旅と交わる #くらしのあと
今回は、日光の玄関口でゲストハウスを営む佐藤久美子さんの“くらしのあと”を覗いてみました。3年半のシンガポール生活を経て、地元栃木にUターンした佐藤さん夫婦。世界周遊の果て、久しぶりに訪れた日光で目の当たりにした外国人観光客の姿から、日光で宿を始めることを決意したといいます。2010年、日光駅前に日光ゲストハウス 巣み家 -sumica- をオープン。外国人観光客が増え、景色が変わりはじめた日光に生まれた宿は、世界中の人々が集い、また旅立つ場所として、日光と世界を繋いでいます。
□時を重ねた場所、思い出の積もるくらしのあと
ご縁あって巡り合った物件を自分たちの手で改装し、これまで数えきれないほどの旅人を受け入れてきました。そんなこの場所には、いくつもの出会いの痕跡があちらこちらに蓄積されています。
「日光初のゲストハウス」と新聞の記事に掲載されると、突然、千葉の方から連絡があったそう。「疎開で日光にお世話になったので何か恩返しがしたい」「使っていた火鉢が昭和の建物に合いそうで、また外国人ゲストが喜んでくれそうかなと思いまして。」と。
壁一面に貼られているのは訪れたゲストたちの写真。ゲストとのコミュニケーションから、ゲストの内なる探究心をさりげなく引き出し、佐藤さんにしかできない旅の案内をそれぞれに提案しています。時には日光に住む人を巻き込んで、人と人とを繋ぎ、唯一無二の日光を体験してもらう。きっとこうしたいい意味での「予想外」を作る佐藤さんの計らいが、日光好きを増やす理由の一つなのだと思います。
□一つ一つの出会いには意味がある
10月、水際対策が緩和され、作業も増え、24時間鳴りやまないメールの返信に疲労困憊のところ、照明修理で脚立に登った際、転倒して右肩を脱臼してしまった。
そんな次の日に、左手だけで演奏するピアニストの方が泊まりに来たそうです。最初は全く何も気が付かずいつものように接客するものの、それでもしばらくみていると片手を使っていないことに気がついたそう。そんな彼女が左手だけでピアノを演奏するピアニストでした。不自由な右手はなんのその。自分らしい表現のために好きなピアノを続けているそうです。そんなひとつの出会いから勇気を貰い、この繁盛期を明るく乗り切りました。
毎日毎日、世界各地から巣み家に訪れる。こうして日光で人を迎え、人を繋ぎ、そして人を送り出す。そのひとつひとつが今に繋がっているのでしょう。
□わざわざこの土地に暮らすということ
日光には、冬がある、オンとオフの激しいまちは商売人にとってはなかなか辛いこともあります。もっと便利に暮らしたければ近くに宇都宮という選択肢もあります。宇都宮からだって大した距離ではないのだから、日光が好きなら宇都宮に住んだって困りません。それでも日光を選ぶということにはきっとみな理由があるのでしょう。小さなひとつのご縁が、日光に暮らす一つの理由になるのかもしれません。
□またみんなでこのこたつを囲んで
コロナを経て、毎日のように開催していたイベントごとがすっかりなくなってしまいました。またいつかあの風景が帰ってくるのを待っています。
語り手:日光ゲストハウス 巣み家 -sumica- 佐藤 久美子さん 聞き手:髙橋 広野
NPO法人日光門前まちづくりnote部|髙橋広野
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