女優を目指したがために(4)メソードアクティングとクイーンズカレッジ時代
さて、そのメソードアクティングのクラスに関してあまり細かくはここでは書かないが(知りたい人はググって下さい)、もしたまたま通り掛かった人がクラスの光景を目にしたとしたら ”ぎょっ”とする事は間違いない。やばい人たちの集まりか??みたいな。しかもアメリカあちこちから集まって来た役者を目指すアメリカ人の集団だ。 度肝を抜かされる場面を沢山垣間見た。
多分どこの学校に行ってもこのメソードアクティングというクラス構成は同じものだと思う。
1クラス4時間構成になっていて、最初の1時間がリラクセーション、その次にセンソリーメモリーエクササイズ(感覚の再現)をやる。15分くらいの休憩を挟んで後半の2時間で4組ほどのシーンスタディをやる。クラスの一番最初に先生がペアを組ませるのだ。この4つのシーンスタディで発表して先生に見て貰い批評を貰うには前持って予約が必要なのだ。定員オーバーなら発表できない。予約は前日に電話で行う。
ここで発表する為には1週間の間にシーンパートナーと一緒に何度かリハーサルを行わないとそもそも発表出来ない訳で、このパートナーと自分でスケジュールを組み、リハーサルの場所を決め練習し、予約を入れる訳だがこの一連の作業はよほどコミットメントがない限り成り立たない。みんな仕事や学校もある、リハーサルは大体どちらかの家に行く訳だが、ルームメイトがいたり配偶者が居たりする訳でスケジュール組むのも難しい。
芝居のリハーサル自体が異様なので、同じ部屋に他人がいたりするととても出来たものではない。
このクラスに来ていた生徒達は全体に年齢層が高めだった。
当時私は23くらいだったが、圧倒的に30代が多かった。大学在学中というのは私以外に数人いたと思うが大体は社会人か他州である程度活躍していたが、ニューヨークに来てちゃんとトレーニングを受けてプロを目指す為に来ていた人などもいた。仲良しになったキャシーはオクラホマ出身で地元の大学でダンスを教えていた。ミュージカルなども多数出演していてローカル新聞に記事なんかも載っていた。私的には凄い!!プロだーって感動したんだが、実は地方で幾ら実績があってもニューヨークに出てくると全くの無名で、ニューヨークではニューヨークの名だたる学校などでまともなトレーニングを受けていないと評価されない事を知った。
最初私だけが外国から来たよそ者だと思っていたが、アメリカ人でも地方からニューヨークに出て来てる人の多くは私と同様、この街で慣れ、この街でサバイバルする為に不安をいっぱい抱えながら必死に適応しようと頑張っていた事を知って仲間意識が芽生えたのを覚えている。
西海岸のロスに行くとあちらはハリウッドの世界なのでトレーニングよりも
”お金になる仕事”を取れる可能性が高い。
ニューヨークは舞台が中心で実力をつける為にレベルの高いトレーニングを受けれるクラス・学校が沢山ある。ロスに行っても結局勉強するためにニューヨークに戻ってくるアクター達も沢山いた。
アクター用のレジメに ”どの学校” で ”誰の” トレーニングを受けたかという経歴が重視されるという事実がある。
映画やテレビ向けにカメラを使ったクラスなどもあるにはあるが、このメソードアクティングの様な、ある意味古典的な演技のクラスなどが公に ”認められている” 正規のトレーニング的な立ち位置だったと思う。 実際の稽古場はブラックボックスと呼ばれる窓も何もない真っ黒に塗られた舞台と真っ黒の正方形のボックスから成り立っていてシーンに寄ってそれらを動かし、架空の空間を作り出して稽古をするのだ。
このクラスではみんな素の自分をさらけ出さない訳には行かなかった。
20−30人近くの生徒が前のめりになって見ている舞台の上でとても無防備な状態での稽古。着替えるシーンなんかも多く、人目を気にしていては出来ない。裸になってまるでマスターベーションの様なことを始められた時は面食らった。
90年代前半のニューヨークはセラピーに通うというのが多くの人の日常になっていた時期で、
このアクティングクラスがまるでセラピストの様だと感じていた人も沢山いたと思う。
それ程ディープなレベルで ”自分と向き合う” 事が不可欠な環境だったし、このメソードアクティングというのはとても特殊なクラスだった。
それとは対照的に大学でのアクティングの授業はもう少し軽かった。軽いという表現が適切かどうかは分からないが、メソードのクラスの重さと比べると気分的にはかなり軽かった訳だ。 大学でアクティングクラスを取ってる生徒達もも大体が私より年下の若い学生で殆どがそこまで真剣に演劇を学ぼうと思っている生徒自体少なかったのでそもそもクラス全体の雰囲気も軽い。
私は大学では演劇をメジャーにしていたので、裏方の技術を学ぶテクニカルなクラスやコスチューム、演劇史など様々なクラスを取った。
そして2年が過ぎた頃、クイーンズでの通学も暮らしにも飽き飽きして来て
ついにマンハッタン、憧れのイーストビレッジに引っ越す事にしたのだ。
そこから暫くはクイーンズの大学に通いながらタイムズスクエアーの裏側のメソードアクティングクラスは週2回取り続けた。
続く