かけがえのない旧友について
ライダースーツを着て、モトクロスのバイクに乗りながら、いつも洋モクをふかしている。身長百七十センチ、短髪で、皮肉屋で、困ったことに美人——。同じ大学に通っていた友人は、そんな女性だった。
彼女とどういう経緯で知り合ったのか、よく思い出せない。気が付くと、なんとなく仲間の輪にいた。とはいえ、やさぐれた猫のような性格だから、いつも一緒というわけでもない。ふらりと姿を現して、気まぐれに話をまぜっかえし、たまに皮肉が過ぎてその場を凍らせる。
そんな彼女が、別の学部の先輩に片思いしていることを、偶然知った。なんだか意外な気がして、俄然、相手に興味がわいた。もちろん、いたずらに詮索するほど無粋ではない。あれこれ想像していると、ある時、キャンパスでたまたま二人がいるのを見かけた。ちょっとだけ驚いた。会話までしたわけではないので、あくまで印象だけれども、たくましい想像に反し、先輩はいたって「普通」の男の子だったのだ。
すぐ爪を立てる気まぐれな猫を夢中にさせるのだから、どんな猛獣使いかと思っていたのに、爽やかで、優しそうな、とびきりイケメンというわけでもない男の子。それがかえって、彼女に対する私の好感度を引き上げた。彼に寄り添う彼女は、かつて見たことのないぐらい「女の子」だった。ああ、こんな表情もするんだね。そう感じると、彼女との距離が少し縮まったように感じられたのだ。
果たして、彼女は先輩に失恋した。理由はわからない。その時もその後も聞かなかった。恋愛に関しては、しくじりのほうがはるかに多い私だったから、もし相談されていたとしても、適切な答えを返せなかったし、上手に慰めることもできなかっただろう。言わない彼女は賢明だった。
その後に迎えた就職活動で、彼女はすごい倍率を突破し、とある放送系のマスコミに内定を決めた。地味と言うか、堅実と言うか、そんな校風の大学だったから、少なくとも当時、マスコミに就職する学生などほとんどいなかった。
「すごいね」と私が言うと、彼女はいつもの素っ気なさで、「ん、やめた」と答えた。やめた? やめたって、何を? 「私、アナウンサーやりたかったのよ。でも、受かったの、総合職。しゃべれないんだったら、行く意味ないかなって。辞退しちゃった」。
彼女らしいと言えば、いかにも彼女らしいけど、私はびっくりした。総合職とはいえ、入った後、しゃべる仕事に異動する機会だってあるんじゃないの? そもそも、どれだけの人たちを押しのけて合格したと思っているんだ。「うーん。まあ、そうだけど。しゃべる機会が本当にあるかわかんないし、だったらもういいかなあって」。
で、就職はどうするの? 私が尋ねると、彼女は中堅どころの情報会社の名前を挙げた。そこからも内定をもらっているらしい。いや、情報会社がダメだなんてまったく思わないけれども、アナウンサーじゃなければ情報会社っていうのは、またすごい振れ幅だね。「そう? 自分としては、まあどこでもいいや、って気持ちだから」。彼女はたばこの煙を吐いて、そう笑った。どこまで演出したシニカルなのか、これがこの子の「本性」なのか。よくわからないまま、私も、はははと空笑いした。
卒業後、私が東京にいたころは、年に1回か2回、仕事を終えて、一緒に食事をした。彼女が新しい恋を始めたと聞いたのも、確かどこかの居酒屋だった。
彼はとある現業系の仕事をしているという。大学時代の片思いの先輩は、専門性の強い学部に在籍していたので、卒業後はその分野の職に就いたらしい。先輩も新しい彼も、マスコミや情報とはまったく無縁だ。私はまた少し、彼女のことが好きになった。
三十代の一時期、しばらく地方で暮らしていたので、在京時代のようには彼女と会わなくなった。代わりに、忘れた頃にメールや電話がある。「元気か?」「生きてる?」みたいな内容だ。それらとほとんど同じトーンで、ある日、「結婚した」と連絡があった。居酒屋で話してくれた彼と一緒になったという。続いていたんだ。おめでとう、と私は返した。
彼女の勤務先は、世間をにぎわせたとある経済事件の余波を受けて、資本関係が二転三転した。それがどれほど影響したのかわからないけど、彼女はほどなく、会社を辞め、二人の子どもを授かった。遠方にいた私はそのことを、フェイスブックで知った。忙しく子育てしているようだったので、東京に帰ってきた後も、リアルに顔を合わせることはほとんどなかった。
事情があって、旦那さんが離職せざるを得なくなり、彼女は育児の傍ら復職した。今度はまったく畑違いのIT企業だ。彼女がそっちに明るいとは一度も聞いたことがなく、びっくりした。どうやらほとんど自力でスキルを身につけたらしい。今ではプロジェクトをまとめる立場にあるそうだ。
私は物を書く仕事しかしてこなかったので、彼女の努力と才能を、心底すごいと感じる。フルタイムでバリバリ働きながら、家事と育児をこなし、夫も支えている。たまに会うと、相変わらず洋モクをくゆらせて、皮肉の一つや二つは吐き捨てるけど、時間がくれば、「じゃ、私、息子迎えに行って、ご飯つくるわ」と帰っていく。長身をちょっと猫背に折って、飄々と歩くその姿は、年相応の老いを除けば、あの頃の彼女のままだ。
大学を卒業してから、もう長い時間が経つ。彼女がこんな素敵な「妻」や「お母さん」や「働く女性」になることを、学生時代の誰が想像しただろう。ある時、そんなことを口にしたら、「私も思ってもみなかったよ」と笑っていた。それがまた格好良く、ああ、先輩は見る目がなかったな、とつられて笑った。
時間が彼女を変えたのか。いや、きっと、彼女の雛形みたいなものはずっと昔から同じだ。だからこそ、私は昔も今も、彼女といる時間が好きなのだ。翻って、自分は、誰かをそんなふうに心地よくさせられる、何かを身につけているだろうか。
決して押し付けるわけではなく、ただ一緒にいるだけで、穏やかに自分を省みる機会すら与えてくれるーー。そんな彼女を、本当にかけがえのない友だちだと感じている。