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自分よりブスだと思う女優さんを挙げてください
2月4日の日経新聞夕刊『あすへの話題』で劇作家の渡辺えりさんが30年ほど前のバラエティ番組の演出について書いていました。
美しくなる機械に渡辺さんが入ると、別の女優さんになって出てくるという台本があり、渡辺さんは作家に泣いて抗議したそうです。また、別のあるクイズ番組では「自分よりブスだと思う女優さんを挙げてください」というのもあったそうです。
「今やったら完全アウト」というのが令和を生きる我々の多くに共通する感想だと思うのですが、おそらく当時も完全アウトだったのに、泣いて抗議しないといけなかったわけです。泣いて抗議した結果、その台本がどうなったかまでは書かれていなかったのでわかりませんが、似たような事例で泣き寝入りするしかなかった方は多かったのではないかと思います。
今もなお、おそらく似たような事例により、泣き寝入りしておられる女性は多いのではないでしょうか。そのことについて声を挙げれば「わきまえない女」という烙印を押されてしまう。いまだに相手が女性であるというだけで得意げに自身の知識を披露するマンスプレイニングおじさんというのは存在しますからね。
女性に対し、何かしら「守ってやりたい」と感じるのは、「守ってやりたい」なんて書いている時点で既に下に見ているわけですが、男としては愛情表現なのかもしれません。しかし、女性からすればそれは大きなお世話であり、別に頼んでないしだし、どうか放っておいてくださいであり、「へー、すごいですねー」と話を聞いている女性だって実のところはめんどくさいけど反論したり、この男の上をいく知識を披露したりするのも逆にこの男の土俵で戦ってることになってうざいから、そういう色々な感情を押し殺して「へー、すごいですねー」と相槌打ってたりするわけですよね。
ひどいのになると気のない相槌を打っていただけの女性が自分に「気がある」と思い込み、積極的アプローチを試みるものの、相手にその気が無いことがわかり、逆恨みするパターンもあります。そういう失敗を若い頃に済ませておけば、おっさんになってから同じ誤ちを犯さないでいられるのですが、心配なのはこの頃の「失敗をしてはいけない」という空気なんですよね。これは私だけなのかもしれないし、それならそれで私としては絶望的ではあるんですが、社会全体が「失敗したら終わり」で、失敗した人を嘲笑する雰囲気が醸成されているように思います。
何か新しいことにチャレンジしている人たちのことを称賛しているいっぽうで、ハナからそういう人が失敗した時にこき下ろすことを待っている、といいますか。私は今の新庄剛志新監督に対する世間の眼差しにもそういう底意地の悪さを感じてしまうのです。私がそういう底意地の悪い男だというだけかもしれません。
失敗する人たちをあたたかく見守ってあげる余裕が今は必要なのだと思います。
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