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40歳で海外転職した話 ④

前回までの話はこちらです。

カジュアル面談という名の一次面接は、予想していた以上に好感触でした。

自分をしっかりアピールができたこともそうですが、それ以上に、業務内容や期待されている役割が具体的にイメージできたこと、そして面接官2人の雰囲気から伝わってくる社風にも惹かれるものがありました。

何よりも、海外で日本人第一号として挑戦できる機会などというのは、そうあるものではありせん。日本に拠点を構えている外資系保険会社はいくらもあり、日本人もたくさん働いています。

ただ、今回のように「海外の保険会社が、日本国外に、日本人向けのポジションを新たに作る」というのは、それこそ数年に一度あるかないかの機会だと思われました。エージェントの言う「レア案件」というのも、あながち誇張ではなさそうです。

正直、「転職」という言葉にまだ全く現実味はありませんでしたが、より具体的な業務内容、評価方法、社風などを知りたいと思うようになっていました。

二次面接(人事)

数週間後、エージェントから次のステップの連絡がありました。人事担当との面接です。

当時は知らなかったのですが、海外企業の採用面接は、まず現場のマネージャー(直属の上司であることが多い)、その次に人事、そして再度現場(上司やその上司、隣接部門など)、最終面接(社長や役員)、内定後に人事とのオファー面談(契約条件の確認など)、といった流れが多いです。

日本企業と違って、人事は採用の最終決定権を持っていないことがほとんどで、予め決められたヘッドカウント(要員)と予算の枠内で、現場が合否を判断していきます。

従って人事面接は、現場が次のステップに進めたいと判断した人材のネガティブチェックのような意味合いが強いです。とはいえ、人を見るプロの視点で評価されますので、油断は禁物です。

などということを、当時の僕は知るよしもなく、一次面接の際に用意した資料をしっかりと復習して臨みました。今度はスカイプでの1対1の面接です。

相手はアフリカ系の陽気な女性で、とても和やかな雰囲気。僕は面接ではとにかく明るく元気にを心掛けているのですが、「もっとリラックスしていいわよー」と言われてしまいました。

これはEMBA受験でも感じたことですが、海外での面接は日本に比べるとずっとカジュアルな雰囲気で行われます。もちろん厳しく評価はされるのですが、面接官 vs 候補者 というよりは、肩の力を抜いて対等に会話をするイメージ。日本人にはなかなか判断が難しいところですが、軽く冗談を交えるぐらいでちょうどいい感じです。

きかれた内容は、前回と同様に経歴、実績、志望動機を中心としたオーソドックスなもの。その後、僕が知りたかった会社のカルチャー等について、じっくり教えてもらいました。

うん、これは落ちる要素はなさそうだ。というより、これだけ良い雰囲気で終わってダメだったら人間不信になるかも、という感じでした。

余談ですが、この陽気な人事の女性。社風の良さ、働きやすさについて力強く説明してくれたのですが、僕が入社する前に辞めてました(笑)。

これ海外あるあるで、人事も専門職なので結構すぐに転職します。会社の魅力を全力でアピールしてきたくせに、きいてみたら入社数か月だったり、アウトソースされた外部の人だったりするのです。日本とはずいぶん様子が違いますね。

人生最大の苦悩

面接後、エージェントから「いいフィードバックがきてるから楽しみに待ってて」と連絡あり。

ここに至って、忘れていた(というより、わざと考えないようにしてきた)重すぎる問題に直面せざるを得なくなります。

そう、転職するためにはいまの会社を辞めなければならない、という当たり前すぎる現実です。そしてここから、半年におよぶ苦悩の日々が始まったのでした。

まず、社内の人には絶対に相談しないと誓いました。深刻な悩みになるとわかっていたので、他人の意見に流されてしまっては、どちらに転んでも後悔すると思ったからです。心から信頼できる同僚も数多くいましたが、だからこそ彼らに中途半端な状態で話すことなどできません。

当時住んでいた家から自転車で15分のところに、僕のお気に入りの蔦屋書店・馬事公苑店(スタバ併設で本が読める)がありました。そこに夜な夜な出かけていき、自己分析、キャリア、転職についての本を読み漁りました。

でも、こういう心境のときに目に入ってくる本って、「好きなことをやって生きる」とか「ワクワクする働き方」とか「海外で戦う起業家」みたいなやつばかり。否が応でもテンションが上がり、新しい挑戦がしたくなってきます。

そして、次の瞬間にふと我に返るのです。現実が押しよせてくるのです。

自分が本当にやりたいことは何なのか。それは今の会社ではできないのか。
次の会社にいって、それができる保証はあるのか。社風・人間関係・待遇、どれも満足してるのに転職なんてあり得るのか。いままでお世話になってきた上司、先輩、同期、後輩に何ていうんだ。自分のような草食系が外資系にいって通用するのか。日本人ひとりで。こんなにも安定した身分を捨てていいのか。年金や退職金は。隣の芝生が青く見えてるだけじゃないのか。ロンドンから帰国してようやく新生活に慣れてきた家族に何と言うのか。必死に勉強している息子にこのタイミングで中学受験を諦めさせるのか。そもそもシンガポールなんて旅行でも行ったことないのに・・・

ダメだ、考えてるだけで吐きそう。絶対無理だ。

そんな自問自答をかれこれ1000往復ぐらいしました。

そして何の答えも出ないまま家に帰り、ぐるぐると考え続けながら眠りに落ち、翌朝は何事もなかったかのように出社する。そんな日々でした。

僕は、それまでの人生においても、大きな決断をたくさんしてきたと思っていました。でも、そんなものは決断と呼べるほどのものではなかったことを思い知らされました。

大学進学や就職活動は、どれを選んでもフェアウェイの上に収まっていそうな選択肢の中から、自分と縁があったところに決めたに過ぎませんでした。結婚はもちろん人生の一大事でしたが、最初からこの人だという確信がありました(さりげなくのろけw)。

唯一、卒業を遅らせていった米国留学だけは、人と違う道を選んだという意味で大きな決断だったかもしれません。それにしても、自分が強く憧れてた道に進んだわけで、迷いはほとんどありませんでした。

でも今回は違います。選ばなかった未来は捨てなければなりません。


そして、優柔不断な僕を急かすように、三次面接の連絡が入りました。

To be continued...

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