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身勝手な優越感

今日の南日本新聞『南風録』にある実験について書かれていて面白かったので少し引用します。


文を書き写す作業を2班に分けて行った実験がある。片方には収益の一部を慈善活動に寄付するとあらかじめ伝えている。作業で手を抜く度合いはどちらが高かっただろう。


ここまで読んで私は寄付する側のほうが手を抜かないだろうと思ったのですが、答えは逆でした。記事によると、「作業は社会にとって役に立つとの自覚が、少々の怠慢は許されるだろうという心理につながるらしい」とのことです。

ここまで読んで私は「〆切」にも似たようなところがあるな、と思いました。私は仕事の〆切を守ります。ゆとりをもって〆切の二日前くらいに提出したりします。なんだ、そんなことは社会人として当たり前のことじゃないかと思われるかもしれませんが、〆切を守らない人はけっこういます。そういう人たちのおかげで私たちは、当たり前のことができるだけで評価が高くなります。逆に〆切を守らない人たちは、当たり前のことができないというだけで、仕事の評価が下がります。めちゃくちゃ才能があり、センス光る文章を書く人でも、〆切を守らないだけで「一緒に仕事したくない」と思われてしまいます。しかし、〆切さえ守っておけば、逆に、そこそこの内容のものでも「まぁ、こんなもんか」で納得してもらえたりします。私は仕事そのもの以外のところで評価が動くのが嫌なので、〆切は守ります。もう一つ理由があるとすれば、「〆切を守っているのだから、少々いたらなくても問題なかろう」という心理が働いているのだと思います。そんな私からすると、〆切を守らない人というのは、相当才能に自信があるのだろうと思いますし、実際に〆切を守らなかった人の原稿をチェックする目は厳しくなりますよね。「え!?〆切守らんかったくせにこの程度の仕上がりなん!?」って思ってしまいます。自分がそう思ってしまうものですから、余計に自分は〆切だけはしっかり守らねばと思うのです。

ところで、南日本新聞『南風録』では、「少々の怠慢は許されるだろう」という心理について、「優越感が生むゆがみ」だと、社会心理学者ら女性3人の著書『認知バイアス事典』に学んだと書いてありました。

例えば。
「わたくしは、国民の皆様の、ために、懸命に働いて、いるので、あり、ますから、多少の、汚職程度のこと、ならば、問題はなかろうかと思う次第で、ございます」という政治家の心理とか、「俺様の言う通りにしといたらええんじゃおまえらみたいなもんわ」という上司のパワハラ気質、はたまた「誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ!」とか言う、一家の大黒柱なんかの「身勝手な優越感」も全てこの類であろうということです。

それにしても、こうやって例を挙げていけば、「あるある!そういう人、いるよな!」といちいち納得するしかないわけやのに、冒頭の実験において、寄付する側のほうが手を抜かないだろうと考えてしまった私は、つくづく人を見る目がない。人は期待しすぎたらダメなのだ。

#令和3年9月22日  #コラム #日記 #エッセイ
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