ザビエル先生
高校一年の春、初めての現代社会の授業があった。やせた体に白衣をまとった中年男性が、教室に入ってくる。先生は中央にある教卓を通り過ぎ、そのまま窓辺に立った。よく晴れた窓の外を、後ろ手を組んだまま、ずっと無言で眺めている。やがてぽつりと、「桜がきれいですねえ」とつぶやいた。クラスの全員が困惑で沈黙していた。
10分が経過しようかというとき、学級委員の男子が「先生、授業はどうするんでしょう?」と尋ねた。先生は発言した男子におもむろに向くと、彼の名字を「氏」付きで呼び、問いかけた。
「授業? 授業って、何ですか?」
クラスの戸惑いはさらに深まった。思わぬ逆質問を受けた学級委員は「あ、だから、現代社会の授業はどうするんでしょうか、と……」とかろうじて答える。飄々とした口ぶりで、先生は二の矢を放った。「現代社会ですか。何を勉強すればいいんですかね?」。いや、先生、それはこっちの質問です、と私も含めた全員が、心の中で突っ込みを入れた。
その日は先生と何人かの生徒との間で、禅問答のようなやりとりが散発的に繰り返された。そのうち、終業のチャイムが鳴り、先生は「じゃ」と片手を上げると、礼も求めず、教室を出て行った。私たちはあっけにとられた。
当時、全国の中学校では校内暴力の嵐が吹き荒れていた。学校側は、これを力で押さえ込む。今ならば間違いなく新聞沙汰になるけれど、あの頃は指導と称して先生が生徒を殴っても、まったく問題にならなかった。管理教育全盛期のころだ。黙って授業を受けるのも、決まったカリキュラムに従うのも、私たちの世代では「常識」だった。もちろん、締めつければ締めつけるほど、一部の生徒は反発する。だから、学校が完全に平穏になることはなかった。進学した高校も、おおむね同じような状況だったから、「授業って、何ですか?」と問いかける先生に、みんな仰天したのだ。頭頂部が少し寂しかった先生に、私たちは「ザビエル」というあだ名をつけた。
次の授業で、ザビエル先生は「自分自身について話してください」と課題を出した。持ち時間は一人二十五分。当時、授業は五十分だったので、一回につき二人がスピーチすることになる。四十五人学級だから、少なくとも二十三回はこれが続く。「自分について話す」。そんな経験は一度もなかった。発表は五十音順なので、早く回ってくる名前の私は、うんうんうなり、自分のことを考えた。
思春期の大命題は今も昔も「私とは何か?」である。とはいえ、そうした思索は、たいていストレートには可視化されない。可視化されないからこそ、自分が何に苛立っているのか把握できず、さらに苛立ちが増幅されたり、過剰な自意識に押しつぶされたりするのだ。それを、半ば強制的に掘り下げ、明らかにしていくことを課された。私にとって、これはなかなかしんどい作業だった。
ただ、いざ始まってみると、この授業は非常に興味深いものになった。時代のせいか、単にまだみんなが十五歳か十六歳ですれていなかったためか、発表するクラスメートは、かなり赤裸々に自分について語った。テストで毎回トップをとる優等生の男子が、家庭に複雑な事情を抱えていたり、快活な女子が、思わぬコンプレックスに苦しんでいたり。その人の内面は決して外側からだけではわからないし、同じクラスの仲間でさえ思いは十人十色。そんなことを知れたこの授業は、私の人間理解に関する礎(いしずえ)になった。
授業に評価はなかった。「通知表には全員(五段階の)四をつけた」と別の先生から聞いた。「それで、ちょっと問題になっている」とも。結局、みんなの発表が終わったあとも、受験に役立つような「現代社会」の講義は何一つなく、二学期も、三学期も、私の通知表は「四」だった。確か、私たちが二年に進むタイミングで、ザビエル先生は他校に異動になった。どんな事情があったのかはわからない。ただ、進学校を目指していた私たちの高校で、ザビエル先生が異端だったことだけは間違いなかった。
あれから何十年が過ぎた今でも、ときどき、ザビエル先生のことを思い出す。大学入試にはまったく役に立たなかったけれど、ザビエル先生の授業は、思春期に主体性の萌芽を促してくれた。所与だと思い込んでいた「授業」や「自分」とは、そもそも本当に所与とすべきものなのか? 当たり前を疑い、自分の頭でとことん考え、言語化する。ザビエル先生の教えは、私がのちに、文章を生業(なりわい)とする道を選んだことに、確実に影響している。文字どおり、私にとってザビエル先生は、知の「宣教師」だった。
以前、少し調べてみたが、ザビエル先生のその後の消息は分からなかった。年齢的には、恐らくすでに、定年を迎えているはずだ。今や校内暴力はすっかり影を潜めたけれど、いじめやスクールカースト、学習内容のたび重なる改訂など、学校や子どもたちを取り巻く状況は複雑化しているという。そういう時代だからこそ、私たちが受けたような授業には意味があると思うのだけど、きっと、今の公立高校に、ザビエル先生の居場所はないのだろう。
「授業? 授業って、何ですか?」。そう尋ねるザビエル先生の、とぼけた顔を思い出す。十代半ばだった私は、あの頃のザビエル先生をはるかに上回る年齢になった。
自分は今、若い誰かに、同じ問いかけをできているだろうか。