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立場の強い人たちの言葉は
昨日の毎日新聞に池上彰さんと五木寛之さんの対談が掲載されていました。
五木さんは、かつて「引き揚げ記録センター」なるものを作ろうと思い、録音機を抱えて日本各地の村を回ったのだそうです。しかし、本当にひどい目に遭ったとみられる人ほど真実を話ではくれなかったらしい。
「いろいろありましたけど、おかげさまで今は」これで話が終わってしまう。
一方、雄弁にいろいろなことを語る人たちというのは、その話を繰り返しているうちに起承転結ができて物語になってしまっているため、信頼性がない。それで結局、五木さんは記録センターを作ることをやめてしまったのだそうです。
五木さんいわく、
「歴史というのはそんなふうに語られずになかったことになっている集積ではないか」
五木さんの言っていることとは違う話かもしれませんが、弁が立つ人の言葉ほど残りやすいし、雄弁に語れるのはどんな人なのかといえば、その多くは立場が強い側の人たちでしょう。立場の強い人たちの言葉は、例え違和感を覚えるものであったとしても、強行突破されてしまいます。仮に立場の弱い人間がその違和感を口にしたとしても、立場を利用した圧力により、無かったことにされてしまいます。
立場の強い人たちは、そのことについて、びっくりするくらいに無自覚です。その無自覚によって泣いている人の多さに気づいたときに、どのような態度をとれるか。残念ながら無自覚である限り、先を読むことはできないのです。
五木さんの言葉とはずいぶん離れてしまいましたが、しかし私は、五木さんの言葉でこのことを思ったのです。言葉は発せられてから、受け止める頃には、内包するものが変わってしまうことが多々あるものなのです。
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