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頼の字に想う
抜けるような青空の下、諏訪は上原の旧跡を歩く。
諏訪と武田の因縁は、実にここを起点に大きく舵を切ったのだ。
勝頼公は武田の子であると同時に、諏訪の活神大祝、まさに運命の人だった。
諏訪神党に属する真田忍びの諸家は、勝頼公への忠誠一方ならず、さながら神に仕えるが如し。
本能寺の信長公だけでなく、戦国の世の国主達は、人間五十年と達観して日々の生を紡いでおられたのだろうなあ‥‥‥などと考えながら、無常の風に吹かれながら頼重院、頼嶽寺より火とぼし場跡辺りを、心経を誦しつつ東上した。
「頼」は諏訪一族の通字。「頼重院」は信玄公に滅ぼされた諏訪頼重公の菩提を弔う寺である。
若き日より、領民の安寧と秩序を護る「環境」になりきる教育を受け、運命の波に揉まれながら自らを指南針と定めなければならないとは、どんなに大変でやりきれないものがあったのか。
我が身の来し方を鑑みるに、かような大身の貴人と比べ、なんと自由で大らかに生きることを許されて来たことか!
更に有難きは、もうすぐ五十年を迎える私であるが、苛烈な人生の中、先人達が求めても得ること叶わなかった「健全なる精進」を重ねて行くことが許されている。
嬉し嬉し、楽し楽し、面白き清々しき人生は、只我が身の為だけではなく、この今を遺してくれた先人達への供養となるのだと、諭されたような気がした一日だった。