漫画「ハイポジ」――カセットテープとウォークマンの記憶
漫画「ハイポジ」がテレビドラマ化されていたことを、偶然見かけたネットの記事で知った。原作は2017~2018年に「漫画アクション」で連載されていた。私にとっては、定食屋さんかラーメン屋さんで、たまたまあった雑誌をめくり、作品に触れたのが最初だったと思う。その一話を面白いなあ、と思いながら、連載できちんと追いかけず、完結後に単行本(全5巻)でまとめて読んだ。
大好きな作品なのに、なんでドラマ化を見逃したのだろう。検索してみて、ああそうか、と納得した。放映は2020年1月からのワンクール。テレビ大阪の制作で、首都圏ではBSテレ東の深夜枠だった。この夏まで、我が家では長いこと、BSが見られない状態だった。それで、そもそもBSの番組をチェックしていなかったのだ。
公式HPをみると、4月から北陸放送、7月からはテレビ北海道で放映されているらしい。ネット配信は「ひかりTV」だけのようだ。いずれにせよ、現状ではうちでは見られない。なので、以下は漫画に基づく文章である。
主人公の光彦は会社をリストラされたばかりの46歳。妻・幸子には「あんたと同じ空間にいるのが我慢できない」と離婚を切り出されている。高校生の一人娘もほとんど口をきいてくれない。久しぶりに訪れた風俗店で、性的サービスを受けながら、なんでこんな人生になってしまったんだろう、とぼんやり考えている。体は醜い中年太り。頭髪もずいぶん寂しくなった。
その時突然、火災報知機がけたたましく鳴りだした。店舗のどこかで火事がおきたのだ。風俗嬢をかばいつつ、必死で逃げようとする光彦。ところが、うっかり足を滑らせて、床にしたたか頭を打つ。それでも女性に逃げるように促して、全裸のまま意識を失う。
次に光彦が見たものは、高校時代にひそかに憧れていた同級生・さつきのセーラー服姿だった。周囲を見渡すと、どうやら授業中らしい。休み時間、トイレに駆け込み鏡を見ると、そこには高校2年生の自分の姿が映っていた。同学年だった幸子も、まだ若く、セーラー服を着ている。これは夢なのか。あるいは、死後に魂だけがタイムスリップしたのだろうか――。
青年誌に連載されていたからだろう。出だしの描写はかなりエログロだ。作者のきらたかしさんの画風も、ところどころ劇画っぽく、あまり今風ではない。きっと、女性読者の大半は、ここで脱落してしまうのではないだろうか。
とはいえ、1986年を主な舞台に物語は展開するので、きらさんのタッチはむしろ時代の雰囲気をよく引き立てているし、光彦のだらしない裸体も、時の流れの残酷さを示す大事な役割を果たしている。決して俗情におもねるために風俗が描写されているわけではない。
光彦の生年は1969年の設定だ。きらさんは1970年生まれのようなので、主人公とほぼ同時代を生きてきたことになる。私も光彦やきらさんと同じ時期に、高校生活を送った。さつきのポニーテールや、幸子の「聖子ちゃんカット」が、なんとも懐かしい。
当時はアイドル全盛期だった。ポニーテールにセーラー服と清楚な斉藤由貴さんや、やや年上で蠱惑(こわく)的な色香を漂わせていた松田聖子さんらが人気を集めていた。肩にかかるぐらいの髪にウェーブをかけた初期の松田さんの髪形は、「聖子ちゃんカット」と呼ばれ、80年代前半にデビューしたアイドルはもちろん、普通の女子高生たちも、競うように真似していた。
高校時代の光彦は、いまで言う「陰キャ」そのものだった。幸子と結ばれたのは、大学卒業後、就職先でたまたま再会したからだ。孤高の美少女のさつきとは、当時、言葉すら交わしたことがない。でも、「二度目の青春」を生きる光彦は、少しばかり事情が違う。なにせ、中身は「おじさん」なのだ。
休み時間、校舎の裏手で一人ウォークマンを手にするさつきに向かい、勇気を振るって「何を聴いているの?」と話しかける。薄く微笑み、彼女は黙って片方のイヤホンを差し出す。流れてきたのは、中村あゆみさんの大ヒット曲「翼の折れたエンジェル」(1985年)だ。イヤホンをシェアしながら、さつきの隣に座る光彦は「ここは本当に天国かも」と至福の表情を浮かべる。
作品では全編にわたり、懐かしいヒット曲が引用されている。あの頃の録音媒体はカセットテープ、再生機はラジカセかウォークマンだ。タイトルの「ハイポジ」とは、カセットテープのグレードのことである。性能が低い方から、「ノーマル」「ハイポジ(ハイポジション)」「メタル」の順だ。登場人物は、レンタルしたレコードやFMの歌番組のエアチェックで、オリジナルのテープをこしらえ、思いを寄せた相手にプレゼントする。
ああ、やったやった! 私自身もつくったし、誰かにもらった覚えもある。でも、よくよく考えると、これって、自分の好みを、相手に半ばおしつけていたわけで、叫びたいほど小っ恥ずかしい。とはいえ、あの頃は、1ミリの疑いもなく、それが愛情表現の一つだと信じていた。懐かしくて、幼くて、振り返ると、なんだか泣きたい気持ちになる。
ともあれ、五感の中でも聴覚にまつわるエピソードは、その時代の記憶を呼び覚ましやすいのだろう。320万部を超えるベストセラー小説「世界の中心で、愛をさけぶ」は、 森山未來さんと長澤まさみさん主演で映画が、山田孝之さんと綾瀬はるかさん主演でテレビドラマがつくられた(ともに2004年)。主な舞台は「ハイポジ」と同じ、1980年代半ばごろだ。「セカチュー」でもウォークマンが重要な小道具として登場する。
比較的最近では、久保ミツロウさんの漫画「モテキ」(2008~2010年)で、各話のサブタイトルに実在する曲名がつけられていた。2010年にドラマ化された際、監督の大根仁さんは、劇中に1990~2000年代の流行歌を多用し、翌年の映画版では短いミュージカルシーンまで採り入れた。漫画、ドラマ、映画のすべてに、「フェス」をめぐるエピソードも盛り込まれている。
私が若かった頃には、まだフェスは一般的ではなく、「モテキ」が世に出た時分には、すでに青春は彼方にあった。だから、個人的にはこの作品に、ノスタルジーを刺激されたことはない。一方で、「モテキ」が描いた時代に恋の季節を過ごした人たちは、私が「ハイポジ」や「セカチュー」で感じたような甘酸っぱさやほろ苦さを、聴覚経由で呼び覚まされたに違いない。
話を「ハイポジ」に戻す。「二度目の青春」を送る光彦は、うって変わってよくモテた。そりゃそうだ。ホンモノの16歳と比べれば、経験値に30年ものアドバンテージがあるのだ。若気の至りでほとんど躓いてばかりだった私だって、いま高校生に生まれ変われれば、少しはマシに人間関係をさばけるに違いない。もっとも、蹉跌も葛藤もない青春時代を、本当に「青春時代」と呼んでいいのか、ちょっと疑問ではあるけれど。
果たして、さつきにも幸子にも思いを寄せられることになった光彦を待ち受けるのは、しかし、意外な結末だ。ネタバレになるので、詳しくは書かないけれど、最終巻で、ある人物と海を見ながら光彦がつぶやく一言は、胸にグサリと突き刺さる。こんなふうに自分が歩んできた道を総括できる光彦は、とてつもなく魅力的だ。
さえない「一度目の青春」を経て、職を失い、妻子に見はなされ、風俗店で絶望していた主人公が、紆余曲折を経てこの境地に到達する。だからこそ、淡い希望に彩られたクライマックスが、切なく光るのだ。
しくじったおじさんの、ノスタルジックな幻想を満たす物語に見えて、その構造は、最終盤で劇的に転換する。主人公は、性差にかかわらず黒歴史を抱えて大人になり、なおくすぶり続けている同世代の投影でもある。そうした読者は、この転換を目の当たりにして、きっと、うずくような痛みを感じるはずだ。
漫画のラストも十二分に秀逸だけど、ネットには、もうひとひねりあるドラマ版の結末を、絶賛する書き込みがいくつもあった。なるほど、この通りの演出ならば、確かに伏線の回収としては完璧だ。ただ、少しばかり甘やかすぎて、メッセージがあいまいになりそうな感じがしないでもない。もっとも、漫画にせよドラマにせよ、こんなラストシーンは、とうてい私には紡ぎ出せない。きらさんや、演出・脚本家の才能に、まったくもって脱帽する。
漫画の最後のページには、1986年の渡辺美里さんの大ヒット曲「My Revolution」の歌詞が全文掲載されている。この曲はドラマでも使われているようだ。
「きっと本当の 悲しみなんて 自分ひとりで癒すものさ」
こんなにエモい名曲を、最後の最後に配置するなんて、もう反則以外の何物でもない。
首都圏での再放送を、心から待ち望んでいる。
#ハイポジ #漫画 #カセットテープ #テレビドラマ #TenYearsAgo