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「たまたま」のお膳立て

普段、考えていることと似たようなことが書かれてある文章に出合い驚くことがあります。

今週火曜日の日経新聞夕刊に文学紹介者の頭木弘樹さんのコラムが掲載されていました。頭木さんによると、「知らないうちに人に恨まれていることがある。自分ではまったく意識していなかったり、忘れてしまっていたりするのに、相手は深く傷ついて、ずっと恨んでいる」

これに関しては、自分では「そうかもしれない」と思う。なぜなら誰かの心ない言動に深く傷つき、ずっと恨んでいることがあるからです。自分自身、そういうことがあるのだから逆に自分が思いもよらないところで人を深く傷つけ、恨まれていることはあるはずだと考えるのが自然です。

しかし、今回の頭木さんのコラムの本題は逆に「知らないうちに人から感謝されていることもあるのではないだろうか」ということ。頭木さんも、かつて、見知らぬ人に助けられたことをずっと感謝しているらしい。自分にそういう経験があるのだから、ひょっとしたら自分もどこかで知らずうちに感謝されているかもしれない、と考えるのは自然なことのように思います。

少し前に「忘れられない言葉」について書きました。何気なく発せられたであろうその言葉たちによって、勇気付けられたり、人生の道筋を決めてもらえたりしたことってけっこうあるんじゃないだろうか。これも、何気なく私に言葉を発した人たちにとっては「知らずうちに感謝されている」ことになります。
私もそうやって知らずうちに誰かに感謝されていたりするのだとしたら、その仮定の話だけでも前を向いて生きていける気がします。知らずうちに傷つけている可能性と相殺してもいいかしら。

「たまたま、ということが人生には間々ある」と書いているのは11月18日の神戸新聞『正平調』。記事によると、中学時代、公園で野球の試合をしていた王貞治さんは、犬と散歩中の男性から「左利きなのにどうして右で打つんだ。左で打ってごらんなさい」と声をかけられたそうです。直後の初球、王さんの打球は右中間を破りました。この男性は後に師となる荒川博さんだったとか。

もう一つ「たまたま」が書いてありました。こちらは夏休み中の大学生の話。彼が母校の野球部を訪れ、併殺プレーの手本をみせているのが社会人野球の監督の目にとまりました。この「たまたま」の出会いにより、大学生は中退して社会人野球を経て、やがて広島カープへ入団。彼こそ後に監督として黄金時代を築いた古葉竹識さんだそうです。

ここまで劇的とは言わないまでも、「たまたま」が毎時毎秒、私たち(主語がでかい!)の人生を変えたり変えさせたりしているのだとすれば、そのことをなんとなく自覚しておくだけで毎日の過ごし方が変わるんじゃないかしら。「たまたま」素敵な文章に出合えたのも、毎週火曜の日経新聞夕刊に掲載されている頭木さんのコラムや新聞各紙のコラムを読むことを日課にしているからであり、その日課によって私は素敵な文章に出合う「たまたま」に遭遇することができました。「たまたま」をお膳立てするってことができる場合もあるのです。

そういう努力くらいは、やっておいて損はないと思う次第でございます。

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