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目に見えているもの
涌井慎です。
趣味は新聞各紙のコラムを
読むことです。
11月12日の「大阪日日新聞」は
15日から梅田スカイビルの谷間で
始まる「ドイツ・クリスマスマーケット大阪」の話題を
ベルリンの壁崩壊から30年に
繋げていました。
90年のドイツ統一後、
大阪・ミナミの輸入雑貨店で
「壁」がこぶし大の破片となって
売られていたそうです。
思い返せば、
平成の初めに壁が崩壊し、
令和の初めは 見えない壁が
築かれようとしています。
こちらは京都新聞、
「グローバル経済が格差を広げ、各地で反移民・難民の排外主義が台頭している」(括弧内引用)
その筆頭に立つ、
アメリカのトランプ大統領について
書いているのが「徳島新聞」。
地球温暖化対策の国際的枠組み、
「パリ協定」からの離脱を
国連に通告しました。
「恐ろしくコストが高くつき、不公平だ」とはトランプ大統領の弁。
「米国の大気は地球上で最もきれいだ」ともおっしゃっています。
グレタ・トゥンベリさんの
温暖化対策への悲痛な叫びは
届かなかったようです。
排外主義は反移民・難民だけでなく
環境問題にも
暗い影を落としています。
その温暖化の影響も
一因なのでしょう。
近頃は「不漁」の話を
よく耳にします。
「静岡新聞」では
「しぞーかおでん」の代表的種
「黒はんぺん」の原料となる
ゴマサバ漁の不振を
嘆いていました。
「加工業者が集積する焼津市の小川港では夏場の水揚げが前年を大幅に下回った」そうです。(括弧内引用)
「静岡新聞」ではコンビニで
おでんの販売を中止、縮小する動きが
広がっていることにも
触れていました。
コンビニおでんが
広がりを見せたのは1980年代です。
ベルリンに壁がある頃に広がり、
平成の時代に親しまれ続けた
コンビニおでんが、
令和には当たり前のものでは
なくなっていくようです。
「新潟日報」では
スルメイカの県内水揚げ量が
激減していることに触れています。
こちらは東シナ海の水温が、
成長に適した範囲より、
「低め」になっていることが
一因のようですが、
ゲソが大衆酒場に当たり前のように
存在する時代も
遠くなるのかもしれません。
十年一昔と言いますが、
こうやっていろいろ見ていくと、
「当たり前」というのは、つくづく、
時代と共に移ろいゆくものなのです。
そういえば近頃は
「エスカレーターでは歩かない」
ことが新たな常識に
なりつつありますが、
これも一昔前は急いでいる人のために
片側を空けておくことが、
「当たり前」でした。
とはいえ、
目先のことばかりを
追いかけるのではなく、
100年、200年後の世界について、
考える視座も必要であるはず。
「岩手日報」では
かつて、無名だった宮沢賢治の
全集を発刊し、賢治を世に出した
功績者とされる詩人の草野新平の
エピソードが紹介されていました。
「今は何の富も生まないが、いつか必ず役に立つ。そう考える余裕が社会から失われて久しい。目先の利を追う時代だったら、賢治が世に現れることもなかったのだが」(括弧内引用)
この言葉をそっくりそのまま、
トランプ大統領に投げてみたいですが
グレタ・トゥンベリさんの言葉にも
耳を貸さなかった人ですから、
結果は目に見えているでしょう。
「目に見えているもの」が、
かくも違うものなのかと驚きます。
「南日本新聞」では
「修業時代、煮炊きした鍋に残った汁をなめて味を学んだ」(括弧内引用)という日本料理調理人の床次信也さんの
言葉が掲載されていました。
いわく、
「苦しさの中に楽しさを見いだすことが大切」。これこそ、
目先の利のみを追いかけていたら、
辿り着けない感覚でしょう。
ノーベル化学賞を受賞した
吉野彰さんが安倍総理に対して、
「若手研究者が思い通りの研究が
出来る環境を作って欲しい」と
要望していましたが、
これも100年、200年後の世界を
見据えての要望でしょう。
「若手研究者への支援強化が重要」と
安倍総理はおっしゃっていましたが、
果たしてどこまで意味を
理解しておいでなのか。
近頃のお金の使い方を見ていると
不安になります。