今年の漢字も「災」なのか
令和元年11月14日。
涌井慎です。
趣味は新聞各紙のコラムを
読むことです。
11月9日「119番の日」にちなみ、
11月15日までは
「秋の火災予防運動」が
実施されていることを
「下野新聞」で知りました。
首里城の火災、
京都アニメーションの放火事件、
火の危険を身近に感じたため、
近頃はインターネットで
世間にバッシングされる
現象のことなんぞを、
「炎上」などと
言ってはいけないような
気がしてきました。
しかし、裏を返せば、
あの惨事に例えられるほど、
酷いものなのかもしれません。
昔から、
世の中の怖いものを
「地震雷火事おやじ」といいます。
少し前の何新聞のコラムだったかに
この「おやじ」は「親父」ではなく
「台風」のことなのだという
説があると書いてありました。
説を流布しているのは、
これまたインターネットらしい。
その「おやじ」も今年は
猛威を奮いました。
「河北新報」に台風19号で
亡くなった方の最後の言葉が
掲載されていて悲しくなりました。
福島県川俣町の新聞配達員の方は
「新聞を待っている人がいる」
と告げて出掛け
帰らぬ人となったそうです。
宮城県白石市の
重機オペレーターの方は
「ちょっと現場行ってくっから」。
「いずれも真面目で責任感が強い人柄がしのばれる」(括弧内引用)
しかしながら、
自分の命よりも大切な
責任なんぞ、
あるものなのでしょうか。
その責任感が尊いものであることは
間違いないのですが、
命を失わない術も
あったのではないかと思うと、
なんともいたたまれないです。
今年の6月に、
私の身近なところでも、
仕事への責任を全うしたことで
死期を早めたおじさんがいました。
その人は毎日毎日、
京都の朝に声を届けていました。
マイクの前で死ねたら本望だと
生前も言っていました。
そういう「散り方」を
美しいと思っていた節がある。
それはそれで確かに美しい。
最後まで仕事人であり続けることを
私も尊いと思う。
しかし、もう少し早く、
手を打っていたら。
残されたほうはそんなことを
いまだに考えてしまうものだ。
これ以上書くと、
死んだ人の悪口に
なってしまいそうなので
やめておく。
災害に関しては「神戸新聞」に
「自然災害伝承碑」の地図記号が
今年制定されたと書いていました。
「先が丸みを帯びた石碑の形で、真ん中に棒が1本。」(括弧内引用)
兵庫県内では7カ所に
記号がついているそうです。
阪神・淡路大震災の関連、
阪神大水害や北但大震災に
ちなむもの、そして
2004年の台風23号禍を刻む碑も。
国土地理院によると、
全国に372の碑があり、
調べてみると、
京都府内は福知山市に2個、
木津川市に3個ありました。
日本列島が災害列島であることは
変えようのないことですから、
災害のあったことが、
風化してしまわないためにも、
こうした碑の存在は
なくてはならないもの、
なのでしょう。
ただ、できることなら、
いま作っておかなければならない碑を
作ってしまってからは
もう増えないでほしい。