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従業員をクルーと呼ぶ会社

 内田春菊さんは取材を受けたり、トークの仕事をしたりすると、内田さんを説明する文章の中に「赤裸々」と書いてあることがとても多いそうです。本人としては「赤裸々に語ります」とか「赤裸々に描きたいと思ってます」とは自分から言ったことは一度もないのに何故かやたら「赤裸々」を使われるから気になってしまうらしい。そうした現状を受けて内田さんは「私を取材したり呼んでくれるんだったら、前書かれたことと同じ表現はなるべく避けて欲しいと思うのは贅沢なんだろうか?」と書いておられます。自分では「赤裸々」だなんて思ってもいないのにやたらその言葉が使われていたらそうやって思ってしまいますよね。

 取材する側としては、想像するに「だってそうやって書いてあったから」ということなんだと思うんです。何かしら信頼できる文章の中に「赤裸々」という言葉が使われているから「じゃあ私も使わせてもらおうかしら」となったのではないか。人とは違う言葉を探すのに苦労したのに「それ違いますから」と言われるくらいなら誰かの書いたものを拝借したほうが間違いないし、何より楽です。

 なぜそういうことが起こってしまうのか?といえば、まず取材して文章にする人の仕事量が多すぎる問題があるでしょう。キャパシティを越えた分量の仕事をしているとどうしても一つ一つの仕事に対して手を抜きがちになるのは仕方のないことだと思います。それがイヤイヤやってる仕事であればなおさらでしょう。あとは仕事によっては一つの言い回しさえ絶対に書き換えてはならない場合もあるので、そうではない仕事でも危ない橋は渡らないでおこうという危険回避のため、ということもあるのではないかしら。

 例えばAという飲食店では従業員を「クルー」と呼んでいるとします。そのことについてA社の偉い人には思い入れがあり、ある大手広告代理店のBさんに「うちはこういう理由で従業員をクルーって呼んでるんですがね、まぁ、従業員は従業員なんで外の人には従業員の方とか呼んでもらっても全く問題はないんですけどね〜」なんてことを話したとします。Bさんはそれを受けて、自分はA社の事情をよく知る人物を気取りたくて「A社の案件に関しては必ず従業員のことをクルーと呼ぶように」と社内に一斉メールで周知します。するとその大手広告代理店発信の仕事には注意書きでその旨が通達され、普段その大手広告代理店に尻尾を振っているような連中は必要以上にそこに神経質になり、現場の人間に対して「絶対にクルーと書くように」と指示がいきます。やがて業界ではA社のクルーを「従業員」と呼ぶ人間は世間知らず認定される事態にまで発展するんですが、A社の偉い人は実は外部の人たちがクルークルーと気安く呼ぶことに対して違和感を抱いてる、なんてことが実はよくあるんじゃないかな〜と日経新聞夕刊の内田春菊さんのコラムを読んで思った次第でございます。

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