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シテとアド、上司面と部下面

令和3年5月3日の日記
涌井慎です。趣味は新聞各紙のコラムを読むことです。いま、今井むつみさんという方の著した『英語独習法』という本を読んでいます。英語を中級レベル理解している人に向けた本だそうで、内容が私にとっては非常に難しいのですが、その分実に面白い。ところが、こういう本を読んでいると「あなたには難しいんじゃない?」って言ってくる人が必ず出てくるわけなんですが、こちらとしては「だから読んでいる」わけでしてね。理解できるものだけ読んでいたら、それはただの確認作業にすぎません。わからないものに対する好奇心は「難しい」を突き破ってくれるのです。

こういう「一段上のもの」について「あなたにはわからないんじゃない?」と言ってくる人もいれば、自分にとって「一段下とみられるもの」について、「どうしてあんなのが好きなの?」と言ってくる人もいます。あれもヒジョーに不思議なものでして。自分の守備範囲にないものに「たいしたことない」という烙印を押してしまうやり方が私はあまり好きではありません。大人になればなるほど、若い人たちを中心とする流行りに対して、そういう反応をしてしまいがちで、そこは私もおおいに反省するところであります。

4月30日の琉球新報『金口木舌』には、ここ最近、狭量な大人の批判の的にされがちなAdoの「うっせぇわ」の歌詞が引用されておりました。「酒が空いたグラスあれば直ぐに注ぎなさい 皆がつまり易いように串外しなさい 会計や注文は先陣を切る 不文律最低限のマナーです」。『金口木舌』によるとAdoさんの名前は能や狂言のシテ(主役)とアド(相手役、脇役)に由来し、曲を聴いてくれる相手の「支えになりたい」との思いが込められているそうです。そう言われると、確かに一言ひとこと、刺してくる言葉たちには、思いやりがあるような気がしないでもありませんが、こういうことを書くたびに最果タヒさんの小説『十代に共感する奴はみんな嘘つき』を思い出してしまいます。そうか、やっぱり私は嘘つきなのか。嘘つきの私か、真っ向から否定してしまう大人か、どっちもどっちなのかしら。

さきほど引用した「うっせぇわ」の歌詞「酒が空いたグラスあれば直ぐに注ぎなさい 皆がつまり易いように串外しなさい 会計や注文は先陣を切る 不文律最低限のマナーです」には今の世の中がうまく表現されているなーと感心します。4月27日の岩手日日新聞『日日草』によると、「日本トレンドリサーチとダイヤモンド・オンラインが20〜70代の男女を対象にした意識調査で、上司からの飲み会の誘いを行きたくなければ「断る」とした割合が70.3%にのぼり、その多くが申し訳なさそうに断るとした一方、14.3%が断固として拒否すると回答したそうです。飲み会で気を使うのがイヤなんですね。15年ほど前か、役所勤めの友人が、職場の飲み会を頑なに断っていると聞き、「けしからん!」とまで思わずとも、「そう頑固にならずともちょっとくらい行けばええやん、付き合いやん」と思ったものですが、いま思えば、かの友人はずいぶんと時代の先を行っていたようです。私なんかは、飲み会を断固として断る部下の気持ちも、飲み会に連れ出そうとする上司の気持ちもわかるものですから、上司モード、部下モード、平時モードみたいなモードがあり、それはまさにアシュラマンのようなのです。「アシュラ面上司」なら「なんでもええからワシが言うてるんやさかいに何を差し置いても予定あけて飲みにこんかい」になり、「アシュラ面部下」なら「いやいや職場の人とは職場での関係のみ!なんだからプライベートの時間をどうこう指図される理屈はありませんことよ」となります。「アシュラ面平時」のときは、そういう煩雑なことは何も考えません。ほどよい食事、ほどよい運動、ほどよい睡眠をキープしておけば、いつも気分は平時面でいられるのですが、なかなかうまくいかず、上司面と部下面のあいだをゆらゆら揺れています。

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