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絶対に服従しないマン、爆誕!

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・イギリス領南アフリカ連邦へ

全く仕事がない状況だったわけだが、ある日、南アフリカの企業から仕事の依頼が来る。かなり遠方だから、誰も行きたがらなくて、ガンディーのところに廻ってきたということだったようだ。依頼主はインド北西部のグジャラート人で、インド人と企業訴訟で争っているので、その弁護をして欲しいという依頼だった。それ程難しい仕事ではないという触れ込みでもあった。
丁度このとき、二人目の息子も生まれたばかりだったので、是が非でも生活費を得る為と、肩身が狭いのとで、妻と子を置き去りにして南アフリカに旅立った。
歴史的偉業を成し遂げた人ではあるが、妻と子供からすれば、堪らん感じの夫であり父親だっただろうなあ。


・身をもって味わうアパルトヘイト

植民地であるインドとイギリスの関係は、イギリス側からは”ドル箱”と呼ばれるほどお金が稼げるところであった為、生かさず殺さずな関係だった。
だが、南アフリカとなると、有色人種には人権が与えられていない。
南アフリカといえば、ダイヤモンドや金鉱山。その発掘労働者として、アフリカ人やインド人がたくさん送り込まれている状況だった。
それに伴って、インド系の商人も送り込まれている状況で、イギリス系やオランダ系の白人も混在している感じだ。
企業訴訟なんで、ガンディーには企業側が手配してくれた一等車の予約切符がある。VIP対応だ。当然のようにそこに乗り、一週間ほど過ごしたある日、通りがかった白人がガンディーのことをじろじろ見詰め、矢鱈と睨んできた。その後、車掌が来て「お前は降りるか貨物列車に移動しろ」と要求してくる。当然、ガンディーは「僕、一等車の切符持ってますけど」って反論する。
「ここ、白人しか乗れないから、有色人種はどっかいって」
実際、決まりとしてあったらしい。
ガンディーは誇りは高いから、拒否する。この当時から非服従。その結果、無理矢理降ろされ、夜の駅に投げ出される。

繊細で頭の良いガンディーは、感情に走ることなく深夜のプラットフォームで一晩中考え続けた。
「一体何が起こってるんだろう」って。
その時点で何かの結論を得ることはできなかったが、この経験が、後々の独立運動の萌芽となったと、のちに回想している。
この経験が、自分の人生の中で最もクリエイティブな時間で、すべての活動の原体験だったと。

馬車に乗って移動しようとしても、白人に、有色人種は座席ではなく床に座れと命じられ、拒否するとぼっこぼこにされる。
ホテルに泊まろうとしても「ホテルは白人しか泊まれません」と宿泊拒否されるんだが、往生していると、優しい黒人が声をかけてきて、「有色人種でも泊めてくれるアメリカ人の経営するホテルがあるから、そこで一緒に泊まろう」って誘ってくれて、事なきを得た。

なかなか腹立たしい体験だとは思うが、ガンディーが怒りを原動力としたヒトラーと違うのは、そこそこ怒ってはいるんだが、攻撃性がない
殴り返したりはしないし、ひたすら耐えている。
どうしてこうなっているのだろうと、ただひたすら思考を巡らせ、咀嚼しようとする方向に理性を巡らせている。

更には道を歩いていると、警察からいきなりケツを蹴られて、「白人しかこの道歩いちゃいけねえから」って怒鳴りつけられる。更に、そういう扱いに従順になってしまっているインド人を目の当たりにして、不甲斐なさや不公平感、不当な扱いに対する抗議の心というものを覚え、それは終生消えなかった。
相手がどんな攻撃をしてこようが、精神的には受け入れない、絶対に服従しないマン、爆誕!


・弁護士の極意に目覚める!

最初は簡単な事務だったし、職場の人とも段々信頼関係を築いていき、必要とされた会計知識も猛勉強して会得し、自分には”事実関係の確認や、筋道を立てるという能力は備わっている”ということが分かってきた。

そして現地でのたった一回目の訴訟で、弁護士の極意ともいえる物を身に付ける。
ガンディーは一見ダメなんだが、本質を掴む力が凄まじいから、人よりは遅咲きなんだが、上っ面に流されずに奥底を掴み取っている。
この後、一気にライジングして、めちゃくちゃ年収が上がり、社会的に成功する。


・さて、その極意とは、サティヤーグラハ(真理の堅持)

ガンディーが気付いたのは、ほとんどの弁護士は、弁護料を永く毟り取る為に、わざと裁判を長引かせ、争わせているという実態だった。
お互いが矛を収め、友好的に着地するということを目指さない弁護士がほとんどだった。
ガンディーが見付けたのは、彼の造語のサティヤーグラハ(真理の堅持)。
対立そのものを根源的に消す方向で頑張ったら、全部上手く行くということが分かってきた。
対立を軽減するとか、どちらか一方を勝たせるとかではなくて、対立そのものをなくしてWinWinにさせると、全員上手く行く丸く収まるよなと。
…まあ、”言うに安く行なうに難し”なことだと思うが、ガンディーには実行できるだけの思慮と意志力があった。

ガンディー自身は別に儲けることを目的ともしておらず、実際、貧民からはお金も受け取ってないし、にも関わらず、年収がうなぎ登り。
いきなり金持ちになって、バリバリ西洋風の高水準な生活に突入する。
南アフリカの環境だと、西欧化してないと舐められるってのがあったから、恐らくは妥協もあったんだと思う。


・奥さんと子供、やっと呼び寄せます😅

…なんか本当は呼びたくない感じもあったっぽいんだよなぁ。
インドでは女性蔑視が結構当り前で、自分の運動の妨げになるっていう危惧があったみたいなんだが、奥さんとしては、嫁ぎ先で夫もおらず、長らく居候させて貰って、堪らんよな…。
家庭人としてのガンディーは、ダメダメだと思う。

で、奥さんと子供に、西洋風の生活を強要する。
白人至上主義のこの国で、西洋風にしないと舐められるからって。
この辺り、自分の社会的影響力と差別や反発の具合を冷静に観察しての行動だと思う。なぜなら、その後しばらくすると、一転して、インド風の生活に戻るから!
ただまあ、その辺り、きちんと奥さんと子供に説明してなかった場合、思いつきで振り回す強権的な家長って思われてただろうなあ…。
いかなる偉人でも、家庭への細やかな気遣いは、必要だと思うな!


・インド人コミュニティー設立 &  戦地に立つ

この後、南アフリカで20年間、ずーっと頑張るぜ!
意外なことに、イギリスとオランダの植民地戦争や、第一次世界大戦では、イギリスへと、救護隊や補給員として戦争協力を申し出ている。
そして、砲弾飛び交う野戦病院で戦場を目の当たりにしている。

この時点のガンディーとしては、インド人は一応イギリスに所属しているわけだから、国家存亡の危機の打開に尽力するのは義務だと受け止めて奮闘したわけだ。

…それにもかかわらず、イギリス領南アフリカ連邦は、インド人の人権を守ってくれない。


・インディアンオピニオン & フェニックス農場 独立への萌芽


インディアンオピニオンという2500人ぐらいの購読者数を獲得した隔週新聞を発行するようになる。
ガンディーも毎回、論説を掲載して、それを透かして垣間見える無私無欲な人物像が、人々の尊敬を集めていくこととなる。

そして、ある程度の支持を集めることができた時点で、西欧に同化していた生活様式を次第に改め、インド様式に立ち返ることにする。
フェニックス農場という自給自足のコミュニティーを営み始める。
だれもが一つ屋根の下、平等に共同体感覚を持って生きていくというスタイルを、ここで学んで確立しよう!という施設だ。

そしてこの頃、ズールー人というアフリカの民族が起こした反乱をイギリス側が鎮圧することとなり、その際に、ガンディーはズールー人側の負傷者の治療をボランティアでやっていたんだが、ここで彼は植民地支配の本当の姿を直視することとなる。虐殺されるズールー人の姿だ。
『めちゃくちゃ不当で、どうしようもなく自分勝手で、残酷で、宗主国側にしかメリットがない、歪な関係』
これまではイギリスのことをそれなりに尊重していたのが、木っ端微塵に打ち砕かれる経験をすることとなった。
そして、南アフリカでの非暴力・非服従・非協力活動を始めて行くことになる。

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