「なぎさボーイ」「多恵子ガール」
氷室冴子さんをご存じだろうか?
1980~90年代に集英社のコバルト文庫を中心に活躍していた作家さんだ。ある年齢以上の女性であれば、若い頃、一度ぐらいは作品に触れたことがあるかもしれない。私も中高生時代、繰り返し読んだ。
氷室さんの文章は軽やかだ。すらすら読める。難しい言葉は極力使わず、流れるように物語が進む。何げない日常の描写がすこぶる達者で、気づくと、ほくほくとした幸福感とともに、最後のページにたどりついている。
たぶん、氷室さんの小説でいちばん売れたのは「なんて素敵にジャパネスク」シリーズだろう。平安時代が舞台のラブコメで、貴族の家に生まれた16歳の少女が主人公だ。富田靖子さんの主演で、ドラマ化もされている(1986年)。しっかりとした時代考証のうえに、現代的な要素もふんだんに盛り込まれている。軽やかな筆致もあいまって、読んでいてまったくくたびれない。「ジャパネスク」シリーズをきっかけに、古典に興味を持った同世代も少なくないだろう。
とはいえ、自分にとっての「氷室冴子、この一作」といえば、なんといっても「なぎさボーイ」(1984年)と「多恵子ガール」(1985年)である(二作になりますね)。前者の主人公は「なぎさ」という名前にコンプレックスを抱く自称・硬派な男の子、後者はおせっかいで快活な幼なじみの女の子だ。「なぎさ」はなぎさ視点の一人称で描かれる。対する「多恵子」は多恵子の目から見た世界の描写だ。互いに互いは「気になる存在」だけど、それを「恋愛感情だ」と意識するにはまだ少し幼い。今から考えると、当時の中高生は本当におぼこかったなあ、と感じるが、リアルタイムで時代の空気を知っている人には、「そうそう、確かにこんな感じだった」と共感してもらえると思う。
二作はほぼ同じ時間軸を描いている。「なぎさ」を読むと、「なんだ、多恵子はずいぶん無神経でがさつだな」と感じられる場面もある。ところが、「多恵子」をめくると、同じシーンで多恵子がひどく傷ついていることがわかる。もちろん、その逆のケースもあって、多恵子は意図せず、なぎさのプライドをずたずたにしてしまっているのだ。
今のようにスマホもLINEもない時代。親の目を盗んでかける自宅の固定電話以外、誰かとコミュニケーションをするには、直接会って話すか、せいぜい、手紙を出すしかなかった。だから、いちばん自分が理解して、理解してくれてもいるはずの幼なじみ同士だって、気持ちがすれ違う。失言はなかなか撤回できず、そもそも失言であったことにすら気がつかない。思いを伝え、心を通わすハードルが、今よりずっと高かったのだ。
ネタバレすると、noteで連載した小説「Ten Years Ago」は、「なぎさ」と「多恵子」に着想を得た。前回説明したように、この作品には「Ten Years After」という続編がある。主人公は、前者が気弱でネクラ(当時はまだ「オタク」という言葉はあまり一般的ではなかった)な男子高校生、「After」は1995年の彼の恋人だ。「なぎさ」と「多恵子」は発売間もない頃に読んだので、自分の中には自作を書くまでの10年間、二作の影響が強く残っていたことになる。
「Ago」と「After」では、時間軸のずれは大きいし、筋運びも「なぎさ」や「多恵子」とまったく異なる。でも、「親密な二者間にさえ存在する、深くて埋めがたい隔たり」を「両者それぞれの視点から描く」という基本的なコンセプトは、氷室さんから拝借した。完全に私淑だが、自分の文章の最初の「師匠」は、間違いなく氷室さんである。
晩年、氷室さんは体調を崩しがちになった。「弟子」としてはまったく不義理だけれど、新作がなかなか出ないなあ、と思っていた頃に、新聞で訃報を知った。2008年6月のことだから、もう12年も前になる。享年51。肺がんだったという。呆然として、しばらく声も出なかった。
「なぎさ」も「多恵子」も、今でもアマゾンで購入できるようだ。この拙文で、もし興味を持ってくださった方がいたら、ぜひ読んでみてほしい。
今やネットで、誰もがすぐにつながれるようになった。1985年はもちろん、1995年でさえ、こんな未来がここまで早く訪れるとは、思いもよらなかった。「なぎさ」や「多恵子」は、現在では成り立ちにくい物語なのかもしれない。それでもなお、色あせない魅力を放っているのは、思春期の普遍的な葛藤を描いているからだろう。すべてのキャラクターが、個としての輪郭を持ち、活字の上で跳んだりはねたり落ち込んだりしている。
今回、古い自作を打ち直す作業をしながら、氷室さんの早世を、改めて残念に感じた。
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