【随想・随筆】ベッドタウンの憂鬱
観光や移住の案内パンフレットには当該市町村の魅力がたくさん書かれている。その中でも、いわゆるベッドタウンと呼ばれる都心に近い市町村はその魅力を積極的にアピールしがちである。
たとえば、筆者が住む北海道の場合、どの市町村であろうと、最大都市の札幌と空の玄関である新千歳空港からの距離とアクセス時間が書かれていることが多い。
私の地元・江別市のパンフレットは札幌に近いことのアピールもそうだが、市内に国道が3本通っており、交通アクセスが良いことも利点として掲載していた。
こうしたベッドタウンは都心より人口が少なく、地価も安く、自然も豊かなことが多い。そのため、「住みよい・住みやすいまち」として一定の人気を誇り、移住者を募りやすいというメリットはあるだろう。
だが、考えてみればこの「ベッドタウン」という表現はある意味自虐的である。要するに、都心に教育・就業の機会を提供し、快適な空間を求めるためだけに住む、「ただ眠るだけのまち」、つまり自分の市町村は教育と就業の選択肢が狭い、と自分で言っているようなものだからだ。
また、「住みやすい」と言ってみたところで、都心に近いことがその最たる利点なら、それは結局都心の魅力にぶらさがっているだけにすぎず、自分たちのまち本来の魅力とはいえない。
つまるところ、こうしたベッドタウンは都心に労働力を提供しはするが、都心に近いせいで自分たちのまちへの郷土愛が充分に育たず、産業も文化も興らないのではないか、と最近思うようになった。
北海道は札幌に一極集中しているせいで、この問題点が特に顕著に現れている。
自戒の念を込めて言うが、道民は札幌にしっぽをふりすぎ、換言すれば、札幌以外への視点が著しく欠けている。行政レベルでの北海道新幹線の見切り発車的な計画もそうだが、市民の日常生活でも同じことである。
特に、江別市は札幌まで20km程度しか離れておらず、列車もバスも多いため、市民は脳死と言ってもいいくらい札幌を目指す。逆方向の岩見沢に向かう人もいるが、明らかに少ない。まるで自分の好きな人以外のことは全く目に入らなくなる少年漫画の男性キャラクターのごとく、札幌しか見ていないように思える。
もちろん、市民が札幌にしか行かないわけではない。周辺の新篠津村や南幌町、長沼町に出かけたりすることもあるだろう。しかし、それはあくまで札幌の補完的な役割に甘んじているように見えてしまうのだ。
要するに、「札幌の喧騒に疲れたから、ちょっと自然豊かな所へドライブでも行くか」といった具合である。
筆者の素朴な実感として、江別市民はそれくらい札幌に依存しているように見える。
これから先、人口減少を迎えるにあたって札幌の地盤沈下も懸念されるので、ベッドタウンに甘んじているばかりでは先行きが暗い。何とかして真の意味で住みよいまちを目指したいものだ。
江別市は人口11万人を擁するまちで、北海道の中ではかなり人口が多い地域なのだが、文化的にはまだまだ未成熟といえる。それは、既に人口規模で江別の方が上回っている小樽市と比べても明らかで、駅前・駅周辺の商店や回遊性の乏しさなどが際立つ。要するに、典型的な駅前シャッター通りが続き、商業施設が郊外にだだっ広く拡散してしまっているのだ。
隣県の青森県では青森市、弘前市、八戸市に都市機能が三極分散しているおかげで、大都市こそないが、それぞれのまちが特色を持つことを可能にしている。江別もそれを見習って何か特色を見つけたいものだ。個人的には、大学や道立図書館の存在、水運で発展した歴史を踏まえ、弘前市と同様、文教都市という特色を創造し、アピールするのが良いのではないかと思っている。まあ、容易いことではないかもしれないが・・・。
筆者は「人はパンのみにて生きるにあらず」の言葉通り、良質健全な文化・芸術は人間生活に不可欠の要素だと考えている。いくら交通の便が良かろうが、いくら大型商業施設の大量商品で己が欲望を満たせようが、文化なきまちは荒廃していくばかりである。
「良質健全」というのがポイントで、たとえば行政が一方的にハコモノを作って大々的なイベントを企画・運営しても、それは良質で健全な文化とはいえない。市民に根付いていないからである。
文化を根付かせるには、市民の側にある程度の教養や郷土愛、探求心や好奇心がなければならない。なければ札幌の芸術文化ホールに行くことはあっても、江別独自の文化芸術は育たないであろう。
ではそうした教養なり郷土愛なりを育てるにはどうしたら良いか、といえばこれに答えるのは簡単ではないが、筆者としてはまちを綺麗にすること、ゴミ拾いからやってみることを提案したい。
今日もゴミ拾いをしてきたが、いたる所にタバコの吸殻、ペットボトル、空き缶のゴミが無造作に捨てられていた。まあいつものことなのだが、自分たちのまちを本当に大切に思っているなら、ポイ捨てなど絶対にしないはずである。
たしかに、ポイ捨てなど日本全国どこにでもあるだろうし、人間なんて所詮その程度の雑魚なのかもしれないが、はっきり言って平気でポイ捨てする程度の民度しかないなら、一生札幌のベッドタウンから抜け出せまい。ゴミをまちに捨てる輩は刹那的な消費者として一生を終えるだろうし、そうした輩に文化など理解できるはずもないだろうから。
江別市民及び北海道民に告ぐ(読んでる人ほとんどいないと思うけどww)。いつまで札幌のベッドタウンに甘んじているつもりだ?悔しくないのか?他の市町村も同様だ。京都市に対する大津市民、東京に対する千葉や埼玉の市民、仙台に対する東北民、博多に対する九州民もそう。自分たちのまちを大切にし、綺麗にし、
「ゴミひとつないまち」としてPRできればどうだろう、かなり魅力的なまちに思えてこないか?たとえ目ぼしい産業や観光地がなくとも、まちが綺麗で空気も美味しいとなれば、きっと色んな人がそのまちを訪れてくれる。
なぜなら、札幌も仙台も、東京も博多も京都も、まちはゴミだらけで空気も澱んでいるのだから。
まず文化を、まちを大切にし、優しいこころが生まれるような文化を育てよ。時間はかかれども、必ず人は集まる。
通勤通学のためだけにそこに住み、地域に関心を持たず、ポイ捨てし放題、荒れ放題。
買い物も自分たちのまちの商店でなく大資本の店で済ませてお金を域外流出させ、稼いだ金も水の泡で、富都貧地。
無機質な通勤電車に忙しなく詰め込まれて、駅に着いたら工業製品のように「出荷」され、寂れた駅前には関心すら示さず家に直行。立ち寄るのは全国どこにでもあるコンビニで、どこでも買えるような商品を買って帰る。
ずいぶん「便利」で「快適」な暮らしでございますな。ところでお尋ね申し上げますが、そうした暮らしを続けていて、あなた方の生活や心に「文化」や「優しさ」が育ちましたかな?
なに?そんなものはいらない?便利で豊かな生活を送れているんだから充分?
そうですか、そうですか、これは失礼。いや、皆さんの仏頂面を見ていたら心配になりましてな。ちっとも楽しくなさそうでしたからね。老婆心から質問させていただいた所存でござりまする。
そういうあんたは何者か?とおっしゃいますので?これまた失礼。私は、皆さんの中の「どなたか」が捨てていったゴミを拾っているただのボランティア老人でございまして・・。いやあ、不思議ですなあ。家まで20分とかからないというのに、公園、駅前、橋の下・・・。あらゆる所をゴミステーション代りに使っているわけでございますからな。全く斬新な発想、恐れ多い・・・。ところで、家から出たゴミも、やはり家のそばにポイ捨てするのですかな?
それにしても皆さん、小さな端末をお持ちのようで・・・随分と楽しそうですな。前も見ずにずっと凝視しているあたり、よっぽど興味深い情報があるんでしょうな。私は古い人間ですから、機械はよくわかりません。道端の草花や、虫の鳴き声や、風に揺れる木々のざわめきを聞きながら歩くのが私の趣味でしてね。この楽しさたるや、何と言い表せばよいことか!でも皆さんは興味なさそうですな。「生産性」がない、とのことで。ほう、なるほど。生産性ですか。ところで、その端末を見ることで何の生産性がどれほど上がるのか、ちとこの老いぼれに御指南いただけませんかな。
・・・。
・・・。
・・・。
ベッドタウンの民たちよ、立ち上がれ。スマホなどいじっている場合ではない。
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