【随想・随筆】3種の旅について~点の旅 線の旅 面の旅

宮脇俊三や沢木耕太郎も似たようなことを言っているが、3種類の旅がある。点の旅、線の旅、面の旅の3つだ。それぞれ解説していこう。

点の旅とは、目的地に着くことだけを至上命題にする旅のことである。
たとえば、

・羽田空港から新千歳空港へ飛び、快速エアポートで札幌・すすきのへ行き、歓楽街で楽しむ
・東北新幹線で八戸から仙台へ行き、仙台の七夕祭りを観に行く
などである。
この場合、目的地に着くことが最優先され、途中の過程は重視されないため、移動手段は大抵、高速化・最適化される。東京→仙台は新幹線、東京→博多は飛行機など、なるべく快適かつ最速で移動する手段が選ばれる。
距離が遠い場合、飛行機か新幹線のほぼ二択になるが、目的や予算によっては高速バスや船が選ばれることもある。
点の旅の利点は2つある。
ひとつは、目的地に早く着けること。
もうひとつは、遠くに行きやすくなることだ。
しかし、その代償として、
・途中の景色や町並みが楽しめない
・費用がかかる
・混雑しがち
などの不利益を被る。

一般的には、速度が速いほど、点の旅の度合いは増す。新幹線なら途中駅があるけれども、飛行機の場合は基本的に直行便だからである。
しかし、たとえ遅くとも、精神が忙しなく情けない場合、話は別である。
船の場合、途中で多くの景色を見ることができ、新幹線や飛行機よりも「点」の度合いは少ないが、スマホを眺めたり、「早く着かないかなあ、退屈だ」とか文句を言っているようでは、所詮は点の旅、ということになる。
そしておそらく、日本人の旅行客の大半はこの「点の旅」をしている。
便宜上「旅」と表現しているが、これは「旅」ではなく「旅行」と言った方が適切だろう。

次に「線の旅」だが、これは「点」と「点」を結んだ旅のことを指す。
わかりやすい例としては、途中下車である。
たとえば、札幌から函館にいくさい、特急や高速バス、飛行機を使わず、普通列車だけを乗り継いでいく場合。苫小牧、東室蘭、長万部・・というように、乗り換えが発生し、その都度駅で滞在を強いられる。そこで駅の周辺を探索して、その街を少しでも味わえば、札幌・函館とその駅が「線」で結ばれることになる。特急の場合、停車はするが、下車はできないため、あくまでその途中駅は事実上、通過駅に過ぎない。その場合、途中駅は単なる点でしかなく、線で結ばれることはない。
線の旅は、正直な話、「やらなくてもよいこと」である。それをあえてやるのは、それが楽しい、面白いと感じるからであり、非常に自由を感じさせる旅である。「旅行」色は薄くなり、より「旅」に近くなった形だ。
この「線の旅」は一部の鉄道・バスマニアが好んで行うことが多い。

ただし、厳密に言うと、途中下車も「広義」の「点の旅」である。途中下車したところで、駅と駅の間を自らの足で移動し、自らの目線で眺めない限り、あくまで打つ「点」の数を増やしただけ、とも言えてしまうからだ。
よって、真の意味での「線の旅」は、該当区間を歩く、又は自転車などで移動してはじてて、成立するものだとも言える。
札幌~小樽を電車やバスを使わず、歩く又は自転車で移動できたら、その区間は線で結ばれた、と言って差し支えあるまい。

線の旅の利点は、景色や風情を楽しめること、費用が安上がりなことなどが挙げられる。
一般的には、この「線の旅」ができれば、旅人のスタンダードはクリアしたと言って良い。これで充分といえば充分だ。

しかし、さらに奥深い旅の方法がある。
そう、それが「面の旅」である。
これは、線の旅において引いた「線」をさらに縦横無尽に張り巡らせることで「面」という図形を作り、街を立体的に把握していく旅のことである。
たとえば、札幌~小樽を国道5号経由で移動し、次に下手稲通りを使って同様に移動し、次に途中駅に立ち寄り、正規のルートから外れた道を通って目的地を目指してみるなど。まあ要するに、枝分かれのことである。
たしかに、普段鉄道やバスで移動する区間を、徒歩や自転車で移動しただけでも、充分立派な「線の旅」だ。
しかし、それはあくまで最短距離を結んだだけであり、「面」すなわち立体的な図形を形成したわけではない。だが、まさにこの「面」こそ、その町を知るための重要な手掛かりなのである。
であるならば、この「面の旅」に到達してこそ、真の旅人と言えるだろう。

面の旅の利点は、その町への理解が深まること、欠点は時間や手間がかかることだ。
実は面の旅のミニチュア版は、大抵の旅行客もやってはいる。
たとえば、京都の町並みが好きで、東京から新幹線を使い、何度も泊まり、何度も訪れている「京都リピーター」を想定してみよう。好きな宿、好きな店に毎度行き、毎回知らない所にも足を運び、より深く京都を知る。この旅行客は京都をある程度、立体的に把握していると言えるだろう。おそらく、脳内に「面」としての京都地図が出来上がっているはずだから。
もちろんこれで別に構わないが、京都に行くまでが新幹線という「点」になっており、東京と京都が「線」で結ばれていない。
だから、京都をいくら「面」的に把握しても、あくまで京都単体の理解にとどまり、東京や名古屋との繋がりは見えてこない。
これは、映画や小説の要約、あるいは最初と最後を読んだ「だけ」では、その映画なり小説を理解したことにはならないのと似ている。理解したいのなら、実際の作品に触れる以外方法はない。

以上の話でおわかりいただけたと思うが、点・線・面は独立して存在しているわけではなく、相互に補完し合い、密接な連関を持っている。点がなければ線は引けず、線がなければ図形は描けない。
反対に、図形という完成形がない限り、いくら線を引いてもそこに秩序はなく、ただ乱雑なだけである。また、線を引く予定のない点がいくらあろうと、これまた無秩序な様相を呈するだけだ。
丸暗記の知識は定着しづらいが、関連づけられた知識は定着しやすいのと同様、点・線・旅の3つを理解し、使いこなすことができれば、さらに奥深い旅を味わえるようになるだろう。
私はまだ、その旅の途上にいる。


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