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入学式はハナミズキの下で

令和3年4月8日の日記
今日は次男の入学式でした。
私は午前10時からの生放送があったため、参列はできなかったのですが、今日急遽参列できなくなったわけではないので、そこまで残念ではありません。心の準備というのは大切ですね。

心を整えるための期間とか、行為とか、そういうのがあるんだな、と思ったのは2年前に父が他界したときです。病院から遺体を霊柩車で自宅へ運び、その助手席に私は座らせてもらいました。生前、父の運転する車でよく通った湖岸道路を通り、もう父ではなくなった父を乗せて自宅へ到着し、ついさっきまで父だった父は棺桶の中にあり、葬儀会社の方が、それを綺麗に洗うのですが、私の座っている場所からは、葬儀会社の方が父にもう魂がないことをいいことに、何をされてもイヤイヤしないからといって、本来なら痛がる方向に手を動かしたり、目玉を剥かせたり、口をこじ開けたりして、実に手際よく父を弄んでおりました。

病院でひとしきり、泣きじゃくり、父とのお別れを終えたあと、さらに霊柩車に乗せた父と思い出の地をなぞりながら帰ったあの時間がなければ、あの仕打ちを私は耐えられなかったのではないでしょうか。

その日にお経をあげてもらい、ここから少し記憶は曖昧になりますが、翌日は朝にお経をあげてもらい、葬儀場へ移動して、そこでもお経をあげてもらい、ええ加減、父との別れ云々よりも、お経が抑揚のないくせにダラダラとやたら長いことが鬱陶しくなり、なんで何回も何回もこんなお経をあげなあかんねん、という腹立たしさが勝るようになったとき、なんとなく、私は、あー、これは父との別れを受け入れるための心の準備をするための期間であり、行為なのだと思ったのでありました。

人は弱い生き物ですから、そういう「期間」が必要なんですよね。仏教は、うちは浄土真宗大谷派なんですが、それをよくわかっているのではないか、と思うわけです。知らんけど。

今日、入学式に出られないことを前もって知っておけたのも、はからずも、そういった心の準備の期間になったのではないかと思います。知らんけど。

入学式といえば去年は一斉休校があったことをうけ、俄に9月入学が取り沙汰されるようになりましたが、反対意見のなかには「入学式は桜の木の下で」という季節感を大事にしたいという意見が割とあったらしいのですが、ソメイヨシノがすっかり葉桜となった今年の入学式を見て、あの人たちは何をどうお感じになられたのでしょうか。いまや桜は卒業式とセットになってしまった感があります。

代わりというのか、なんというのか、入学式のタイミングで花が咲くのがハナミズキです。原産地のアメリカでは、日本のサクラのように季節を知らせる花である、と今日の「東京新聞」のコラムに書いてありました。そういえば、去年の今頃、朝の番組で似たような話題を取り上げました。以下も「東京新聞」のコラムからの引用ですが、明治45年、東京市がアメリカにサクラを贈った際、その返礼としてハナミズキが贈られてきたそうです。ハナミズキは英語でドッグウッド。一説によると、樹皮が犬の皮膚病に効果があると信じられ、犬のシャンプーとして使われたこもからその名が付いたといわれているそうです。そんなことも、去年、朝の番組で伝えたような覚えがあります。それも何新聞か忘れましたが、新聞コラムから引用していた気がします。

毎年毎年、同じことを繰り返しながら、年だけ重ねて、やがて朽ち果てていくのでしょうね。それも心の準備をいまのうちからしておけば、いざくたばる頃には、意外とすんなり受け入れられるのかもしれません。

写真は昨年度1年間、朝の番組をご一緒させていただいたDJ三嶋真路さんが撮ってTwitterにアップしていた四条烏丸のハナミズキの写真を勝手に保存して使わさせていただきました。おもちろい番組を作ってきましたから、このくらいは許してもらえますよね。三嶋さん、勝手に拝借いたしました。ごめんなさい。

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