連載初回(だけ)、100回読んでいただけた。感謝とお礼と反省と

 きょう、「Ten Years Ago 1985(小説・連載①)」のビューが100を超えた。いただいたスキは24。noteをはじめたごく初期の、6月24日に投稿したので、3週間ほどかかったことになる。本当にうれしく、読んでいただいた方、スキをつけてくださった方に、心から感謝している。ありがとうございました。

 繰り返しになるけれど、この小説は今から25年前に書いた。原稿用紙で70枚。データを保存したフロッピーディスク(!)は行方不明だし、仮に見つかったとしても、フロッピーディスクドライブ(!!)が手元にない。粗さも目立つ内容だったので、noteをはじめたことをきっかけに、あちこち手を入れ、全文を打ち直した。

 舞台は1985年、登場人物はみんな高校生だ。私はもう、ずいぶん前に、制服を脱いでいる。うんうんうなって遠い昔を思いだし、青春ど真ん中をモチーフにしたバンドのPVにも力を得て、10回分の連載を終えた。

 当初は「古い自作をデジタルで残しておきたい」という思いが強かった。でも、書き進めるうちに「誰かが読んでくれたらうれしいな」と欲が出てきた。私は長く、文章を書いて糧を得てきたけど、これには対価は生じない。有料noteで成功している方もいらっしゃるが、素性の分からぬnote初心者の小説に、お金を払っていただけるとはまったく思っていなかったから、最初からすべて無料公開すると決めていた。

 もちろん、仕事でパソコンに向き合うときだって、銭勘定ばかりしているわけではない。とはいえ、まったくお金に無頓着かといえば、正直、噓になる。だって、食わねばならぬのだ。

 でも、今回に限って言うと、生々しい思いは微塵もなく、手直しとはいえ、書きたいように、のびのび書けた。「デジタルで残す」から「読んでほしい」へ。古い原稿をウェブに移す作業をしながら、ずっとわくわくしていた。文書を綴る人の思いは、きっと誰もが共通だ。一番の動機は「書くのが楽しい」。不動の二番は「誰かに読んでほしい」だろう。もちろん、生業(なりわい)になればお金だって考える。でも、原点は揺るぎなく、この二つ。少なくとも私はそうだ。久しぶりにずっとわくわく書けたのは、それを思い出したからなのだ。

 1人でも読者がいれば、うれしい。100人いたら、100倍うれしい。あきれるほど単純だけど、実際にそうなのだ。こういう気持ちを、決して忘れてはいけない、と改めて感じる。テレビやゲーム、SNSと、世の中には楽しいものが山ほどある。にもかかわらず、いくらかの時間を、自分の書いた小説に充ててくれたのだ。5人に1人はさらに一手間、スキまでクリックしてくれた。もう感謝しかない。

 これも以前に書いたけど、連載は初回のビューが最高で、次第に数が減っていき、最終回は13だ。自分の投稿のうち、かなりぶっちぎりで最下位である。つまり、小説は、ちっとも通して読まれていない。本当は、初回の「ご祝儀ビュー」「ご祝儀スキ」に浮かれていては駄目なのだ。連載から読者が離れた理由について、もっとちゃんと、考えないとならない。こうした作業は、必ず、自分の本業にも役に立つ。

 押し売りみたいで恥ずかしいけど、もう少しだけ読み進め、「ここがつまらん」「あそこがいけない」と教えてくれたら、ありがたい。メンタル弱めなので、ちょっとだけ手心加えて、お願いします!

#TenYearsAgo #小説 #生徒会 #後夜祭 #連載

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