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通勤定期券の区間延長で(半強制的に)旅をするという空想(マニア向け)


0.はじめに

定期券を使い、鉄道を通勤のために利用している人は少なくない。定期券を利用すると、1回あたりの運賃が安くなる。通常であれば、自宅の最寄り駅から職場の最寄り駅までの区間を設定し、購入するはずだ。
※筆者は学生時代、親に1ヶ月定期を都度購入してもらい、利用していた。年度が変わる春には地下鉄定期券の購入窓口が混雑していた記憶がある。当時はあくまで通学のために鉄道を利用していたにすぎず、定期を活用した旅へ行く意識はとくになかった。

しかし、現在は6ヶ月の通勤定期を自分で買うようになり、また鉄道の知識も増えたので、定期を使っていろいろ試せるのではないか?と思うようになった。今回の記事は、そんな私の空想を言語化したものになる。かなりマニアックかつ、実用性も乏しいといえば乏しいので、あくまで参考程度に読んでいただければ幸いである。

1.通勤定期の優位性

通学定期は通勤定期より割引率が高い。これは十分な収入源を持たない学生の通学を補助することが目的であろう。
※開通当初の鉄道は通勤通学のためではなく、石炭や兵士などの物資・人員輸送という目的が強かった。しかし、戦後の都市化により、現在、鉄道の役割は通勤通学客の輸送になっている。
よって、通学定期は通勤定期の上位互換と判断しがちだが、それは半分間違いだ。なぜなら、通学定期には自由度がないからである。

通学の場合、自宅の最寄駅~学校の最寄り駅までしか割引が適用されない。もちろん、通勤定期なら区間の制約はないが、学割は効かない。そもそも料金を捻出しているのは大抵親だろうから、当然割引が適用される通学定期になるはずだ。
「遠くへ行ってみたいから通勤定期にして」と頼んでも一蹴されるだけだろう。この場合、お金を出している親が決定権を握っており、わざわざ家計を圧迫する定期を購入する理由はないからだ。
しかし、通勤定期の場合は話が異なる。この場合、定期代を払っているのは自分なので、親の意向を伺う必要はない。通学定期時代の格安割引は受けられなくなるが、経路・区間を自分で設定でき、自由度が大幅に上がる。
この自由度こそ、通勤定期の優位性なのだ。

2.運用上の一例

たとえば、手稲~札幌を通勤利用している人がいるとする。通常であれば、同区間の通勤定期を買うはずだ。しかし、この人は札幌から先、たとえば手稲~白石までの定期を購入することもできるし、小樽~札幌の定期を購入することもできる。
「そんなことしてどうするんだ。金がかなりかかるだろうが。」
とお叱りをうけそうだ。たしかに、これを実行すると出費は増える。しかし、それと引き換えに無味乾燥な「通勤」に華やかさを添え、「旅」に出る動機づけをしやすくなる。通勤定期の場合、大抵は区間内を乗り通すことがほとんどだと思うが、こうすることで普段行かない所へ(半強制的に)行けるようになる。買った以上、乗らないと損だからだ。(普段行かない所へ行くことが「できる」フリーきっぷとの違い)

※とはいえ実際には、本来の定期がカバーしている範囲内で途中下車するのがお財布に優しい実用的な方法と言える。先程の手稲~札幌間通勤の例でいくと、帰りに琴似や発寒、稲積公園で降り、そこから乗り降りを繰り返す、もしくは運動不足解消のために歩く、といった具合だ。この場合は余計な出費がかからないので、実際にやっている人もいるだろう。近距離切符は途中下車できないが、定期にすることで途中下車が可能となり、乗り降りの度に発生する運賃を抑えることができるのも強みだ。

また、単に通勤エリア外へ行きたいだけなら、行きたいときに都度切符を買うという通常の方法はもちろん、フリーきっぷを利用する手もある。青春18切符や一日散歩きっぷなどが一例で、どちらもシーズン限定ではあるが格安だ。北海道の一日散歩きっぷは土日祝限定販売のため、祝日が月に1日、土日休みの人からすると月に8~9回は買うチャンスがある。よって、私が先述した「酔狂」に見える大盤振る舞い定期はそれ以上使わないと元が取れない。そういう意味では私の提案は文字通り酔狂に映るかもしれない。

3.フリーきっぷの欠点?

しかし、フリーきっぷも万能ではない。この手のきっぷは自由度の高さが魅力だが、その自由度が逆に旅の幅を狭める、というジレンマを引き起こしている(このような見方が穿っているだけかもしれないが…)。
というのも、区間内であればどこまでも乗って良い、と言われるとなるべく遠くへ行きたくなるのが人の性だ。これは個人の性格にもよるが、筆者の場合、どうしてもそうなる。そうなると行き先が必然的に遠くになり、近場を観光してみようという意識を持ちづらくなるからだ。事実、筆者は一日散歩きっぷを使って近場を観光したことがほとんどない。というのも、仮に近場をフリーきっぷで(元が取れるように)回ろうとすると、かなりの途中下車をしなければならないからだ。それはおそらく忙しない旅になるであろう。

※「地元すぎて行ったことがない」という一見奇妙な現象も遠くへ行けるがゆえのものであろう。フリーきっぷの最も簡単な元のとり方は、往復運賃がフリーきっぷ以上になる駅まで行くことであり、遠くへ行くほど楽になる。反対に、近くしか行かない場合は途中下車などの手間がかかり、自宅から近いほど面倒になる。「遠強近弱」ストロー効果のように、フリーきっぷの行き先は地元ではなく「どこか遠く」になる。

また、筆者は人混みを極度に嫌う性格のため、空いている始発列車を使うことが多い。遠くへ行く場合は乗り継ぎの関係上、始発列車の利用が必須となる。たとえば、札幌から室蘭まで一日散歩きっぷで行く場合、朝早い東室蘭行きの普通列車を使わない限り、観光施設等が開く10時前に到着できない。
この場合は到着時刻が観光開始時刻に適合するため問題ないが、近場の観光でこういうことをやっても当然観光施設は開いておらず、足止めを食らうことになる。

「そんなもの、時間調整すればいいだけだろうが。」

そのような批判が来ることは目に見えているし、その通りではある。しかし、現職が早朝の仕事であること、遠くへ行くために始発列車に乗ることが習慣になったことによって、中途半端な時間に家を出て列車に乗り、目的地へ向かうことがなんとなく億劫になってしまったのである。鉄道エッセイストで有名な宮脇俊三氏の著作には、
「時間の制約がないと時刻表上で予定を立てる動機づけがなくなってしまう」
という趣旨の主張があったが、それと似ているのかもしれない。
近くであれば平日でも行けてしまうので、「わざわざ休日に」という選択肢が取りづらいのだ。始発列車の旅情は捨てがたいものがある。

4.リピート観光、地元(隣町)重視の旅を促進する通勤定期

筆者は今までいろいろな所へ行ってきたが、基本は1回行ったら終わりで、リピート観光の経験が乏しかった。また、長らく地元の最寄り駅付近の商店街や飲食店すら、ろくに訪れたことがないという始末だった。しかし、1回行って終わりだとすぐに新天地(フロンティア)がなくなって飽きが来てしまう。私は今年初めて本州旅を実行したが、その背景には北海道内の未踏の地がかなり減ってきたという事情がある(それでもまだまだあるが)。しかし、複数回の訪問や周遊観光を前提とするなら、一度訪れた場所でも未踏の地、未体験のアクティビティは多数存在する。そういった場所を訪れる動機づけをするためにも、今回の「酔狂」定期券を使った旅は一考の余地ありといえるだろう。
なぜなら先述したように、この切符は自宅近郊の観光を促進するからだ。あまりに遠いと定期代が高くなりすぎるので、実際には少ししか延伸できないだろう。それで十分だ。この定期は遠くへいくためのものではなく、比較的近くをじっくり観光するためのものだから。

また、近すぎるゆえに、灯台下暗し的な冷遇を意図せず与えてしまう地元観光だが、これは逆転の発想により、どこかに泊まって、地元を目指すという方法を採用してみるのも面白い。
たとえば、千葉市に住んでいて、休みの日はつい東京ばかりいってしまう人がいたとしよう。そんな人は思い切って茨城や栃木、群馬、県内の館山でも良いが、東京以外の場所に宿泊し、翌日、地元・自宅周辺を「観光客」として巡ってみてはどうか。そうすることで、地元の強み・弱みが俯瞰できるようになるだろう。
これはまさしく旅の新たな形だ。通常旅というと、地元以外の「どこか」にひたすら向かう(日本縦断など)、もしくはその「どこか」を拠点に周遊観光をする(温泉・遺跡巡りなど)ことをイメージすると思うが、ここで紹介している方法はその「どこか」に地元を当てはめる、という試みである。

定期の範囲を少し延ばし、気軽に隣町に行けるようにしておき、そこから地元を目指し、新たな発見を得るのだ。
日本では観光業が盛んで、多くの来客を呼び込もうとしている。だが、それはやはり地元民の力あってこそだ。「どこか」に出かけてばかりでなく、「地元」の魅力を再発見するべく地域の人達は尽力すべきなのかもしれない。

地方の人は「うちは何もないから…。」と自嘲することがある。たしかに、都会にあるものがなかったりするが、それは決してマイナスではない。都会は都会で問題を抱えている。私は都市の郊外で生まれ育ったが、都会への憧れというものがあまりない。たしかに、雇用や商業・宿泊施設、交通網の利便性は高いし、芸術系のイベントも都会で行われることが多い。しかし、言ってしまえばそれだけだ。人が多く集まる場所は犯罪の温床になりがちだし、高層ビルばかりで息苦しく、連休の混雑もひどい。私はまだ東京に一人で行ったことがないが、それはやはり治安の心配が大きい。人口密度が異常に高いので、怖い目に遭わないかどうしても不安なのである。
だから私は旅程を立てるとき、「大都市をいかにバイパスするか?」をテーマにしている。休日くらい、人が少ないところでのんびりしたいものだ。

5.おわりに

というわけで、定期の区間を延伸して普段「行きそうで行かない」場所に行ってみよう、という記事でした。読んでわかるとおり、酔狂というか(酒は飲んでません)、空想じみた話ではありますが、唐突に浮かんできたので、「書いてみるか」と思い、記事にした次第です。
地方衰退、都市一極集中が叫ばれて久しいですが、地域の活力を取り戻すには、一度地域を離れ、もう一度地域を捉え直す試みが必要だと思います。
定期延伸は費用もかかるので、万人におすすめできるものではありませんし、筆者も貧乏なのであまり多くは実行できないでしょうが、我ながら面白い実験になるのではないか、と期待しています。
バカな記事だったかもしれませんが、こうした一見バカげた試みが新しい何かを生み出す…と心の底で淡い期待を抱きつつ、ここで締めたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
人生は旅だ!



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