消えた喫茶店

 通っていた高校の最寄り駅近くに、喫茶店が三軒あった。国鉄がJRに変わる前後のことだから、もうずいぶん昔の話になる。

 本当は校則で禁じられていたのだけれど、あの頃、よく喫茶店に通った。文化祭や生徒総会が近づくと、私たちのいた生徒会は猛烈に忙しくなる。四時過ぎに授業が終わり、校舎三階の外れにある生徒会室に駆けていく。「完全下校」の七時まで、活動できるのは三時間弱。それを過ぎると、問答無用で追い出される。だから、喫茶店は「風呂敷残業」する場所だったのだ。

 なんでそんなに時間がかかるのか。当時はまだ、パソコンどころかワープロすらも普及していなかった。だから、生徒に向けた会報も、先生に提出する企画書も、ぜんぶ手書きでつくる。

 まず原案を、鉛筆でわら半紙に書く。それをみんなで手直しし、文章を完成させる。続いて、字のきれいな女子が、半透明のフィルムを鉄筆で削り、文字を写す。小さなミスは専用の修正液で直せるけれど、大きくしくじると最初から全部やり直しだ。そこまでなんとか仕上げたら、今度は小さなドラム型の輪転機にフィルムを貼り付ける。輪転機のレバーを手動でぐるぐる回すと、文字の載ったわら半紙が、一枚ずつ吐き出されるのだ。当時、一学年の学級数は十以上。一学級四十五人だったので、全校配布になると、千五百回近く回さないとならない。ときに半べそをかきながら、仲間と交互に印刷を続けた。

 さすがに酷だと思ったのか、ほどなく先生が、教職員用の電動輪転機を生徒会に払い下げてくれた。さらに、原稿を自動でフィルムに転写する装置も配備された。ずいぶん楽になったけど、「すべて手書き」の基本は変わらない。印刷時に発生する饐(す)えた油のような匂いも、そのままだった。

 改めて「ガリ版印刷」の仕組みを書き出すと、「我ながらよくこんなことをやっていたものだ」と半笑いしてしまう。パソコン、せめて、ワープロがあれば、会報も企画書も、ずっとスムーズに仕上げられたのになあ。

 いまどきの高校生は、ワードやエクセルぐらいはきっと使える。だとすれば、誰かがつくった初稿を、クラウド上でみんなで直し、ネットで飛ばして複合機で自動印刷――みたいな工程になるのだろうか。そこまで洗練されていなくても、鉄筆や手動で動かす印刷機なんて、現役高校生には想像すらできないに違いない。

 話がだいぶ脱線した。いずれにせよ、当時の生徒会活動は、何かと時間がかかったのだ。結果、喫茶店での延長戦に至る。

 ただ、それが苦痛だったかというと、少なくとも私は違った。むしろ、わくわくしながらやっていた。スターバックスもタリーズもない時代。喫茶店は今よりずっと、オトナな空間だったのだ。

 いちばん通った一軒は、店内に芳醇なコーヒーの匂いが漂い、静かにジャズが流れ、サイフォンがこぽこぽと低い音をたてていた。年季の入った飴色の机、誰かがつけたタバコの跡(禁煙の喫茶店なんてなかった)。無愛想なマスターさえも、あの頃の私にとっては、「オトナな感じ」の一要素だった。

 今より夜が、ずっと暗くて静かな時代。喫茶店は蛍のごとく、闇夜に小さな明かりを放っていた。その片隅で、コーヒーカップを傍らに、文章や企画を考えるのは、本当に楽しかった。気の合う仲間がいて、ちょっと好意を抱いている先輩も一緒なのだ。ずっとその場にいたくって、流れる時間が恨めしかった。もちろん、遅く帰宅するたびに、両親には大目玉をくらったけれど。

 卒業して何年か経った頃、その駅前からまず一軒、喫茶店が消えた。さらに数年後、もう一軒が、チェーンの弁当屋さんになった。残るはこの一軒だけか。そんな感傷的な気持ちになって、久しぶりに店の扉を押した。しばらくしてから再訪すると、その喫茶店は、建物ごと消失していた。同じ場所に、ファミリーレストランと居酒屋とドラッグストアが入るビルが建っている。景色が変わりすぎていて、一瞬、場所を間違えたのかと思ったほどだ。

 大学に進んでからも、三軒目の喫茶店にはときどき足を運んだ。仲が良かった異性に甘えて、ひどい失言をしてしまい、その場で絶縁されかけたこともある。人目もはばからず、必死で詫びた。あのときは、客に無関心なマスターに、なんだか救われたような気分になった。

 いま、このnoteの原稿を、自宅近くのカフェで書いている。誰でも知ってるチェーン店だ。清潔で広く、フリーWi-Fiも使え、夜は九時まで営業している。

 「だけど、あの頃のように、わくわくしないのだ」。そんな座りのいい文章で、結びを書こうかと考えて、キーボードから手を離す。そういうまとめは、なんだかちょっと、ずるくて、こざかしい。

 あの三軒は、たぶん、客が来なくて消えたのだ。ずっと通い続けたわけでもないのに、ノスタルジーにまかせて「青春時代を過ごした喫茶店がなくなり寂しい」「最近のカフェは快適だけど味気ない」と綴るのは、身勝手で自分に酔った、薄っぺらいセンチメンタリズムのような気がする。

 ガリ版印刷はすでになく、喫茶店も年々数を減らしている。感染症が猛威を振るう今年、喫茶店の経営は、かつてないほど苦しいだろう。

 「あの時、もっと恋人に優しくしていれば」。若い頃、失恋するたびそんな思いを引きずって、無自覚に涙ぐんでいた。あるとき、それが自分の悪癖であることに気がついて、羞恥のあまり、「死にたい死にたい死にたい」と一人で連呼した。

 ああ、危ない。安易な郷愁に流された文章を、うっかりネットで公開し、誰かに「ぺらぺらの自己陶酔」と正しく見抜かれたら、またもや死にたい気持ちに襲われる。若い頃ですら、恥ずかしくて悶絶したのに、いまこの年齢で羞恥心にもんどり打つのは、それこそ死ぬほどきつそうだ。

 ともあれ明日は、商店街の喫茶店に行ってみよう。消えた三軒に趣の似た、街の老舗だ。カフェはその道中にある。

 フリーWi-Fiとコンセントの誘惑に勝てるだろうか。なんだか早くも、自信がない。

#生徒会 #喫茶店 #ガリ版 #TenYearsAgo

 

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