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憂鬱な雨に思う――誰もが誰かを支えている

 東京は憂鬱な雨が続いている。小さく窓をあけ、自宅で仕事をしていると、濡れながら一生懸命働いている人たちの姿が見える。バイクの郵便屋さん、自転車で新聞を配る人、軽自動車の宅配スタッフ。コロナで社会の活動が止まったときも、彼や彼女はいつもと変わらず、はがきや新聞、荷物を届けてくれた。

 学生時代、郵便配達と宅配便のアルバイトをした。当時はスマートフォンもナビもなかったから、まずは配達エリアの地理を、必死で頭にたたき込む。それでも当然、道に迷う。開いた地図に、うまく自分の場所を重ねられず、いつも目的地にたどりつくのに苦労した。高度成長期より前に建てられた団地には、たいてい、エレベーターがない。宅配便は言わずもがなで、郵便物も、1階にポストがなければ、その人の部屋まで届けなければならない。一日何度も、階段をのぼったり、くだったり。まだ若かったから、なんとか頑張ることができたけど、終業時間が近づく頃には、いつも足が棒のようになっていた。

 配達のアルバイトは、集配拠点での仕分け作業にも借り出された。夏の暑さや冬の寒さは、外で配達している時はもちろん、屋内作業でも結構こたえる。私が経験したバイト先で、作業場まできちんと冷暖房が備えられていた拠点は、ひとつもなかった。夏は熱気でむせかえり、滝のように汗が流れる。冬は体が芯から冷えて、がたがた震えながら作業した。こうして書くと、結構ブラックな職場だなあ、と感じるが、いい悪いは別として、あの頃の「現場」は、恐らくどこも、そんなに大差はなかったはずだ。

 いずれのアルバイトも、そこそこ時給は良かった。とはいえ、飛び抜けて高いわけでもない。給料日、茶封筒に入ったお札を数え、「あれだけ働いて、こんなものなんだ」とため息をついた。お金を稼ぐのって、たいへんだ。社会人になったら、これを何十年も続けなければならないのか、と感じ、軽いめまいがした。

 缶コーヒーのCMではないけれど、この世の中は、すべて誰かの仕事で出来ている。キラキラした片仮名職業の人たちも、感染症に立ち向かう医療従事者も、黙々と給付金の振り込み作業にあたる公務員も、みんなが社会を支えている。当たり前だけど、そこに上下は存在せず、キラキラな人たちだって病気になれば医者にかかるし、役所が機能しなければ国保制度は回らない。給付金の振り込みは郵便はがきで案内されるし、郵便屋さんがアマゾンを使えば自宅に商品が宅配される。今ではネットもあるけれど、新聞配達の人が届けてくれる紙面で、ニュースに触れる人もまだまだいる。

 私みたいな物書きは、「虚業」と言われることがある。だけど、きっと誰かの役にはたっている(と信じたい)。何十年も働き続けて、いままた思う。お金を稼ぐのって、やっぱりたいへんだ。

 再び窓の外をのぞく。雨に打たれて働くみなさんが、どうか風邪など召さないように。もちろん、雨に打たれず働く人たちも、健康だけには気をつけて。

 雨もコロナも気が重いけど、誰もが誰かを支えているということを、改めて感じさせてくれた。

 

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