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令和の乱 炎上を生んだツイート

令和3年3月23日の日記
昨日書いた歴史学者さん、私が思っていた以上に燃えていたし、燃えるのも仕方のない案件であった。悲しい。現代社会は人の愚かな部分を絶妙に炙り出す。著書を読み感銘を受けても、それは他所行きの姿であり、歴史学者としての一面でしかない。人間として賢いか否かはまた別の話なのだろう。著作に罪はないし、歴史学者としての功績が否定されるものではないと、やはりフォローはしたいが、大きな傷が付いてしまったことは否めない。残念でならない。

どこで、どこを、切り取って見るかによって人間は見え方がガラリと変わる。井上ひさしが『私家版日本語文法』のなかで「かれは会社にはいらない」という文は「、」一つで意味が変わると書いていた。つまり、「会社に、入らない」なのか「会社には、要らない」なのか。今日の「山形新聞」のコラムに引用されていた。「あんな二流の会社、僕はごめんだからね」という「かれ」であるが、その実「あんなハナタレはうちには要らん」と断られている。歴史学者の顔も、どこに点を入れるかによって大きく表情が変わりそうだ。私はあまりにも理想的な面しか見なさ過ぎたようだ。いちばん離婚するパターン。

ただ、ここまで書いて思うのは、やっぱり、1がダメでも100がダメなわけではない、ということもわかっておきたい。今回の歴史学者の一件は1どころの騒ぎじゃないんだろうけど、切り取り方で見方は変わるものだ。

江戸時代の本草学者の貝原益軒も、「礼節は守らんとあかんけど、守ってない人のことを殊更に責めるんも違う気がするでー」というようなことを書いている。あかんことはあかん!それは間違いない。かといって他人が鬼の首とったみたいにリンチするのも残酷だ。
攻撃され続けた女性学者の身になってみたら怒りは当然のことであり、これを機会に社会が変わっていけばよいとは思うし、この一件が発端となり、歴史が変わるのであれば、歴史学者さんにとっても名誉なことだったりするのであれば、実はもっともっと燃えるほうが実はよかったりするのかもしれない。ええ加減なこと書いてしまってごめんなさい。

一つ今回の件で間違いない教訓があるとすれば、皆さん、Twitterには気をつけましょうね。ということに尽きる。

人は人、我は我でみんな仲良し。
みたいなことを武者小路実篤が書いてたけど、なかなかその域には達しないもんだね。

そういえば今日は北大路魯山人の誕生日だ。
令和を生きていれば、あの人も燃えやすかっただろうな。

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