いつまで経っても旅ができないニホンジンに物申す~絶景・グルメ・温泉至上主義批判~
そろそろ年末年始がやってくる。
私は一年のうちでは暑い夏と並び、この年末年始が一番嫌いだ。というのは、やれ旅行だ、やれ帰省だと叫びながら大量の俗物ミーハーが集まる時期だからである。みなさんも御存知の通り、いつまで経っても休暇を分散しないこの国では大型連休が一極集中し、大混雑を招く。これだけでも腹立たしいのに、この国の情けない烏合の衆「ニホンジン(※日本人とは区別)」はなんとわざわざ混雑する所に一斉に向かうという愚行まで重ねてくる。
正直いい加減にしろよと言いたいが、メディアも年末の混雑状況を毎年のように報道し、お祭り騒ぎをする始末。何の学習能力もないこの国に、私は呆れるばかりだ。
さて今回は上述の通り、旅・旅行の話だ。いつまで経っても横並びの旅行しかできないニホンジンを批判しつつ、旅・旅行のあり方について考えてみたい。
これまで旅・旅行の情報提供を担ってきたのは、テレビ・雑誌・新聞・ラジオ、最近だとインターネットもそうだが、こうした活字・映像メディアである。別にこうしたメディアを使って情報収集するのは構わない。だが、重要なのは、これらは慈善事業ではなく、単なるビジネス(商業主義)の論理で動いているものでしかない、ということだ。要するに、ありのままの事実を伝えているのではなく、脚色や忖度が大量に入り混じった情報を垂れ流しているだけ、ということ、これに留意する必要がある。
金儲け(ビジネス)をする場合、マス(大衆)に訴えるのが一番早い。そこで、旅情報でよく使われるのが、「絶景・グルメ・温泉」の3点セットである。要はこの3つが一番視聴者を釣りやすい、というわけだ。皆さんの地元のご当地旅番組でも、だいたいこの3つがよく特集されるはず。まあ要するに、私がよく言っている酒・金・下半身と一緒ですわ。
一応付言しておくと、絶景・グルメ・温泉そのものがダメだというわけではない。それらを目的にしたって別にいいのだ。旅の楽しみは多いほうがいい。
問題は、それ自体を至上目的にしてしまうこと、つまり、それが満足に得られないときにブツブツ文句を言う情けない姿を晒してしまうこと、これに尽きるのである。
先述したように、メディアは脚色・忖度により、印象操作をしてくる。景色は実際より綺麗に、料理は美味しく、温泉は心地良さそうに映す。それが彼らの仕事だからである。しかし我が国の愚かな国民は、そうした情報を鵜呑みにし、自分の判断を交えずに現地へ向かう。そして、思ったような快楽が得られなかったことを不満げに、レビューサイトや食べログにぶちまけるわけだ。
「期待していた景色と違ってがっかり」
「全然美味しくないじゃん!二度と行かない!」
「混みすぎ!待ち時間長すぎ!」
てな具合で。
孤独な旅人代表として一言言わせてもらうと、こんなことを言っているようでは、一生旅も旅行もできはしない。こんなセリフは雑魚の遠吠えである。
だってそうでしょうが。本当の旅人は自分の判断・感性を信じて目的地へ向かい、そこで見たものを楽しむ。他人の情報を使うこともあるが、それはあくまで参考にするだけであり、最も大切にするのは自分の感覚である。だから、思ったような結果が出なかったとしても、いちいち騒いだりしない。「学習できたな」と前向きに捉え、次の備えにするだけである。
しかし、彼らは他人の判断、それも脚色と忖度によって何度も歪められた情報をそのまま使い、自分の判断を加えずに現地に直行するのだから、不満が出て当たり前なのである。なぜなら、それは主体的ではない、受動的な姿勢だが、旅は本来、主体的な姿勢でなければ十分な享楽を得ることができないものだからである。
なんで食べログの評価を気にするんだ。そんなもの烏合の衆の落書きじゃないか。自分を信じろよ。直接行って確かめてくりゃいいだけだろが。何をビビってるんだ?それとも何か?失敗するのは「コスパが悪い」から嫌だとでも?
失敗したっていいじゃないか。失敗という、確かな経験を重ね、それに裏打ちされた選択を続けていれば、やがて目は肥えてくる。すると、別に情報をいちいち探さなくても、自分の判断で良い場所がわかるようになる。だから、長期的には自分で決めたほうが良いのだ。
おまけに自分で判断していくと、自分独自の感性が磨かれてくる。ガイドブックやテレビには載らない、風光明媚でもない、でもどこか落ち着く場所、懐かしい場所、郷愁の念を呼び起こす場所、そういった場所に出会える確率が高まるのだ。なぜなら、感性が豊かであればあるほど、楽しいと思える場所の数もまた、豊かになるからである。文句ばかり口にする人たちは感性が乏しいのだ。絶景・グルメ・温泉、あるいはキレイなおねーさんなんかも彼らはお好みなのだろう。要は官能を満たすことしか頭にない。それでは楽しめるものも楽しめない。
旅を楽しむ気持ち、少年少女時代の純朴な気持ちを思い出そう。私が言いたいのはそれだけ。実にシンプルな話。
さて、性格の悪い私は年末年始、うじゃうじゃ集まるミーハーたちを高みの見物といこう。高い金を払い、何時間も待たされ、ストレスばかりが溜まって、疲れて帰ってくる。一体何がしたいのか知らないが、彼らはそれを大好きなようだから、まあ蓼食う虫も好き好きということで理解できないが観察してみるとしよう。飛行機も新幹線もどうせ満席だろう。ここぞとばかりにスケジュールをぶち込んでくるはずだ。今でしょ!って具合に。
便利な乗り物で豊かな旅、彼らはそう考えているのだろう。だが、私は全くそうは思わない。長過ぎる労働時間を削って、もっとのんびり、ゆっくり旅を愉しめばいいのに、彼らはひたすら速度を上げ、効率を上げ、その代償として、貧しくとも豊かで素朴な民衆的感情を失い、似非貴族的スノビズムを増幅させていく。
実に面白い国ですな。これが毎年繰り返されるんだから。
私はいつでもどこでも、桜の散った公園でも、イルミネーションなどない場所でも、何もない場所でも、どこでだって楽しんでみせよう。
なぜなら私には、冒険者としての、少年のこころが、今でも残っているからだ。
「元々地上に楽しい場所はない。楽しいと思うこころが芽生えれば、そこが楽しい場所になるのだ」
と魯迅の『故郷』をパロディにした文章でこの記事を締めよう。
それでは皆さん、年末年始も心穏やかに過ごしましょう。
酒・金・下半身には溺れぬよう…。