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2887日のレガシー
涌井慎です。
趣味は新聞各紙のコラムを
読むことです。
今日のコラムは大半が
安倍首相についてでした。
通算在職日数が
桂太郎の2886日を越えて、
歴代最長の2887日となりました。
新聞のコラムというのは
だいたい「前フリ」があり、
「本題」に入ります。
今回の場合、
違う話題を前フリにして、
在職日数の話に繋げるのが、
将棋でいう「定石」なんですが、
唯一「上毛新聞」だけは、
例の「桜を見る会」を前フリにして
群馬県藤岡市鬼石にある
桜山公園の冬桜の話題に
繋げていました。
本題にするのも
イヤだったのでしょうか。
今年の冬桜は2週間ほど花が
遅れているそうですが、
咲き始めのいまは、
紅葉とのコントラストが
見事だったとのこと。
「桜山公園の冬桜は日露戦争の戦勝を記念した植樹が始まり。ソメイヨシノやカエデを植えたと思っていた中に、たまたま冬桜があり、地元で増やしていったと伝わる」
(括弧内引用)
「日露戦争」の四文字は
「西日本新聞」にもありました。
以下、引用してみましょう。
「先達を振り返れば、桂は日英同盟を結び、日露戦争、日韓併合を遂行。大逆事件で社会主義者を弾圧した。桂に次ぐ長さの佐藤栄作は、日韓国交正常化、沖縄返還を実現し、非核三原則を唱えてノーベル平和賞を受賞した」
桂はもちろん桂太郎のことです。
在職日数の長かった首相は
後世に残るレガシーを
残しているけど、
安倍首相は果たして??
ということを書きたかったんだと
思うのですが、
桂太郎のレガシーのところに、
日露戦争や日韓併合を
例に出すのはどうなのでしょうか。
それを入れていいのなら、
安倍首相にだっていろいろと。
ねえ?
「京都新聞」には
在職日数の少なかった首相の
「レガシー」が
紹介されていました。
以下引用。
「国民生活センター」(相模原市)を、歴代首相の中で初めて視察したのは福田康夫氏だとされる。「産業育成庁はもう古い」と話して明治期からの殖産興業策を修正、消費者に目を向けた。これが、2009年の消費者庁創設につながる。以来、10年。同庁は、こんにゃくゼリーによる事故など、省庁間に埋もれる事案に対処した。課題も多いがら国民に欠かせない組織となっている」
これを福田氏の「レガシー」として
紹介しています。
福田氏が首相だったのは、
わずか1年ほどです。
福田さんの「消費者庁創設」に
比べると安倍さんは、
なんか大きな、目立つことばかり、
狙いすぎて当たってませんよね。
縁日の射的で、
よせばいいのに奥の奥にある
絶対に倒れなさそうな
でっかいオモチャを狙うコって
いましたよね。
あれを思い出しました。
例の「身の丈発言」は
この人に向けるべきだったのかも
しれませんね。
権力を持つ人間には昔から、
戒めの言葉が多々残されています。
よく知られているものでいうと、
「驕れる平家久しからず」とか。
「信濃毎日新聞」には、
スペインの思想家オルテガの言葉が
載っていました。
以下引用。
「賢者は、自分がつねに愚者になり果てる寸前であることを肝に銘じている」。だからこそ、すぐそこまでやって来ている愚劣さから逃れようと努力を続ける。その努力にこそ英知があるのだ、と。
面白かったのは「東京新聞」で
紹介されていたある実験。
「自分の額にEという字を
相手が読めるように
書いてみてください」と指示すると
「自分に権力がある」と
考えている人は他の人に比べて
約3倍も正確に
書けなかったそうです。
以下引用。
「この実験に限らず、権力を持つ人間は他者との共感力が弱まる傾向があるという報告がある。人からどう見えているかが理解できない〜」
私は身の回りに
この実験を試してみたい
権力を持つ人間が何人かいます。
客観的に自分を
見られなくなるのでしょうね。
「新潟日報」に描かれた安倍首相は
「委員会でやじを飛ばして委員長にたしなめられる。不祥事で閣僚が辞任すると「任命責任は私にある」と明言しつつ責任の取り方は判然としない。追い詰められると逆ギレ気味に強弁する。主張が異なる人を「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と敵視したかと思えば、お友達や身内には殊の外、親切である」
(括弧内引用)
昨日も書きましたが、
こういう人、多いですよね。
野党が弱いだとか、
後継がいないだとか、
いろいろ理由はあるんでしょうけど
やっぱり、このくらいのほうが
居心地がいいっていう、
偉い人が多いんだと
思うんですけどね。
偉い人っていうのは、
下に誰かいれば、
上に誰かいようと、
偉い人になれるでしょう。
その誰かより偉い人に、
「あれでいいんや」って思わせる
安心感のようなものが、
あるんやと思うんですよね。
そういう感じが、
自分のなかに全く無いか、
といえばそんなことは
無い気もするけど、
そういう感じを振り回して、
我が物顔の偉い人を近くでみると、
このままじゃあ、
ここは腐っていくばかりだな、
とも思うわけで。
じゃあ、変えないといけないと
わかっていても、
変えるために動くことを
諦めてしまっているんです。
そんなことだから、
せめてもの抵抗として、
SNSでボヤいてる、っていう
大人がみんなで力を合わせて
立ち上がれば、
何か変わるのかもしれないけど、
内心みんな、
なんやかんやで、いまくらいが、
心地よいのかもしれない。