里山暮らしはやめられない ブルーベリー万歳!
ウサギに食べられた!
前回も少し書いた、飯舘村からここまではるばる運んで来たブルーベリーの木について書こうと思う。
そもそもは、亡夫彰夫さんが亡くなる2年前の春に、小さなポットに入った10㎝ほどしかないブルーベリーの苗を、いろいろな種類を取り揃えて100本ほど購入したことから始まる。
すぐに大きめのポットに植え替えて1年ほど育てて、大きくなったもの数本を地植えしたところ、あっという間にウサギに新芽を食べられて壊滅状態に。どうしたものかと思案していたところ、テレビのローカルニュースでブルーベリーのポット栽培についてやっていたのをたまたま見て、「これだ!」と思い、さっそくテレビに出ていたブルーベリー農園に二人で見学に行った。
そこで学んだことは以下のとおり。ブルーベリーは根を横に這わせるから草に負けやすいし、小さいころはウサギなどの食害に遭いやすい。だからある程度大きくなるまではポットで育てて、大きくなったら地植えした方が良いということ。地植えする際は、地面をこんもりと盛り上げた上に植えた方が、根が張りやすくて良いということ。枝は3本仕立てくらいにすること。2、3年は樹を育てることを優先して、花が咲いたら摘んで、実を生らせないようにすること。そして、ブルーベリーは日当たりと水はけの良い場所が良いけれども、水で育てるというほど水が必要だから、ポット栽培の場合夏場の水やりが大切だということなどだ。
私たちは次の春が来たらポット栽培に取り組もうと決めて、直径50センチの大きなポットとピートモスを注文した。ブルーベリーは酸性の土壌を好むので、必ずピートモスを使用する。私は大きな鉢に植え替えるときは、ピートモスにもみ殻を半分くらい入れたものを使った。
ところが、彰夫さんはその年の暮れに突然体調を崩し、翌年の3月の末に旅立ってしまった。大きなポットとピートモスはすでに届いて倉庫に置いてあった。
たくさんのブルーベリーの木を私ひとりで全部の世話をするのは難しいと判断し、30本ほどを残して、あとはブルーベリー農園に引き取ってもらった。
避難先の家からこの場所まで
その年の秋か次の年の春なのかは忘れてしまったけれども、以前にも登場した手伝いに来てくれていた落合さんと由利ちゃんに手伝ってもらって、ブルーベリーを大きなポットに植え替えた。
それから3年あまりでブルーベリーは成長し、実をたくさん生らせてくれるようになり、ジャムはもちろんのこと、マフィンやタルトなどのお菓子に使ったり、いろいろ楽しめるようになり、それは今も続いている。福島駅の近くの商店街に店を構えていた、知人がやっていた天然酵母パン屋さんに少しだけれども買ってもらったりもしていた。
ほんとうに、ブルーベリーは無農薬で育つし、毎年実を生らせてくれるし、生食もおいしいけれども、加工すると抜群においしいし、紅葉はきれいだし、良いことづくめの果樹だと思う。
難点は、実が細かいので収穫が大変なこと。それに実は一度に熟す訳ではないので、シーズン中は毎日熟したものから順番に収穫し続けなければならない。ところで、熟していると思って採ったのにまだ赤かったという場合でも、数日で追熟するので問題ない。冷蔵庫に入れておけば一週間くらいは大丈夫なので、タッパーに溜めておいて、2㎏くらいになったらジャムに加工してビン詰めして保存する。冷凍保存も可能だ。
そんなわけで、ブルーベリーたちは順調に育っていたのに、震災原発事故で避難することになり、置き去りにしなければならなくなった。夏場の雨が少ない時期は水やりをしないと枯れてしまう。どんなものでもそうだが、気を掛けられなくなると、あっという間にダメになってしまうのだ。
丹精を込めて育てて来た大切なブルーベリーをすべて失うことに、私はどうしても耐えられなかった。そこで、職場のヘルパーさんで、軽トラを持っている方に運び出すのを手伝ってくれるか聞いたところ、快諾してくださったので、事務のスタッフのひとりもいっしょに3人でいざ飯舘村の我が家へ。そして、9鉢を運び出し、お礼に一鉢ずつ差し上げて、残り7鉢を避難先の家に運んでもらった。
その後、更に、この場所へと、大きな鉢ごと他の荷物といっしょに引っ越してきたのだ。
以前、飯舘の思い出の品は薪ストーブだけだと書いたけれども、ブルーベリーたちのことをうっかり忘れていた!飯舘から避難先の家、そしてこの場所までいっしょにやって来たブルーベリーたちは、もうただの木ではなく大切な仲間なのだ。
残りのブルーベリーはすべて諦めざるを得なかった。
事が起こったとき、守れるものはほんとうに少ないのだ。津波の被災地ではすべてが一瞬で流されて何も残らなかった。その壮絶なまでの喪失体験を想像することすらできない。
原発被災地はすべてがそのまま残されているために、こうして後から持ち出すことができて、津波の被災地よりはマシなのかもしれない。反面、そのまま残っているがゆえに諦め切れないということもあるだろう。
あれから10年以上が過ぎて、この場所での里山暮らしも落ち着いてきて、失ったものたちは、私の心の内にある、柔らかな光の中に存在し続けている。
青いのじゃないとダメ!
ところでブルーベリーの木は、避難先の家へ運んで来た時点で地植えしても大丈夫なほど成長していたのだけれども、それから避難先の家で5年、ここに運んで来て2年、飯舘村では3年ほどなので、10年もポットで育てることになってしまった。ここに来てから3年目の春先に、水はけと日当たりが抜群な場所にようやく地植えした
この場所で問題なのはウサギよりもカモシカと鹿。果樹の新芽は殊更おいしいらしく、あっという間に食べられてしまう。そこで、Tさんに、ブルーベリー畑の周りをすべてワイヤーメッシュで囲ってもらった。
飯舘村では鳥に食べられたことが一度もなかったので、鳥害は全く考えていなかった。ここでも、地植えしてから一年目は鳥に食べられることは全くなかったのだ。
10年も経って古い枝には実が生らなくなっていたので、古い枝を剪定して更新したために、ほとんど生らない木もあったけれども、それでも充分に収穫することができた。植えた場所がとても合っていたようだ。
ブルーベリー畑の真下が我が家のカヤ刈り場なのだが、春先、枯れたカヤを大量に木の周りに敷き詰めてマルチにすることで、防草と乾燥防止になっていることも幸いしているのかもしれない。
ところが、二年目になったら、突然ヒヨドリに食べられるようになってしまったのだ。しかも、飯地中のブルーベリーが突然食べられるようになったと聞き驚く。あれはおいしいぞ!とヒヨドリネットワークで情報交換されているのだろうか。
さっそくホームセンターで防鳥ネットを買ってきて掛けたのだけれども、ネットは突き破るは、ワイヤーメッシュの部分は網を掛けなかったものだから、間を潜って入るはで惨敗。
もうあきらめるしかないかと思っていたところ、ここから30分くらい行った隣の市で農業を営んでいる、友人のともちゃんが、なぜ来てくれたのかは忘れたのだけれども、何かの用事で我が家に来てくれた際にそのことを話したところ、いっしょにブルーベリー畑を見に行ってくれて一言。
「この網じゃダメだよ!青いのじゃないと。」
さっそく通販サイトでワイヤーメッシュごと畑をすっぽり覆える大きさの、青い“強力防鳥ネット”を注文。青いネットを張っている間、その上をヒヨドリたちが旋回しながら監視していた。もう絶対にやらないぞ!と私はヒヨドリたちに向って拳を振り上げた。
その年は、半分くらいは食べられてしまったけれども、残りはなんとか死守することができた。昨年は最初から青いネットですっぽり覆ったため、一粒も食べられなかった。完全勝利!
我が家の木はすべて寒冷地向きの種類“ハイブッシュ系”なのだが、標高600mとはいえ飯舘村に比べれば暖かいこの場所には向かなかったのか、私の剪定の仕方が不味かったからか、7本のブルーベリーの木の中にはあまり生らないものが2本ほどあり、新しいものに植え替えた方がいいかなあと思案している。でも、なにせ飯舘村からはるばるやって来た子たちだから、生らなくてもそこに居てくれるだけでいいかなとも思う。
今年もきっとブルーベリーたちは多くの楽しみを与えてくれるだろう。
ブルーベリー万歳!