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間章 本当に怖い鎌倉武士
・武士は弓馬の道
武士というと刀というイメージだが、それは江戸時代以降であって、弓と馬を巧みに操ることができるのが優れた武士の条件だった。
現代に喩えると、弓は銃、馬はバイクのようなもので、高速で遠距離攻撃できる奴らが一番強いのは道理だろう。
戦場での死因には、馬に踏み潰されたというものも多かった。
源頼朝の弓を射る腕前は凄まじく、的となる板をぶち破ったとか。
逆に義経は非力だったので、威力の弱い弓矢しか扱えず、そのことを恥じていたらしい。
・門前に生首絶やすな
清廉潔白で誇り高く、鎌倉武士の鑑とされた畠山重忠。
彼をモデルとして描かれた鎌倉武士の絵巻物がある。
そこでは、屋敷の前を通りかかった乞食や修行者を射殺して、生首を門前に飾るのが『格好良いエピソード』として紹介されている。
現代人からすれば狂気の沙汰だが、改めて考えてみた。
戦場で命懸けの闘いをすることが仕事である武士にとって、どこを弓矢で射れば相手の戦力を可及的速やかに奪うことができるのかを知るのはとても重要なことだったのかもしれない。
だから、『流石、畠山重忠殿! トレーニングすっげぇ頑張ってるなあ!!』ぐらいの感覚だったんだと思われる。
…いや、怖いけどな!!!