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寒いねと言い合いたい大寒

涌井慎です。
趣味は新聞各紙のコラムを
読むことです。

1月20日。
「徳島新聞」のコラムが
有料記事に変わっておりました。
残念ですが、
それが本来あるべき姿。
いままでありがとう!

さて、1月20日は「大寒」。
ラジオだと「大きく寒いと書いて、
だいかんです」などと
説明することがあります。
視覚に訴えかけられないラジオは
そうやって回りくどいことを
敢えてしなければならないことが
あるのです。

「読売新聞」に載っていた
俳句に微笑んでしまいました。

「寒卵箸はね返す力あり」

「1年で一番寒いとされるこの時期に生まれた卵は滋養に富む「寒卵」として珍重されてきた。俳句では冬の季語にもなっている」(括弧内引用)

あの弾力に女性を感じるのは
変態なんでしょうかね。
あの張りやプルプル感は
女性そのものではありませんか。

女性といえば、
やはり大寒の日に
俵万智の短歌はどこかの新聞が
引用すると思っていたら、
「京都新聞」が引用していました。

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

寒卵みたいな人と
寒いね寒いね言い合いたいです。

家族の温もりを感じさせる一首が
掲載されていたのは「長崎新聞」。

「新春恒例の「歌会始の儀」が先ごろ開かれ、一般入選者の佐世保市立祇園中教員、柴山与志朗さんのこの一首も朗詠された」(括弧内引用)というのがこちら。

「望の日は漁師の父が家にゐて家族四人で夕餉を囲む」

これは寒い日のことを
歌ったものではないですが、
なんとも心温まる一首では
ありませんか。

それにしても、
「東奥日報」を引用すると、
「極寒の辛苦にさいなまれ、寒さの絶頂期」というのが「大寒」ですが
今年はちょっと様子が
違うみたいです。

深刻な雪不足にスキー場は
頭を悩ませています。
ラジオでもゲレンデ情報を
この時期にはお届けするのですが
どうもなかなか、
「全面滑走可能」を耳にしません。

『枕草子』で清少納言は
「冬はつとめて」と書いていますが
まさか「思ってたより寒くない」
冬の朝を趣があると
書いていたわけではありますまい。

「今日は大寒。一年で最も寒い時季が半月ほど続く。清少納言を納得させる「つとめて」は到来するだろうか」(「上毛新聞」引用)

さて、寒い夜にはコタツで読書。
というのが至福の一時です。
特に寝っ転がりながら
いちごミルクを飲み、
ポテトチップスをつまみながら
漫画を読むということが
子供の頃から、
類のない幸せでありました。

しかし近頃は漫画はともかくとして
読書を習慣にしていない人が
増えたようです。
「国立青少年教育振興機構は昨年、20〜60代の半数近くが1ヶ月に全く紙の本を読まないとの調査結果を発表した」(「新潟日報引用」)

私なんぞは近頃、
読むかどうかもわからないけど、
なんか大事なことが
書いてそうだというだけで、
無駄に本を買い集め、
本棚に並べているのですが、
これをするだけでも、
全く触れないよりは
マシでしょうかね。

同じ「新潟日報」に
糸魚川市出身の批評家
若松英輔さんの素敵な言葉が
掲載されていたので引用します。

「本を手元に置き、いつかこの本を読みたいと思うことも、その人に大変豊かなものをもたらす」

しかし、そんな本でも
「韓国や中国への、むきだしの言葉が躍る「ヘイト本」」(「日経新聞」引用)は御免です。
ところが近頃、この手の書籍が並ぶ
書店が存在するらしい。

以下「日経新聞」引用。
「ライターの永江朗さんが著書「私は本屋が好きでした」で氾濫の背景をさぐっている。売れそうな類書を淡々とつくる出版社、それを機械的に配本する取次会社、そのまま受け入れる書店。無責任の連鎖のようなものが、この「棚」を生むらしい。」

耳が痛い。
この無責任の連鎖は
書店に限らないでしょう。
拝金主義、大手迎合主義、
ことなかれ主義、
下請けに対する圧力、責任放棄、
ほかにもいろいろありますが、
そういう体質が引き起こす
負の連鎖の見本が、
あのヘイト本が並ぶ
本棚なのでしょうね。

「大寒」です。寒い寒い。

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