ハル・ノート①
私がお母さんから逃げて、一週間が経った。この一週間、私はホームレスとして暮らしていた。どこかに捨てられている物を口にし、人目に付かない場所を探し、そこで何もせず、じっとする日々。私は川辺でボーっとしていた。私の目の前に、一人の男が現れた。男は私に襲い掛かってきた。私の汚い服を脱がせ、私の汚い体に、男の汚い体で何かし、楽しんでいた。
「抵抗したら殺す」
男は言う。殺されたらたまらない。死ぬ位なら、代わりに誰かを殺した方がマシなのに。私は殺されないよう、何も抵抗しなかった。
しばらく、時間が経った。私は物凄く、この男を殺したくなった。私は今まで、自分の命が危ない時にしか人を殺した事がない。でも「殺したいから」という理由で、人を殺して良いと思えた。
男の頭に、両手を置いた。男は私の両手を放置し、動き続けた。しばらくして男の動きが止まり、同時に両目を閉じた。男の両目に、私は親指を突っ込む。男が私から離れた。嬉しい。近くにあった石を取り、男を追う。男の頭に、石を何回も何回も打ち付けた。男は死んだ。
しばらく経って。とてもお腹が空いている事に気づいた。ずっと食べ物らしい食べ物を食べていない。私はナツの事を思い出した。
「そうだ。この男を食べたら良い」
ここにはあの時と違って、刃物がない。だから歯だけでも嚙み切りやすい、手の指から食べ始めた。がぶり。むしゃむしゃ。むしゃむしゃ。すごく不味いけど、お腹はたまる。
食べてる最中、人が来た。どうしてだろう? 出来るだけ人が寄り付かない場所にいたのに。さっきの男の叫び声が原因だろうか? その人は眼鏡とマスクを付けていて、頭に布を巻き付けていた。手袋に足袋。耳以外に、肌を外に出していなかった。その人と目が合う。
その時、ようやく気付いた。もっと良い、お母さんから逃げる方法があったじゃないか。私は殺人でも盗みでも、なんでも良いから悪い事をしたら良かった。それで、未成年用の刑務所に入る。それだけで、私は毎日生きていけた。どうして今気付くのだろう。
すごく楽な気分になった。私は明日から刑務所で、守ってもらえる生活が始まる。裸で血だらけの私は、そのまま男を噛みちぎり続けた。空腹が満たされていく。
その人はこちらを見続けていた。驚きすぎると、動けなくなる人だって居るだろう。別に急ぐ必要は無い。ちゃんと私が刑務所に入るように動いてくれたら、それでいい。
「お嬢ちゃん、人殺すの、初めてじゃないでしょ?」
食べてる最中に驚くような事を言われ、ゴフッと食べ物を噴き出してしまった。気管に入り、苦しい。「あら大丈夫?」そんな事を言いながら、その人は私の背中をさすってくれた。
しばらく経って落ち着いた私は
「三人目だよ」
と答えた。嘘を吐いても、良い事なんてない。たくさん殺している方が、刑務所にいられる期間は長いはずだ。
「四人目、殺してくれん? 昔殺し屋やってたせいで頼まれたんやけど、ヤル気出なくて。代わり頼みたい。そしたら家と服は貸すし、飯も奢る」
刑務所に入る以外に、そんな方法があるのか。それでもいい。
私は提案を快諾し、その人の持ってきたタオルで体をくるみ、車に乗った。
男の子の格好をした私は、男子トイレの個室前に立つ。元殺し屋の人は、トイレの外で人払いとかをしてくれている。個室トイレにはミヤザキという男が入っている。何人もの女の子を誘拐し酷い事をしたにも関わらず、警察が無能な県に住んでいるから、逮捕されないらしい。被害者の親がミヤザキを特定し、殺しを頼んできたそうだ。話を聞いていて「本当に死んだ方が良い人間だ」と思った。ちゃんと殺さないと。
ドアが開くと、無駄に背だけ高い、汚らしい男が出てきた。これじゃ、モテなくて少女を誘拐する以外、方法が無かったのだろう。「かわいそう」と同情する外見だった。
私はナイフをミヤザキの左胸に刺し、個室に押し込み、引き抜いた。個室の外に返り血が飛ばないよう、自分の体で血を受けとめる。ミヤザキは「ああああ!!!!」と叫び、死んだ。何かまだ言いたい事があったかもしれない。しかし、死んだら言えない。うるさい声をこれ以上あげられずに済み、良かった。
元殺し屋がこっちに来る。扉を閉め「故障中」の紙を貼り付ける。彼から渡された新しい靴に履き替え、丈の長い上着を着、元殺し屋の家に帰った。
元殺し屋の家には、トイレと風呂が一緒になったユニットバスがあった。服を全て脱ぎ浴槽に入り、カーテンを閉める。シャワーを付けてしばらく経つと、ドアの開く音。この間に血の付いた服を回収し、新しい服を置く約束になっていた。ドアは30秒ほどで閉まる。
体を洗い終えカーテンを開けると、トイレ蓋の上に男性用の下着と洋服が置いてあった。驚いたが、仕方なくその下着と服を着、元殺し屋のいる部屋に向かう。
「お疲れ様。あんなけ上手に殺されたら、死んだ方も気持ち良かったろうて!」
「死ぬのは痛くて、苦しいんじゃ……」
「死ぬとね、頭の中のカイカン物質が、無茶苦茶出るんよ。セックスの何百倍も気持ちいいんだぜ~死ぬのって。俺もあんたも、人にカイカン届ける仕事してんだから」
「そうなんですか……。ところで、なんで私の服、男の人の服なんですか?」
「あんたにはそっちの方が良いと思ったんよ」
「どうしてですか? 私、女ですよ?」
「ミヤザキ殺す前に、アンタにこれまであったモロモロ、少し聞いたから。あんたはかわいい女の子、やめた方がいーなってなった」
私は困惑した。
「あんた、赤ちゃんってかわいいと思わない? 人間のも、動物のも」
「すごく、かわいいと思います」
「あれ、周りへのサービスでかわいいんじゃないんよ。処世術」
「処世術?」
「なーんも出来ないから、赤ちゃんは周りに守ってもらうしかない。その時、周りに『守りたい』と思ってもらうためにかわいくなってんの。そーじゃなきゃ、赤ちゃんはみんなブサイクに産まれてる」
「そうなんですか?」
「そうそう! 自分が良い思い出来ない事、やるはず無し! 女の子も似たような理由で、みーんなかわいくなろうとするの。欲しい物手に入れる、近道だからね。かわいくなるのがさ。でも、かわいいのって良い事ばかりじゃない。あんたなら、絶対にそう思うでしょ? 『自分が若い女じゃなければ』って」
私は下を向いた。
「あんたみたいな立場じゃなきゃ、若いもかわいいも、良い事だらけ。でもあんたの立場じゃ、ヤな事だらけ。何かされた時、通報すら出来ないんやからね。お母さんからもレイパーからも、狙われんようにせー。男でも女でもLGBTでも金持ちでも躁うつ病でも何でも、都合のいー嘘、垂れ流してえーんやから」
元殺し屋はポケットに手を入れ、封筒を取り出し机に置いた。
「十まん円! 初めて見るんじゃね?」
封筒の中身を見る。見た事はあったけど触った事は無い紙が、十枚入っていた。
「今回の報酬。好きな事に使いなされ。んで、これは隣室の鍵。仕事用に、隣の部屋も借りてたんよワシ。それ、今日からあんた使ってえーから。あんたがなんでも決めれる生活、今日からスタート!」
話を聞きながら、ドキドキしている自分がいた。
「ワシはあんたの親代わりなんて、絶対になる気はねー。だけどあんたの力にほれ込んだ、ビジネスパートナー。俺ら、かっこ良くね?」
表情が、ゆるんだ。今までで会った誰より、この人は私を受け入れてくれている。そう思えた。
これでようやく、明るい未来が待つ、新しい人生を始められる。