【前編】百貨店から生まれた生産牧場【ドン・アルベルト牧場】
ドン・アルベルト牧場、知ってますか?
ドン・アルベルト牧場という名前を聞いたことはありませんか?
もっとも有名な点は、ユニークベッラ(Unique Bella)の所有者ということでしょう。アメリカのGⅠを3勝し、エクリプス賞も受賞したあの名牝です。
また、ドン・アルベルト牧場にはシーキングザダイヤが繋養されています。日本で走っていたあの2着の達人です。
海外競馬に詳しい人なら、ミッドシップマン、メンデルスゾーン、コンスティテューションなどのシャトル先となったチリの生産牧場という認識かもしれません。
ですが、ドン・アルベルト牧場の運営母体について知っている人は少ないと思います。
「ドン・アルベルトってどういう意味?」
「アルベルトさんが運営している牧場なの?」
「なんでアメリカの一流馬をシャトルできるの?」
前編となる今回は、チリで天下を取ったドン・アルベルト牧場を解剖していきます。
アルベルト・ソラーリ・マニャスコ
話はすっごく遡ります。
今から110年前の1912年、チリでアルベルト・ソラーリ・マニャスコという人物が生まれました。"Magnasco" というのはイタリア系の名前なので「マニャスコ」と読みますが、スペイン語で「マグナスコ」とも読めます。南米にはイタリア移民の血を引く人が多く、イタリア語名をスペイン語発音するというのが普通に行なわれているので、マニャスコでもマグナスコでもどっちでもいいと思います。
アルベルト・ソラーリは1937年にファラベッラ(Falabella)という会社に勤めます。チリに移住したイタリア人のサルヴァトーレ・ファラベッラが1889年に創業した百貨店で、現在はチリ、ペルー、コロンビアなどに支社を持つ南米大手の小売企業です。アルベルト・ソラーリはファラベッラ社の事業拡張に大きく貢献し、同社の会長にまで上り詰めました。
ファラベッラ社について詳しく知りたい方は、ジェトロのビジネス短信がオススメです。事業は小売業に留まらず、金融グループでもあり、国内外でバッコバコ買収を仕掛けています。
そんなアルベルト・ソラーリが競馬事業に参入したのは1954年のこと。イギリスからビッグバーン(Big Burn)という種牡馬と何頭かの繁殖牝馬を購入し、タラパカー牧場(Haras Tarapacá)を開きました。その後も次々と外国から繁殖馬を導入してチリの馬産向上に貢献し、チリ競馬の要職も歴任しました。
その功績を称え、アルベルト・ソラーリ・マニャスコは現在ではチリのGⅠ競走のレース名となっています。毎年10月末にチレ競馬場で行なわれる3歳牝馬限定のダート2000m戦です。2021年のこのレースを勝ったのは、サッカーのアルトゥーロ・ビダルが生産・所有するシーキングザダイヤ産駒のヴィータダマンマ(Vita Da Mamma)でした。
アルベルト・ソラーリ・マニャスコは、ファラベッラ社の創業者サルヴァトーレ・ファラベッラの孫娘エリアーナ・ファラベッラ・ペラガッロと結婚しました。リリアーナ、マリーア・ルイーサ、テレーサという3人の娘が生まれます。3人とも後に生産牧場を開くことになりますが、今回の主役は長女のリリアーナ・ソラーリ・ファラベッラです。
リリアーナ・ソラーリ・ファラベッラ
1986年にアルベルト・ソラーリが亡くなると、ファラベッラ社の会長は弟のレイナルド・ソラーリ・マニャスコに引き継がれました。3人の娘が持っていた権益は守られ、リリアーナにも大きな財産が残されました。
リリアーナは酪農とその製品の輸送で成功をおさめ、1994年にベシア・グループ(ベシア・ホールディングス)を設立しました。現在は名誉会長の座に就いています。ファラベッラ社の株を持つだけでなく、メディア、不動産、福祉、航空、競馬など、チリの生活の大部分に携わっている大企業です。
ちなみに、ベシアという社名は馬名に由来します。1984年にタラパカー牧場で産まれ、1987年のGⅠ1000ギニーを勝利したのがベシア(Bethia)です。
1987年、父親から競馬への情熱を受け継いだリリアーナは、チリ中部のビオビーオ州ロス・アンヘレスにサラブレッドの生産牧場を開きました。彼女はこの牧場に父親の名前をつけました。これがドン・アルベルト牧場(Haras Don Alberto)の始まりです。"Don" はスペイン語で「○○さん、〇〇氏」を意味します。
カルロス・エジェール・ソラーリ
現在、ドン・アルベルト牧場はリリアーナの息子であるカルロス・エジェール・ソラーリが運営しています。本名はカルロス・アルベルト・エジェール・ソラーリといいますが、ドン・アルベルト牧場のアルベルトは祖父アルベルト・ソラーリ・マニャスコのアルベルトを意味します。
カルロス・エジェールはベシア・グループの会長であり、サンティアゴ競馬場の現会長でもあります。サンティアゴ競馬場の株の 5% から 10% をベシア・グループが保有しているためです。
生産牧場の長が競馬場の長も務めている、しかも大金持ちということで、アンチ・エジェール勢もかなり存在します。ドン・アルベルト牧場の馬がビッグレースを勝つと、不正やら八百長やらと騒がれます。2022年のエル・デルビー(チリ・ダービー)は大変でした……。詳しくは ☞ こちら。
ベシア社というチリ有数の大企業による莫大な資金を背景に、カルロス・エジェールはアルゼンチンをはじめ、アメリカやイギリスから馬を購入し、牧場を拡張していきました。
ドン・アルベルト牧場が今の姿になる転機は2013年に訪れます。
2013年、チリ中部のマウレ州ロンガビーにあった名門マタンシージャ牧場(Haras Matancilla)が解散を発表しました。この生産牧場はイルマス家が運営していたのですが、代表のカルロス・イルマス・アターラが亡くなると、牧場が売りに出されることになりました。これを購入したのがカルロス・エジェールです。
マタンシージャ牧場の施設と馬はドン・アルベルト牧場に統合されました。このときマタンシージャ牧場で種牡馬として繋養されていたのが、イワンデニソーヴィチとシーキングザダイヤです。2頭は1度別の牧場に移りましたが、現在はドン・アルベルト牧場で供用されています。
同年、エジェール・ソラーリは海外にも買収の手を広げます。レキシントンにあったヴァイナリー・ファームを買収し、アメリカで馬産事業を始めました。すでにアメリカでも重賞馬を輩出しています。ユニークベッラの初仔ウナベッラドーロ(Una Bella d'Oro)もここで誕生しました。
南米大陸には優秀な牧場がたくさんあります。その中でも、圧倒的な資金力、競馬界とのコネクション、一流の施設を誇るドン・アルベルト牧場は、南米どころか世界有数のサラブレッド生産牧場と言っても過言ではないでしょう
【まとめ】
大手百貨店ファラベッラ社の会長アルベルト・ソラーリ・マニャスコが、1954年にタラパカー牧場を開く。
アルベルト3人娘の1人であり、大企業ベシア・グループの名誉会長リリアーナ・ソラーリ・ファラベッラが、1987年にドン・アルベルト牧場を開く。ドン・アルベルトは父親の名前。
リリアーナの息子であり、ベシア・グループ現会長のカルロス・エジェール・ソラーリが、国内外でドン・アルベルト牧場を拡張。現在に至る。
最後に余談です。
チリにはBCマイルの優先出走権が与えられるGⅠクルブ・イピコ・デ・サンティアゴ - ファラベッラ・ブリーダーズカップというレースがあります。このファラベッラはファラベッラ社のことです。
また、サンティアゴ競馬場最大の競走はGⅠエル・エンサージョ・メガといいます。メガ(MEGA)というのはチリのテレビ局の名前です。MEGAは2012年にベシア・グループに買収されました。
レース名を見るだけで、ソラーリ家がチリの競馬界に対してどれだけ大きな影響力を持っているかが分かります。
あとこれは推測なんですけど、ユニークベッラの "Bella" は、イタリア語で「美しい」を意味する形容詞 "Bella" であると共に、ファラベッラのベッラなんじゃないかと思っています。
後編では、アルベルト・ソラーリ・マニャスコの3人娘の残る2人、次女マリーア・ルイーサ・ソラーリ・ファラベッラと、三女テレーサ・ソラーリ・ファラベッラについて紹介します。この2人も生産牧場を開き、チリの競馬に対して大きく貢献しました。
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木下 昂也(Koya Kinoshita)
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