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二宮金次郎像と化石
涌井慎です。
趣味は新聞各紙のコラムを
読むことです。
11月7日の新潟日報のコラムは
いまどきの恋人同士の
一場面を描いていました。
以下括弧内引用
「入った飲食店でカップルが楽しげに杯を重ねている。男性がトイレに立つ。女性はそそくさとスマートフォンを取り出して何やら操作を始める。戻ってくるとそそくさとしまって談笑を再開-」
いまや、「あるある」ですね。
スマートフォンのおかげで、
待つ時間が苦痛でなくなりました。
タピオカに
あれだけ行列ができるのと、
スマートフォンの普及は
無関係ではないはず。
私は新聞各紙のコラムを
読むこと以外にも、
オープンしたお店の
1人目の客になることを
趣味にしていますが、
これにしても オープン前の時間、
人気店ならそれなりに並びますが、
スマートフォンがあれば、
1時間程度ならあっという間です。
とはいえ、
「ながらスマホ」の危険性は
取り沙汰されてから、
既に何年にもなります。
「ながらスマホ」が思わぬところに
与えた影響を書いているのが、
「山陽新聞」です。
この話題自体は
目新しいものではありませんが、
以下括弧内引用
「まきを背負い、歩きながら本を読む姿は努力や勤勉の象徴として親しまれてきた。江戸期の農政家・二宮金次郎である。以前、それが座像に姿を変えて栃木県の小学校にお目見えしたニュースがあった▼切り株に腰を下ろして本を広げる姿だ。スマートフォンを見ながらの歩きスマホや自転車スマホが問題化する中、行為を容認するように受け取られかねない。そんな声を反映したのだろう。驚きつつも今の時代、子どもの安全を思えば一理ある、とも感じる」
一理あるのかもしれませんが、
私は反対です。
これは大河ドラマに出てくる
喫煙シーンを消せという
クレームとよく似ています。
街中で大人たちが、
タバコを吸っていた時代のことを
描くのであれば、
「それが是とされていたこと」を
大前提として物語を書かなければ、
過去を舞台にしている意味が
なくなってしまいます。
現代の価値のみこそが正しい、
というような姿勢で
歴史を振り返ってしまうのは
大変危険です。
時間を遡って
価値観を押し付ける人は、
空間を横断しても
価値観を押し付ける気がする。
文化の多様性を認める視点は
正しく歴史を見つめることでも
養われていくのではないかしら。
いくら恋愛観が
いまでは考えられなくとも、
光源氏がモテた時代のことを
時代に寄り添って、見つめなければ
『源氏物語』の本当の面白さは
わからないはず。
同じように、
努力と勤勉を物語る
二宮金次郎像にケチをつけることは
想像力の欠如でしかないのですが、
ケチをつける人側の言い分は
だいたい、
「ながらスマホを
助長するってことが、
想像できないんですか!?」
だったりします。
いっぽうで、
過去の価値観を捨てられず、
現代の価値観に
寄り添えない輩もいます。
「東奥日報」で問題視している
職場でのパワハラなどは
過去の価値観のまま成長せず、
現代の価値観に
理解を示さないが故の愚行です。
政治家の皆さんの失言も、
大方はその部類に入るでしょう。
「信濃毎日新聞」によると、
国際NPOが温暖化に背を向ける
米政府に「特別化石賞」を
贈っているそうですが、
我が国にも同じ賞をあげたくなる
人がたくさんいますね。
他山の化石とせねば。