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CSFって何ですか
涌井慎です。
趣味は新聞各紙のコラムを
読むことです。
11月13日のコラムは
秋だというのに、
やたらと「桜」の話題が
多かったです。
「サクラサク」は合格の報せなので
本来ならおめでたいはずですが、
いま世間を賑わせている
桜の話題は
さほど面白いものではないので、
あまり花を
咲かせたくはありません。
秋なのに桜の話もあれば、
秋なのに春みたいな陽気のことを
「小春日和」と呼んだりもする。
「毎日新聞」によると、
「小春」は旧暦10月で、
新暦の今ごろのこと。
本格的な冬を前に訪れる
春や夏を思わせる陽気のことで、
もともとは中国の言葉らしい。
同じ今ごろの陽気のことを
英語圏では
「聖ルークのリトルサマー」
アメリカでは
「インディアンサマー」
ヨーロッパでは
「老婦人の夏」、
「聖マルティヌスの夏」などと
言うそうです。
同じ事象を指すのに、
表現が異なるだけで、
感じ方は随分と変わるものです。
「日本経済新聞」「東京新聞」
「中日新聞」「静岡新聞」が、
今日のコラムで、
「豚コレラ」の呼び方が、
「CSF」に変わったことを
取り上げていました。
「classical swine fever」
(古典的な豚の熱病)です。
人には感染しないとは
言われ続けていますが、
それでも幕末から明治にかけて
猛威を奮ったコレラへの恐怖は
まだ、このカタカナ三文字に
染み込んでいるらしく、
誤解を招かぬよう、
また、変に恐怖心を煽らぬよう、
変更したようです。
「日経新聞」では
明治期にコレラが大流行した際は
患者が出た家の門の前に、
黄色い紙を貼ることに
なっていたことが、
紹介されていました。
現代なら このやり方は
激しい批判の的に
なることでしょう。
その明治の時代は、
哲学者の西周や
初代文部大臣の森有礼、
福沢諭吉らが、
日本語にない概念の「和訳」に
尽力した時代だったことを
導入部で取り上げたのは、
「静岡新聞」。
「哲学、知識、民主主義、科学、芸術、理性など、考案した和製漢語は数多い」(括弧内引用)
それにしても、
よく考えられたものです。
これらに比べると、
(はからずもダジャレになった)
外国を真似て「CSF」と、
変えてしまうのは、
ただ安易なだけのようでもあり、
何か都合の悪いものが
見えないように、
ごまかしているんじゃないか、と
邪推をしたくなるのは、
昨今の「政治とカネ」の問題を
連想してしまうからでしょう。
「桜」で話題のあの人たちには
今一度、「民主主義」の字面を、
この漢字四文字に
染み込んでいるものを、
しかと汲み取って
もらいたいものです。
「中日新聞」では
今回の呼称変更について、
「もともと人のコレラとは別の病気で、感染した豚を食べても人の健康に問題はない。従来の呼び方はたしかに不必要な脅威を感じさせよう。風評被害対策としての変更はうなずける。一方、病気の語感に乏しいアルファベット三文字にして、世の中の脅威がゆるんではならないだろう。名と実の一致。重要にして難しいものである」
(括弧内引用)としています。
まさに名と実の一致というのは
重要にして難しいもので、
「税金を使った接待」なのか、
「桜を見る会」なのか。
批判の声が大きくなったら、
「じゃあ来年はやめる」とのことで。
こんなものはコレラに対する
黄色い紙のようなものですね。
最後に「豚コレラ」の問題について、
少し前から気になっていることを
書いておきたいのですが、
余りにも、「豚の視線」での見方が
なさすぎると思うんですよね。
最初の頃は国際的に
「清浄国」から外れてしまうから、
ワクチンの接種を避けてましたよね。
豚の健康よりも、
世間体を気にするのか、と
私なんかは思ったわけなんですがね。
まぁ、いろんな事情は
あるんでしょうけど、
結局、言葉も財力も、
持たない豚の気持ちは
いちばん後回しにされるわけです。
これが残念ながら、
「言葉も財力も持たない豚」の
「豚」の部分を「人」に変えても、
いまの日本は同じなんですよね。
だからこそ、
余計にみんな、
もっと豚の気持ちになって、
考えてみてほしいんですよね。