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朝刊ノスタルジー
新聞社に勤めているわけではないので、朝刊がどのくらいの時間に刷り上がるのかは、わかりませんが、新聞の扱う時事問題は、我々が読む頃には、タイムラグができていますよね。そのタイムラグのせいで、記事の内容が既に古い情報になっていることはよくあります。そのうえ、私は、その日の新聞記事を夕方以降に読みますから、時にタイムラグになんともいえないノスタルジーのようなものを感じるのです。
今日の京都新聞の社説、2本めが「政治とカネ」と題したものでした。そこには、安倍晋三元首相の後援会が主催した「桜を見る会」前日の夕食会で、2017年から19年にサントリーホールディングスから計45万円分の酒類が無償提供されていたこと、森友、加計学園の問題も疑惑を抱えたままであることについて言及されていました。この社説が書かれた頃、渦中の人物がお亡くなりになられることなど、誰も知るよしもありません。大きい文字で「国民の不信を自覚せよ」と書かれています。
社説は、安倍さんの疑惑のみを追及しているわけではなく、河井案里さんと夫の克行さんによる大規模買収に関する疑惑、鶏卵汚職、地元有権者への現金ばらまきほか、さまざまな「政治とカネ」の問題について切り込んでいます。現在進行形の問題であるのに、私は、記事にノスタルジーを感じてしまいました。この社説が書かれたのは、昨日でしょうか、日が変わって深夜だったでしょうか。その頃、安倍さんは安倍さんなりに国のためを思い、明日は奈良で声を枯らすのだと意気込んでいたかもしれません。もう寝ていたかもしれません。
私は、ひょっとすると、明日からの選挙演説で、志半ばで倒れた安倍さんのためにも、とか、安倍さんの悲願でもあった憲法改正を、とか、そういった言葉を発する先生もおられるのではないかと思うのですが、失礼ながら、そういう利用の仕方をする人ほど、信頼できない気がするのです。昨日までもこれからも変わらないことと、ノスタルジーを混同してはならないと自分に言い聞かせています。
日経新聞朝刊1面のコラム『春秋』にイソップの「王様をほしがる蛙」という物語について書いてありました。為政者がいないことに悩んだ蛙たちが、神様に王様をくださいとお願いにいきます。神様は所詮、蛙のことだから、と、最初は木切れをくれてやるのですが、蛙は満足しません。もっとましな王様に代えてほしいと再び頼みます。そんな蛙に腹を立て、神様は今度は水蛇をつかわしたため、蛙たちは残らず食われてしまいました、というお話。大切な選択を他人任せにすると痛い目に遭いますよという寓話なんだそうです。水蛇に好き勝手なことをさせないためにも、1票を投じなければならないとか、そういう気持ちも抱きながら、私は今回の選挙も1人目に投票するために早起きして投票所へ向かうつもりです。
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