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サティヤーグラハ(真実の堅持)

・運動の始まり

南アフリカのコミュニティで活動を始めていたんだが、1906年にインド移民に対して様々な不当な法律が制定されてしまう。
最もタチの悪いのは、インド移民に対しては警官が令状なしで家に勝手に入っていいというもの。プライバシーもなにもあったもんじゃないし、逮捕しようと思えば、恐らく適当な違法物を持ち込んだりして罪を捏造できてしまう。いよいよ人権が無視されようとしている。

ここでついにガンディーは、バガヴァッタギータで学んだ、非暴力・不服従という概念で、イギリス領南アフリカ連邦政府と戦うことを決意する。
インド人と言っても、様々な言語を喋る人たちや様々なカーストの人がいるわけだが、そういうものを越えて人々を集め始める。
前章で紹介したフェニックス農場で暮らしているのもそういった人だし、そこ以外にも大勢の支持者がいた。
本来、カーストの異なる者が同じところで暮らすというのは、カーストの概念からすると絶対にやってはいけないことなんだが、その禁すら破らせるほどにガンディーの影響力は凄まじかった。

・いざ実践

ガンディー一個人としては、非暴力・非服従・非協力を貫いてきたわけだが、ついに自分を支持してくれる人たちにもそれを社会活動として広めていくことにする。
この辺り、彼はきっちり戦略的に考えている。貧民がどういうアクションをすれば、非暴力の状態で政府に対して有効な手段となり得るか。

前述の不当な法案は、ベースとしてインド人の住民登録ありきだった。だから、ガンディーはまず、その登録を拒否すること(非協力・非服従)を呼びかける。
そういう活動をして、影響力を及ぼすと、「めちゃくちゃウザいインド人の指導者出てきたぞ」って、当然目を付けられる。1908年、初めて逮捕されるんだが、非服従・無抵抗を貫く。殴られようが蹴られようが、全く服従しないのに、全く反撃しない。ちなみに、ガンディーに協力して逮捕された人も大勢いる。これには弁護士として貧民を助けてきた実績も大いに関わっているだろうし、ガンディー自身が非暴力・不服従を徹底して実行できているという事実が何よりの説得力だった。
ガンディーは口で言うことを重視せず、全部行動で示さないとダメだと悟っていた。


・溢れる逮捕者

結果として、逮捕者が溢れ返り、管理する側としても大変なことになる。
反抗されてる側としては特に信念とかもないわけだから、面倒くさくなって、純粋にコストを考えるようになる。抑え込むコストと、懐柔するコスト、妥協するコスト。
その結果、妥協案を示すんだが、それで事態を落ち着かせた後に、再び不当な法案を成立させたりと姑息な手段を執る。しかも何回も。

その度にインド人コミュニティーはキレるんだが、それをガンディーは宥め落ち着かせることができる。
「何回裏切られようと、20回裏切られようと、21回目も信頼する」と、ガンディーは語る。それが、サティアーグラハ(真理の堅持)だ。

勿論、ガンディーのことをただのバカだと批判する声もあった。
それに対してガンディーは「21回目にも相手を信頼するという姿勢こそが相手を変えるんだよ」と諭す。
裏切られることに対して恐怖や怒りといったマイナスイメージを持つこと自体が執着で、すべての結果は平等だと…激ムズ哲学ゾーンに突入している。俺的に噛み砕いて言えば「貴方のその態度は個人の感想ですよね。私たちは、変わりませんよ😊」的な?

改めて、ガンディーによる説明。
相手を信頼できないというのは、不安と恐れがあるからで、それは結果に対する執着があるからだ。望む通りの結果にならないかもしれないという不安と恐れにより、相手に対する攻撃性が生まれてしまう。その結果、対立構造が生まれてしまう。
サティヤーグラハが目指しているのは、その対立構造を完全に消滅させること。だから、何回裏切られようが絶対に対立はしないし、従うこともしない。

・人間の良心への絶対的な信頼

更にガンディーは、すべての人間には凄く強い良心があると言っている。
どれだけ深く埋もれていても、掘り起こせば必ずあると。
自分たちが相手に対して全く従順ではないのに、相手に対して全く攻撃をしないという姿勢を見せ続けたときに、その姿勢に対して人間は攻撃性を持ち続けることは絶対にできないと言っている。

自分自身の生き方として貫く分には、そこそこできるとも思う、けれど、ガンディーはみんなにもそれを説いて、実践させている。たとえば、夫が殺された奥さんや子供にもそれを説いて、納得させている。そして、それに関して、覚悟も訓練もスキルも要らないと言っていて、人間は元々それをする能力を持っているから、それを掘り起こすだけだと言っている。
人類が社会性動物として進化してきた以上、利他的行動が達成感を生むのは確かなわけで、それを見事に突いていると思う。
ポンコツ弁護士時代が嘘のような大変身だ。



・理屈で説明するとか、論外!

南アフリカでは最終的に5000人ぐらいの民衆がデモ行進を行なってくれるようになったガンディーだが、弁舌による理屈だけではサティアーグラハは絶対に分からないと断言している。行動で示すのみ!

当時の被差別側の人たちの状況も、かなり追い詰められた極限状態だった。フランス革命の時の民衆にしろ、ヒトラーの時のドイツ人にしろ、なにもしなければ滅びしかなかった。フランスとドイツは捨て身の攻撃に打って出たわけだが、ガンディーは融和の道を捨て身で模索した。

デモ行進をしている最中、当然、警官は武力を振るい殴ってくる。
思わず殴り返してしまう人だって出てくるわけだ。
その際、ガンディーは活動を止める。そして、断食をする。
殴り返しちゃった人が落ち着くまで断食して、それが無理なら、餓死しようとする。
――…活動に協力している以上、当然ガンディーを尊敬しているから、「えええっ!? やめてくださいっ!!!」ってなるわけだ。
ある意味、自分を人質にとって、サティヤーグラハを粛々と押し進める。

異分子を排除もせず、説得もせず、自分を人質にして…、自ずから悟らせる。
何が何でも、『対立』という構造を作らない


・非暴力の威力を実感

結局、運動の規模がもの凄いことになったので、南アフリカ連邦政府は不当な法案を廃止して、インド人救済法という法案を通し、運動は成功を見る。
このことでガンディーは、非暴力の力が如何に強いかということを実証実験を通して体感するわけだ。

この経験の中で、ガンディーはいろんなことを言われもするんだが、それらに対する返事が凄い。

「歴史上、非暴力活動で権利や自由を獲得した人って、一人もいなくないですか?」
確かにそれ以前の革命には、必ず暴力が付きまとっていた。
ガンディー応えて曰く「歴史を学んで分かることは、今まで歴史で起こらなかったことが、未来永劫起こらないとは限らないということです」
確かに!

恐らくこれまでの人生経験が彼の中でずっと発酵していて、自分の進む道を確信できたことで、スムーズに熟成された言葉に転換できるようになったのだろう。

これは後々のエピソードだが、彼がイギリス国王をはじめとした高級閣僚の会議に呼ばれることがあり、そこに向かう車中で、同乗者から「ちゃんと喋る内容とか考えましたか?」と尋ねられ、「いや、なにも考えてない」と応える。「何も考えてない状況から出てくる言葉以外、要らないんだよ」と、更に付け加える。この時点でガンディーは、何の財産も持たず、貧民と同レベルの生活をしている。その状態から出てくる、何の作為もない超自然状態の言葉にしか意味がないと断じている。上手いこと言おうとか、説得しようとか、勢い込んだところが全くない。

同時代を生きたヒトラーは聴衆の心理を勉強し、研究し尽くして、怒りを煽り誘導する弁論術を極め、ある程度目的を成し遂げた。二人とも努力したのは確かだろうが、その方向性が正反対なのが面白い。

他にも凄いエピソードを紹介すると、運動の最中で南アフリカ連邦政府のお偉いさんに逢いに行くことがあった。デモ活動や抗議活動をする祭には、必ず偉い人に手紙で事前通知をするという律儀な行動をしていたから、その一環だったんだろう。「今回決まった法律に、私たちは従えないので、抗議活動します」的な。
まあ、受け取った側としては、そういうのを送られても困るわけだ(笑)
それで呼び出されたりしたんだろう。
「こんな活動で、この法律が変えられると、本当に思っているんですか?」って問い質されるわけだ。
ガンディー「はい、思ってます」
イギリス側「どうやってやるんですか?」
そう追及されたガンディーは、
貴方に協力して貰って、成し遂げられます」と告げた。
しかも、あたかも昔からの親友のような笑顔で言ってくる。

結果、その人の協力の下、成し遂げてしまったりしている(笑)
そりゃ、毒気抜かれるよなあ。

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