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身の丈って何かしら
涌井慎です。
趣味は新聞各紙の
コラムを読むことです。
10月31日は
デイリー東北、
東京新聞、新潟日報、
中日新聞、神戸新聞、
山陰中央新報社、西日本新聞が
例の「身の丈発言」を
題材にしておりました。
一紙くらい、
身の丈発言の「擁護派」が
いてもよさそうなものですが、
全紙気持ちよいくらいに
「いかがなものか」という
論調でありました。
どうも「身の丈」だけが
切り取られ一人歩きを
してしまっている気がしますが、
各紙めちゃくちゃ
大雑把にまとめてしまうと、
金持ちが有利になっちゃう、
それってどうなの?
ということを書いています。
経済的に有利なのは
間違いありません。
でも そこの格差は
例えば貧乏人が
フィギュアスケートを習えないのと
同じことで、
なんとなく「あきらめ」が
つくというのは
そんなに悪いことではないし、
与えられた環境のなかで、
どう輝いていくか、を
考えるきっかけにもなります。
金をかけて試験を受けまくる子が
有利なんでしょうけど、
できない奴はどれだけ有利でも
できないし、できる奴は
厳しい制約のなかでも
できてしまうものです。
そういう、社会にギュギュっと
押さえつけられた抑圧感が、
負けず嫌いとか雑草魂とか、
そういうものに変わって、
小さなタマゴのなかで、
ぐんぐんぐんぐん育っていき、
ある日、殻が破られ、
弾けたときには、
助走が長かった分、
有利にあぐらをかいていた奴を
あっという間に抜き去る、
ということがある、という事実を
経験豊富なコラムニストの方なら、
絶対にご存知のはずなのに、
世間受けのいい論調に
流されてしまっているような
気がしないでもなかったです。
身の丈発言が問題になることで
本質から
遠ざかってしまうことこそ危うい。
知らんけど。