来を予感させるドリームカーの系列に属するとしていますが、過去のモデルの内、最も高く評価しているのは、この512Sです。その理由を示すため、以下でフミアの指摘を引用しましょう。
「機械工学に基づき、フィリッポ・サピーノがデザインした1969年のフェラーリ512Sこそが、ドリームカーの真の事例であるとわたしは判断する。これは私にとって傑作中の傑作である。512Sは、側面の波形のうねり、水平方向で見てマンタのような表面、ボートの船外機のような後部に設置されたエンジン、流線形のフェンダーで後輪が部分的に覆われていること、フロントガラスと側面のガラスが一枚のガラスで実現されていること、これらは皆、後世まで賞賛されるに値するのだ。512Sは、わたしのお気に入りである―というのも、その特徴的な様式(stilemi)は過去のモデルを大いに解釈したものであるが、未来志向であるからだ。懐古趣味の精神に基づくものではない。私の意見では、もっぱら前面の眺めが、ブランドアイデンティティを欠いている。黄色ではあるが、ランボルギーニやマセラティと混同されることはない―奥山清行氏がデザインしたピニンファリーナの2005年のコンセプトカーであるマセラティのバードケージ(これは512Sに着想を得たと言われている)を除いて。」

後輪を部分的に覆えば、全体の印象を尖った鉛筆のように見えないようにすることができます。つまり、ホイールベース(前輪と後輪との間の軸間距離)の長さを意識させないようにすることで、見かけほど車体全体が縦長であることが分からないようにすることができます。逆に言うと、シャシーを新規に設計し、ホイールベースの距離を広げたら、スポーツカーの特徴である「視覚上の重心(baricentro ottico;見た目の重心)」が低く見えるように車体全長および車高を修正したり、バンパーの色を車体と同じ色にするといった工夫を凝らす必要があります(タイヤのサイズも変更しないと全体のバランスがおかしくなるかもしれません)。ホイールベースの変更は、室内空間の確保というよりも、サイドビューの美観に奉仕するように配慮されなければならないのです。
フォオラバンティが手掛けたフェラーリ・デイトナの開発では、スポーツカーであるがゆえに後輪を隠す選択肢がなかったため、堅い木のようになるエポウッド(epowood)樹脂で作られた怪人面(マスケローネ;mascherone)のモデルを縦に切断して厚さ5cmの板を挿入することで縦横のバランスを取ったということです。なお、建築上のマスケローネとは、建築物の構造上の要所を守るべく取り付けられる彫刻装飾のことで、邪気を払うために威嚇するような顔つきをしています。フロントビューは、怪人面として捉えられ、フェラーリの場合、大抵は女性の顔が意識されているということです―ランボルギーニ・ミウラの場合、ヘッドライトとしての眼に睫毛が付けられ、そのフロントビューの表情が確かめられています。フェラーリの場合、楕円のグリッドは口であるのに対し、アルファロメオの場合は鼻や口髭だったりします。FiatのZanzara 500(1969年)などは、顔のパーツという次元を超えて、その全体が可愛い蛙のようなフロントビューですが、他のカロッツェリアのデザイン様式と混同されないように、言い換えればファミリーフィーリングが感じられるようにすることが重要です。512Sのフロントビューは、ベルトーネのランボルギーニなどと混同されないという点で成功していますが、細長くてよいから楕円のグリッドを付ければなお良かったと言えるでしょう。というのも、楕円のグリッドこそ―フミアが強調するには―ベルトーネに由来せず、ピニンファリーナ独自の様式だからです。なお、怪人面のモデルが、粘土ではなくエポウッドを削って制作する理由は、後に述べましょう。

2.フェラーリ90のデザイン

自動車であれファッションであれ、新たなモデルを企画する際、デザイナーの頭の中では過去の代表的な優れたモデルが系統別に整理されており、フミアは、前節の傑出した三つのモデルからフェラーリらしさを構成する要素を抜き出し、F90を新たにデザインしたということです(70年代のモデルはどれも活気がなく参照に値しないということです)。クオリティの高いかたちという観点からどのモデルが評価に値し、どのモデルが評価されないかをデザイナーが把握しておくことは重要です。たとえばフィオラバンティもフミアも275GTBを評価しません(それはアルファロメオのデュエットのようです)。1-3で述べたように1970年に登場したパオロ・マーチンによる512S Moduloも空飛ぶ円盤のようでフェラーリらしさを欠いており、フミアによれば評価に値しません。
F90を設計するにあたって採り入れたフェラーリらしさを表現する諸要素は、(a)Dino 206(parigi)に由来する波打つ二本のベルトライン(図3)、(b)512Sに由来する滴あるいは円蓋のような繋ぎ目のないガラス屋根(図4)、(c)ベルトーネではなくピニンファリーナに由来する楕円のグリッド(図5および図6)、でした。

図13,14

図15,16

512iテスタロッサからは、星の形(★)をしたタイヤとサイドミラーが採り入れられましたが、これはフェラーリのファミリーフィーリングを構成する主な要素ではないということです(ファミリーフィーリングを構成する諸要素が一体何であるのかも、デザイナーらに聞いてみないと分かりません。)。図3で示される波打つベルトラインは、512Sでも表現されていますが、ユーザーが即座にフェラーリのファミリーフィーリングを感じ取れるように、一本で十分な波打つベルトラインを二本付けて、フェラーリらしさを強調しています。そして、図4が示しているのは、円蓋(クーポラ)のような繋ぎ目のないガラス屋根(ルーフ)であり、ワイパーもサイドウインドウも丸みを帯びた屋根に合わせる必要があるため、工夫の余地があったということです。またこのルーフは開閉可能であり、オープンカーの状態にするときには、(当時のポルシェのタルガ(Targa)とは異なり)半月型の後部窓に沿って天井部分のガラスが格納されました―こういった屋根の格納方式をポルシェがCarrera 2において採用したのは、1995年になってからであり、当時としては画期的な開閉方式でした。なお、ワイパーもサイドウインドウの上げ下げもクーポラのような屋根の一部を構成するように、垂直ではなく丸みを帯びた仕方で行われ、ワイパーも曲面の形状をしたフロントガラスの上を滑るように工夫の余地が大いにあったということです。そしてフロントガラスの角は、スパイダーのように角が尖ったものだと乗降の際に危険なので、スピードスターのように同じく丸みを帯びたものにしたということです。図5は、F400 SuperamericaおよびSuperfastⅡのグリッドに由来するような楕円型のグリッドがF90にも採り入れられたことを示していますが、過去の楕円パターンを単に反復するのではなく、楕円の両端を鋭く尖らせるような工夫がなされ、なおかつ、フロントビューだけではなく、サイドビューと後ろ姿でもこの先の尖った楕円のフォルムが感じられるようにしてあります。この楕円のフォルムは、装飾的な理由ではなく、機能上の必然として実現されているのであり、サイドでは吸気孔として、また後ろ姿では、テールランプの機能を果たしています(遠目から見てかさばる量感が感じられるよう、装飾的要素は剥ぎ取られる必要があります)。楕円というモチーフは、グリッドやサイドビューだけでなく、ヘッドライトの形状においても表現されています。ボンネットや後部のカバー(翼)を開けたときの姿(図7)は、頭のような屋根に巻き付く帽子の鍔のような後部カバーでありながら、翼が重苦しく感じられないようにするため、当時としては画期的なカーボンファイバーが採用されました。他方、ボンネットの方でもアルミニウムを採用するという大胆な素材選択を行いつつ、ボンネットの軽量化およびボンネットの開閉に起因するヘッドライトの位置のずれを防ぐため、ヘッドライトは(ボンネットではなく)シャシーに取り付けました。図8の赤いラインで強調されるように、F90の内装は、テスタロッサの内装を参考にしつつも、シフトレバーなどがあるコンソールからボードを経てドアパネルまでが連続的に一体化する仕方で新たにデザインし直されました。現在(2020年)のフェラーリの主任デザイナーであるフラヴィオ・マンツォーニ(Flavio Manzoni)によれば、2013年のLaFerrariの内装は、必要最小限のコンパクトな内装を実現した1968年のP5の内装を参照しつつ、V字型の矢印のテーマに合致した内装となっているということですが、デザイナーは、外観のフォルムのみならず、内装についても過去の諸モデルの特徴を美学の観点から系統的に把握しておく必要がありますーというのも、過去の諸モデルの美学的変遷について経営者に対してレクチャーしなければならない場合があるからです(思い付きでデザインしているわけではありません)。図9がF90全6台の一覧で、注文主であるブルネイのスルタンの要望で、それまでのフェラーリの伝統とは異なる色使いとなっています。

図17-19

3.終わりに

過去の傑出したモデルを踏襲することで、当該自動車ブランドのファミリーフィーリングをユーザーが認知し易くなることは確かでしょう―しかし、新たなフォルムの創造はこのことに限られません。LaFerrariのプロジェクトを率いたデザイナーのF.マンツォーニ(*)は、その外観のかたちを決める際、次のように証言しています。

「LaFerrariの場合、航空(空気)力学とかたち(フォルム)の研究が融合したものである。その外観は、“風によって彫刻された”外観を越えて、風と(当初は想定していなかった)航空力学の統合であるようなかたちを目指したものである―単純に、高速走行時の気流(風)の流れを意識させる(反映した)ようなかたち(フォルム)ではなく、高速走行時の揚力や下へ押さえつける力(負の揚力;downforce)を計算する航空力学の知見と融合したようなかたちとなっている。―。言い換えれば、確固たるかたちから、量(体積)を引き算することによってデザインされたものではなく―それは通常のDirect Carvingのやり方(伝統的な仕方)だが―、空気それ自体が航空力学と共生的な統合を達成することによって決定されたものである。それはあたかも、気流(空気の流れ)が、ボディ全体(総体)を構成する一部であるかのようであり、通過する気流が存在しなければ有り得なかっただろうものである(ここにかたちの新しさがある)。・・・動きの純粋芸術、多くの魅力を備えた機械彫刻こそが、我々の目標だった。」

Laferraiのモチーフは、上から見ると航空機のようなデルタ幾何学模様(三角形)となっていますが、これはベネチアの双胴船(Catamaran)を参照しています(そのことに関して次のように述べています。)。

「横から見ると‘矢’のテーマがあり(そう言われれば気づくが、無意識的にこの幾何学を知覚しているのだろう)、上から見ると航空機のようなデルタ幾何学模様(三角形)が透けて見える。そして、彫刻ように仕上げられた外観が、その翼に力強さと攻勢を感じさせるような力を伝えている。この三角形の模様は、F12 berlinettaの双胴船のテーマの拡張したもので、二つの竜骨(keels)によって支えられている。車体前部下に取り付けられた、高速走行時に浮上を防ぐスポイラーは、F1マシンにヒントを得たもので、それが後世にまで残る、前から見た時の印象的なかたち―これが実現するように苦労したのだが―を実現している(これがinnovativeなソリューションである)。LEDも採用してヘッドライトがコンパクトになった。翼に空いた窪地(くぼみ)の存在理由は、ラジエーターの高熱の空気が注がれるためであると同時に、負の揚力を車体後部に伝えるためにもある。矢のような空気の流れの延長線上に、尾部ライトは取り付けられている。キール(竜骨)構造が、空気の流れを効率的に二つに分けている。エンジンを格納するボンネットを支える船体のような車体は、鳥が羽ばたく際に羽を広げたようなかたちになっている。後部の外観はスポーツ指向を表現している―定められたフォルム(かたち)に、必然的な理由があるのだ。尾部には、F1カー同様にカーボンファイバーが取り付けられている。」

ランボルギーニの場合は、美のモデルとして六角形(ヘキサゴン)模様の昆虫の背中(アヴェンタドール)や、フロントガラスが殆ど存在しないスピードボートRivaのフォルム(Autobianchi A112 RUNABOUT)なども参照されています。かくしてデザイナーは、フェレッティ(Feretti)、アジィムト(Azimut)、ベネッティ(Benetti)といった高級ヨットのフォルムの美についても系統的に把握しておく必要があるでしょう。M.ガンディーニ(**)は、新たに提案するフォルムは、現在市場に存在するボディフォルムからかけ離れているので、周りに認めてもらうのに苦労すると述べていますが、バロックがそうであったように最初は歪な真珠だと陰口を叩かれようとも、新しいかたちの伝統を創っていくことが日本車に求められます。たとえば、カー・デザイナーのエルヴィオ・ダプリーレ(Elvio D’Aprile)は、次のように述べています。


「日本では美の観念は、自然とその均斉の取れた純粋さに由来するような本質的な簡素さに含まれるのだが、自動車をデザインするとき、日本人はこうした簡素さから離れ、かたち(フォルム)を無理強いするので、少し繊細さにかける。誰もがトヨタ車の変則的で異例なクオリティを認識している。その室内は、とても広々としていて快適かつ居心地の良いものであるが、その外観は、情緒を感じさせるような要素を犠牲にすることで、非常に控えめで抑制(contenuti)されたものとなっている。…現在、ヨーロッパのデザインを踏まえ、未来のファミリーフィーリングを表現するような新たなフロントビューを研究中である。」

商品コンセプトに対して美観を備えたかたちを与えること(conformare)は、ピノッキオのように素材に命を吹き込むこと(plasmare)であり、結果としてインフォメーションになります(informareには、コンセプトに対して傑出したかたちが与えられる[informare]と、それ以外の要素は背景に退いて目立たなくなります。言い換えれば、インフォメーションとは目立つものです。)。かくして、デザインではモノのかたちが決定的に重要であり、手工芸コローニィ財団代表のF.Cologniは次のように指摘しています。

「“美しいこと”は、好感を得るような線(ライン)を備えた自動車であるだけでなく、安全で、早くて、静かで、心地よく、環境に優しく、機能的で、名声を感じさせるような機械(自動車)である。自動車では“フォルム”は、単に決して何かを入れる宝石箱ではない:(フォルム)それ自身に意義・価値があるのであり、心を奪ってうっとりさせる核心的な要素なのである。そして、決定的な仕方でこうした誘惑に寄与する自動車のデザイナーは、線を描く有能な製図工・巧妙なプロジェッティスタ・インスピレーションを備えたフォルムのデーミウルゴス(創造神)であるだけでなく、諸々の要求と憧れを自覚している解釈者でもあるのだ。そしてまた、もう一度夢見られるべき様々な夢や、再度考えられるべき悦び、再発明されるべき魅惑の予言者である。あるいは、丈夫だが生硬い最先端の技術要素の背後に、将来主流となるけれども現在は瑞々しくまた微かである潮流を探し求めるような、先見の明のある棒占い師である。」

(*)マンツォーニはまた次のようにも述べている。「誰も、かたち(フォルム)の均衡を貴方に教授しない。それは、貴方の理性的な部分と情緒的な部分との邂逅の結果であり、心の内側に持っているものだ。ある種の方向へと君を連れていく本能であり、応用芸術を為すことを君に許すような何かであり、様々な部分間のプロポーションと均衡に対する君のセンスである。とはいえ、こういったことすべてが、イノベーションの高いレベルを伴わなかったら、永続する美は達成されない。」

(**)ガンディーニは次のように述べている。「ランボルギーニ・ミウラが表現している美は、正反対のものを混ぜ合わせることにあり、それは多数の筋肉を伴った身体であるが、男性のボディビルダーではなく美しい女性の筋肉である。ミウラは、腕白であるが優しい感触を伴っている。そのステアリングは、攻撃的(オーバーステアリング)だが、誘惑するようでもあり、また、怖がらせるようでいて、魅力的である。…ヘッドライトが格納式のため、ライトの前後の部分にスペースができる。このスペースを埋めるために、睫毛のような装飾を施した。」

図出典:冒頭の図E.Fumia(2015), Autoritratto, Fucina,p.212、図1左https://www.elettrauto-rivoli.it/blog/le-vetture-del-brand-ferrari-dino、中央http://autoinfo.jp/sport/ferrari/sport_ferrari_testarossa_my84_exp.html、右https://www.facebook.com/1969Ferrari512SSpecialePininfarinaConcept.V.C007.1/photos/a.348265515209622/406244139411759、図2上http://oldconceptcars.com/1930-2004/ferrari-250-p5-berlinetta-speciale-concept-1968/、中央E.Fumia,op.cit.,p.70、下https://www.auto.it/news/news/2019/05/22-2139554/ferrari_testarossa_e_ancora_il_sogno_degli_italiani/、図3 Fumia, op.cit., p.64,p.222、図4 Fumia, op.cit., p.212、図5 Fumia, op.cit., p.220、図6 Fumia, op.cit., pp.222-223、図7 Fumia, op.cit., p.229、図8 Fumia, op.cit., p.227、図9 Fumia, op.cit., p.229

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