私の「恋愛」が終わった日
0.はじめに
いわゆる「性問題」についてこのブログではいくつか記事を出しています。そこでは、恋愛や結婚のシステム性とそこから発生する問題点について語っています。
ただ、一部の読者は違和感を覚えたかもしれません。
「何で恋愛や結婚をこんな目の敵にしてるんだ?何かあったのか?」
と。
もちろん、「何か」ありました。
これまでは尺の都合で抽象的な話が多かったので、今回は少し具体的に語ります。もちろん、その目的は私の身の上話を並べ立てることではありません(滅茶苦茶長いけど背景説明のために必要なので許してください)。あくまで私の話は素材。今回のテーマである「性の多様性」問題を考えるためのきっかけです。
最初に断っておきますが、今回の記事は私の独特な、もっと言えば「異端」な視点から書かれています。そのため、
「◯歳にもなって恋人の一人もいないなんて情けない」
「子孫を残すことは人間の本能だ」
「男女の愛こそ至高。同性愛は気持ち悪い」
といった考えをお持ちの「方々」がこの記事を読んでしまうと、不快な気分になる可能性があります。そういう方はここでブラウザバックすることを推奨いたします。
「愛せなくば通りすぎよ」という言葉もあるように、考え方が合わない者同士が無理に同じ卓を囲む必要はありません。大切なのは「棲み分け」です。これをやらないから、不毛な争いが起きるだけの話。
逆に、
「これまでモテなくて辛かった」
「周りの恋愛や結婚に対する姿勢が理解できず、また自分のそれが理解されず、長らく悩み続けてきた」
「現代社会の恋愛・結婚観やそのシステム性に強い違和感を覚える」
という方には向いているかもしれません。何かのヒントになる可能性はあります。
それでは見ていきましょう。
1.「恋」と「恋愛」の違い
まずはメタい話、言葉の定義から。「恋」と「恋愛」の違いとは何か?
これは用例を見るとわかりやすいです。
たとえば、「故郷が恋しい」とは言いますが、「故郷と恋愛する」とは言わない。「母さんが恋しい」とは言っても「母さんと恋愛する」とは言わないですね。言い間違えることもありません。なぜなら、意味が違いすぎるからです。誤解されかねない。
他の例も見ていきましょう。「恋愛感情」「恋愛結婚」という言葉がありますね。では、「恋感情」「恋結婚」という言葉を聞いたことがある人はいますか?
おそらく、いませんね。この熟語は「恋」ではなく「恋愛」とくっつかないと意味が成立しないのです。
では、その違いはどのように説明することができるのでしょうか。
それは、「恋」というのは対象に心を動かされるという「現象・状態」を表すのに対し、「恋愛」というのはその現象・状態をより深め、それを自分に引き寄せようとする「意志・システム」だということです。
「自然」と「人工」の違いと言い換えても良いでしょう。一見、類義語のように見えますが、このように全く性質が異なるのです。
まだわかりづらいかもしれませんので、
具体例を挙げます。
たとえば、街中で絶世の美女をみかけ、何かのきっかけでその人と話したとします。このとき、ただ話すだけで終わった場合、つまり美しい人に見とれた「だけ」だった場合が「恋」です。
ここでもし、「この人とお近づきになりたい」と思って連絡先を交換するなど何らかのアプローチをした場合、それは「恋愛(的行為)」といえます。
何となくわかってもらえたでしょうか。
勘の良い方はお気づきでしょう。私はこれまで「恋愛」の傲慢性について語っていますが、「恋」の傲慢性、とは言っていません。なぜか。それは「恋」はあくまで「現象」であって「システム」ではないからです。もちろん、「恋」が発展して「恋愛」になることはあります。その意味では、「恋」も潜在的な「傲慢性」を抱えている、ということもできなくはない。しかしあくまでその傲慢性が発揮されるのは、それが「恋愛」に発展した場合だけです。
以上のことを念頭に置いた上で、話を続けます。
2.第二次性徴という危機
実を言うと、私が恋愛感情めいたものを抱いたのは人生でたった一度、大学生時代の話です。それ以外はすべて「恋」だったといえます。第二次性徴期においてもそうでした。
その当時は辛かった記憶ばかりですが、それほど私は小学生時代の環境が好きだったのでしょう。それに比べて中学生時代の環境は欺瞞に満ちた息苦しいものでしかなかった。
私は当時の同級生たちに「恋愛感情」を抱かなかったのですが、その理由はいくつかあります。ひとつは人生がしんどすぎてそんな余裕がなかったから、そしてもうひとつは、「ある人」の面影を追っていたからです。
前者については部活動や勉学の挫折が背景にありました。とにかく辛かった。
当時所属していた野球部は、体育会系にありがちな上下関係を基本とした男社会で、今思い返しても嫌な気分になります。
小学生時代は楽しく野球で遊んでいたのに、中学時代の部活は楽しくありませんでした。関係が水平ではなく、上下になったからです。居心地が良いはずがない。
結局、部活は途中で辞めてしまいました。
人生最初の挫折です。
加えて、勉学の方も難しくなり、特に数学についていけなくなりました。小学生のときはのんびり楽しくできていた勉学が、「受験」というゲームに吸収されることで、全く楽しくなくなりました。
こうして私は、友との平和的遊戯の時間、本来楽しいはずの勉学を失いました。
さらに、これまでの記事で述べた通り、悪魔メフィストファレスとの契約のごとき「第二次性徴」により、純朴で美しい「少年」と「少女」は私を含め、悪魔に売り渡されました。
小学生のときの男子と女子の関係は、たとえいさかいを起こすことがあっても、どこか優しいヴェールに包まれたような「仲間意識」を互いに抱いており、秩序が乱れることは少なかった。性的なことに興味を持つにしても、それは密やかに行われ、白昼堂々とすることはなかった。
しかし、中学以降の男と女の関係は違う。「誰がかわいい」だの「誰と誰が付き合ってる」だの言うことを平気で口にし、何の恥じらいもない。まさにみんなが「下半身主義者」になってしまった。
こうした状況に疑問を抱きつつも、性的欲求自体はあるため、私はどうすべきか悩んでいました。そこで目に入ったのが、かつての同級生、当時7才の少女からもらった「手紙」でした。
その手紙は、私が転校するにあたって当時の同級生たちが送ってくれたものでした。
その少女からの手紙には、私への励ましの言葉が書かれており、そして最後に
「でもすきです。」
と書かれていました。
当時中学生の私は、これを読み、
「自分はこの人に好かれていたのかな。昔は良かったんだなあ。でも、今や自分は落ちぶれてこの人に会わす顔がないな・・・。」
という解釈をして、意気消沈していました。いかにも中学生的・下半身主義的な解釈ですが、この解釈は後に大きく変わることになります。
3.転機
高校に上がっても、中学時代の辛さが残っていました。勉学には身が入らず、赤点を取って再テストを受けることもしばしばでした。私は人生に失望し、もはや楽しめなくなっていました。
けれども、手紙をくれた「同級生」のことは頭から離れず、私はその影を追い求めていました。
そんなある日、私は故郷への道を発見しました。これまではどうやって家に帰っていたのか、距離はどれくらいあるのか、覚えていなかったのです。しかし、懐かしい思い出が残る故郷に自分で帰ってみたい、と思っていた私は、車窓から道を確認しました。どの道を通るのか、どこで曲がるのか、どれくらいの時間がかかるのか、それを注意深く観察しました。
その結果、
「自転車なら帰れそうだ。ちょっと距離はあるけど、道は複雑じゃないから大丈夫。今度の休みに行ってみよう」
という結論に達しました。
自分一人での里帰りの日、緊張と不安と懐かしさとわびしさと、いろんな感情が入り交じった状態で私は自転車に乗り、故郷を目指しました。
自転車で約1時間。決して近くはありません。それどころか当時の私としては大冒険でした。今思えば、旅好きはここから始まったのかなあ、という気もします。
無事に到着し、懐かしい公園や学校を見ました。人生の空しさを感じつつも、
「これでいつでも自分一人で故郷に帰れる」
ということがわかりました。
そして、別の同級生に連絡を取ることを思い付きます。たまたま連絡先を教えてくれた人がいたからです。その人に会うことで、昔の話を聞かせてもらい、懐かしい気分に浸れればいいなあ、と思っていました。
こうして書いていると、当時その人に連絡しようとした時の緊張感が蘇ってきます。その人も女性であり、女の人に電話するのはこれが初めてでした。かつての同級生とはいえ、もう8年以上会っていません。なので、
「やっぱり迷惑かな・・・。自分の都合でかけるだけだし、困惑させるだけかもしれない。そもそも自分のことを覚えていてくれてるだろうか?」
という葛藤がありました。
私は当時携帯電話を持っておらず(親にいるかどうか聞かれましたが、いらないと答えたため)、教えてくれた番号もその人の家電でした。そのため、本人以外が出る可能性もありました。
「お父さん、お母さんが出たらどうしようか・・・。怪しまれるだろうか・・・」
と不安がよぎりました(今はこんな悩みはレアケースでしょうけども)。
番号を入力し、応答を待ちました。
出てくれたのは本人でした。今思い返すと本当に運に恵まれていたなあ、と感じます。
8年ぶりの自己紹介をしました。かなり緊張していたと思います。私のことは覚えていてくれたようです(最初の席が隣だったことが関係しているかも)。
次に、会う約束を取り付ける必要がありますが、これが実に難しい。というのも、私は会って話す理由があるけれど、相手にはそれがないからです(というか、電話が来るまで私のことは忘れていた可能性が高いし)。
ただ、再会する理由はひとつだけありました。実は、その人は私が転校するさい、
「あなたの将来の夢を教えて」というメッセージとともに、連絡先を添えた手紙をくれていたのでした。
私はその話をして、今度会えないか頼んでみました。
もっとも、これは少々無理のある理由です。あくまで昔の話だし、何でいまさら、と思われても仕方ないからです。そもそも電話来ただけで向こうはびっくりしてるはずですから。
なのでダメ元のお願いでした。断られる覚悟で話しました。そして、断られても「そこを何とか」と頼む勇気はなかった(今もないけど)。相手の返答次第でした。
しかし、その人は再会を承諾してくれました。日時を決め、かつての母校を集合場所にしました。
電話を終え、ホッと一息つきました。
後でも書く予定ですが、私はこれまで、出会ってきた女性のこうした「優しさ」「思いやり」に支えられてきたのだなあ、としみじみ感じます。もし、ここで断られていたら、ここから先の話も存在しないわけですから。
再会を控え、少しだけ元気を回復しました。何せ8年ぶりの再会です。
当日、自転車に乗って集合場所に行きました。その人は先に着いて私を待っていました。
先に口を開いたのはその人でした。
自分から誘っておいて先に言葉が出てこないあたり、私の自閉性というか恋愛に不向きな感じが滲み出ている気もしますけれども。
その人とは1時間30分くらい話しました。昔の写真や文集を見ながら思い出話をしたり、今どうしているのか、近況報告もしました。
そして、私は聞いてみました。
「あれから誰か転校した人はいるかな?」
と。
その人は転校した人を教えてくれました。
そして、その中に「あの手紙」をくれた少女の名前があったのです。
彼女の名を聞いたとき、何とも言えない感情になったのを覚えています。寂しさ、空しさ、懐かしさ、名を聞いて存在を確認できた喜び、いろんなものが溢れてきました。
そして、別れの時間が来ました。
私は彼女に礼を言い、その場を後にしました。
そして、この日から私に不思議な変化が起こりました。それは、
「面倒な勉強を、【とりあえず】やってみよう。何か良いことがあるかもしれない。」
と思うようになり、勉強の意欲が少しずつ戻ってきたのです。まるで、その昔手紙の少女との同級生時代に私が勉強を楽しんでいたように。
そして、そのおかげでテストの点数が少し回復しました。当時、成績が良くないことで冷やかしを受けていた私ですが、この再会以降、そういう仕打ちを受けた記憶がありません。もちろん、成績が良かったともいえませんが、少なくともいじめの対象にされていたレベルからは脱出できたのでしょう。
テストで点が取れるようになった影響か、学校も以前よりは楽しくなりました。それまでは学校が嫌で仕方がなかったのですが、
【とりあえず】【なんとなく】いろんなことに挑戦し、学校本来の楽しさを少しずつ思い出していきました。
私は12才の頃を「黄金時代」、13~16歳序盤までを「暗黒時代」と呼んでいますが、「再会」以降~高校卒業までは「白銀の時代」と呼んでいます。つまり、黄金時代ほどではないが、それなりに楽しめた時代ということです。
なぜこのような変化が起こったのか。
それはつまり、こういうことです。
少し長いですが、書いていきます。
「自分が好きだと思っていた人が、既に転校して会えなくなってしまった。これで時間的にも空間的にも手紙の少女とは隔てられ、もう会うことはできないかもしれない。それはすごく寂しい。
では、これからどうすべきだろうか。彼女を追うべきか、それとも彼女の思い出は胸にしまい、新しい恋路へと進むべきか。
ここに彼女が残してくれた手紙がある。この手紙をもう一度よく読み、それから考えよう」
「手紙には私のことが【すき】だと書いてある。かつての私はこれを、私への愛情表現だと解した。つまり、恋愛感情である。だから、それに対する私の思いも、また恋愛感情だったのかもしれない。
しかし、当時7才の少女が言う【すき】は果たして恋愛感情と断言できるのだろうか?元々、【すき】という言葉はいろんな解釈ができる言葉だ。likeとloveの違い、気になる、という軽い興味の意もあれば、誰にも渡したくない、という強い執着の意もあるだろう。
だから、この【すき】という言葉の意味を画一的に解釈することはできない。解釈に幅がある。では、どんな解釈が考えられるだろうか?」
「まず、【すき】になった時期。最初からか、途中からか、それとも私が転校すると聞いてからか、あるいは手紙を書いている最中にそうした感情が湧いてきたのか。いかようにも解釈できる。これについてはわからない。
対象についても、私「だけ」に抱いていた感情なのか、それとも他の人にも同じ感情を抱いていたのか。これもわからない。
では、【すき】とは何か。
消去法で考えよう。まず、【すき】とは言わない相手とは誰か。それは、嫌い、もしくは興味がない、知らない人である。これらの人に対し、【すき】と言うことはまずない。【すき】と言うからには、何らかの好印象を受けている必要がある。
ということは、私は彼女に何か好印象を与えたのだろうか?でも私は当時別の少女に恋慕の情を抱いていた。その人の関心を引きたかった。手紙の少女も嫌いではなかったが、意識するほどではなかった。
だから、手紙の少女の関心を引こうとはしなかったはすだ。
しかし、彼女は私に何らかの【好印象】を抱いた。ということは、
【たとえ相手のために何かしたつもりはなくとも、それが結果的に相手のためになることもある】ということだろうか。
私がした【何か】が彼女のこころに響いたのか?それが【彼女のためにしたこと】ではなかったとしても、彼女が何かを感じ取ってくれれば、それだけで私は彼女に何かを与えることができる、ということか?」
「だとすれば。
まだ私も戦えるかもしれない。生きられるかもしれない。私が生き、そこで活動する中で、誰かに何かを与えることができるかもしれない。かつての手紙の少女がそうだったように。
なら、目の前の勉強を、【とりあえず】やってみよう。何の役に立つかわからない。けれど役に立つかもしれない。私の行動が、手紙の少女のこころに響いたように。
そうだ。もう二度と会えないわけじゃない。生きていればチャンスはある。また会えるかもしれない。優しき同級生が電話に出てくれたように。急な願いも聞いてくれたように。
だから生きよう。生きてさえいれば、まだチャンスはあるのだから。」
こう考えることができた。
だから、学校の勉強に取り組み、生き残ることができました。
電話の少女と手紙の少女、ふたりの少女のおかげで。
4.「恋愛」の終焉
私の「恋愛」はこの不思議な体験によって終焉を迎えました。
先の分岐点で私はどちらの道も選びませんでした。すなわち、「手紙の少女」を「追い求めて恋人にする」ことも、別の恋路へと進むことも、潔しとしなかった。
それは、どちらも自己欺瞞でしかないことを直感的に理解していたからだと思います。
まず、少女を追うのは不自然です。なぜなら、私が印象に残っているのは「当時」のその人であり、「今」のその人に対してどう思うかは、まだわからないからです。
あくまで、その人がくれた手紙をヒントに教訓を得ただけであり、優しき言葉の書かれた手紙をくれたことに感謝や尊敬の念はあっても、それを恋愛感情とは呼べないだろう、ということです。
かといって、下半身的な欲望を満たすために誰かを「恋人」にする道も選ばなかった。それはなぜかというと、たとえ二度と会えなかったとしても、「手紙の少女」のことを忘れず、彼女が残してくれたメッセージから学び続けることが大切だ、ということを感じ取ったからでしょう。
よって、私は
「手紙の少女のことを忘れず、彼女から学び続け、かといって誰かと恋愛はせず、【再会】のチャンスを待つ」
方向に進みました。
現実の恋愛を捨て去ってでも、何かが得られるはずだ。そう感じました。直感的に。
この思いは後年、思わぬ形で成就することになります。
これが、私の特殊な恋愛思想の根源です。
通常の男女の恋愛は、まず「現実の」相手がいて、その人に対して興味を持ち、様々な感情を抱き、親交を深めるという形を取ります。各人によって多少異なるとしても、すべて「現実」を相手にした形而下的なものという共通点があります。
当然若者であれば、下半身的欲望が、ある程度の年齢であれば金銭的欲望が絡んできます。それは、形而下的な恋愛だからです。
しかし私の場合は恋慕の対象である「少女」は二重の意味で現実にいない、観念的な存在だったわけです。
時間的には、既に交流が絶えており、その人の「思い出」しか残っていない。
空間的にもかなり距離があり、文通を含め一切の交流がない。つまり、会話はおろか指一本触れることもなかったわけです。
だから、その人に形而下的な欲望を抱くことはなかった、というか物理的に抱けない構造にあった。
よって、多くの人は恋慕の対象と下半身の欲望対象を一致させようとしますが、私の場合はそれが分離する環境にあったというわけです。
私が恋愛に興味を持たなかった理由はここにあります。
「手紙の少女」は恋愛相手ではなく、教訓をくれる「羅針盤」のような存在、具体的な行き先は教えてくれなくても、進む「方角」だけは教えてくれる、形而上的な存在だったのです。
しかも、先述したように私と彼女は特段親しかったわけではない。だから、時が経てば「その他大勢」として記憶に残らなかった可能性がありました。しかし、彼女が残してくれたメッセージと、そこから学ぼうとする私の意志により、「観念としての」その人は偉大な存在となり、記憶に保存された。
元々ただの同級生でしかなかった人を、
「自分にとってどんな人で、どんな教訓が得られたか」
という観点から捉え直し、自分の人生の中に位置付けることができました。
だから、「恋人」や「配偶者」という存在に興味を持てなかったのです。「観念上の」同級生がいくらでも心の支えになってくれたからです。
また、恋愛や結婚の暴力性や問題点もこの頃から認識するようになりました。
「どんなに綺麗事を並べたところで、第二次性徴以降、男女の関係は金又は下半身による結合でしかない」
ということに気付いていたのでしょう。
小学生時代の自然なつながりに比べ、中学生以降の、欺瞞的な結合に違和感を覚えていたことも、決定打となりました。
交際相手と同義の「彼女」「彼氏」という言葉も、この頃から一切使わなくなりました。なぜなら、軽薄で安っぽく感じるからです。
「観念としての」手紙の少女は、私にとって偉大な存在でした。自殺を考えたとき、何度でもその少女の教訓に戻り、
「生きていれば、また会えるかもしれない。大丈夫、【とりあえず】【なんとなく】やってみよう。私でも、誰かの、何かのために役に立てるはずだから」
と考え、何度も生命を救われてきました。
だから「手紙の少女」を軽薄な代名詞で呼ぶことは、私にはできないのです。最高かつ特定の敬称、「英雄」とか「伝説の少女」とかいう固有の呼び方で呼びます。
好き勝手恋愛や結婚しておきながら、相手への不満が湧いたらブツブツ文句を言う人たちが大勢いますが、何様だ、という話です。私からすればね。
「あなたが文句を言ってるその人は、もしかしたら、あなたではない別の誰かにとって憧れの存在だったかもしれない。プロポーズしようとさえ、していたかもしれない。
しかし、あなたの恋愛や結婚によってその可能性は閉ざされてしまった。それを考えても、あなたはブツブツ文句が言えるのか。
別に無理に関係を続けろとは言わない。でもせめて、あなたの恋が実ったのなら、満たされなかった者たちのためにも、その関係を全うするなり、清算するなりすべきではないのか。」
と。
5.最後の恋
さて、そんなこんなで「恋愛」からは高校時代にドロップアウトしたわけですが、実はもうひとつ問題がありました。
「恋以上、恋愛未満の激しい恋」
のことです。
それは、大学時代のことでした。
既に恋愛からは手を引いていた私ですが、好印象の女性に出会います。同期の人でした。もちろん、交際関係を目指すつもりはありませんでした。しかし、仲良くなりたいとは思ったので、何回か個人的に会いました。久しぶりにドキドキする相手でしたね。久しぶりって前はいつだよ、って話ですがww
ここで直面したのが、「嫉妬」の問題です。当時その女性と私は同じサークルにいたのですが、男の先輩がいました。その先輩は私に参考書を譲ってくれたり、親切で良い方でした。嫌いな感情はありませんでした。
しかし。
しかしですよ。
その先輩と、私が好意を抱いた女性が仲良くしているのを見たとき、激しい嫉妬の情に襲われたのです。
私は自分に言い聞かせました。
「そんなことを思ってはいけない。だって先輩は悪くないし、君は別にあの女性と交際したいわけじゃないだろ?ただ仲良くしたいだけのはずだ。それなら、嫉妬することもないじゃないか」
と。
しかし、そんな私の理性の声は、燃え盛る炎のように激しい嫉妬の情を、抑え込むことはできませんでした。
その感情に耐えきれず、結局私はその女性と親しくなることを諦めてしまいました。
そこで私は恋愛(的)感情の暴力性・傲慢性を確信し、「自分には向いていない」との結論を出すに至りました。
これにより、女性と必要以上に親しくすることは控えるようになりました。というか、何か魅力的な部分を見つけてしまうと、激しい感情の火をつけることになるため、旅先と仕事以外ではほとんど関わらなくなりました。まあ、学生時代最初で最後の(激しい)恋でした。「手紙の少女」の一件は「恋」ではなく「学習(教訓)」でしたからね。もっとも、この「恋」も教訓にはなったのですけれど。
6.他愛ない日常の大切さ、そして時は来たれり
最後の恋が終わり、大学を卒業した私は地方で一人暮らしをすることになりました。山奥なので、車も買って運転するようになりました。
その職場には高圧的な人がいて、酷い目に遭いました。そこで改めて気づきました。「手紙の少女」のような普通の同級生であっても、その日常で話したり、遊んだりできたことがいかに幸せだったか、ということを。
野蛮な人間を知ることで、普通だと思っていた人やことがいかに偉大かを知ることになりました。
そしてある日、「手紙の少女」をネットで検索してみると、その人のFacebookが見つかりました。その人はどうやら私と同じく北海道の地方にいるようでした。しかし、私の住んでいる所からはかなり遠いです。
当時、私は車の運転に乗り気ではありませんでしたが、持ち前の好奇心によって少しずつ運転距離を伸ばしていきました。
そして遂に、その人が働いているという地域へ車を走らせることを決めました。
「そこへ行けば、もしかすると会えるかもしれない。」
そんな淡い期待があったのでしょう。
そう。かつて「手紙の少女」を追うために、自転車で故郷まで一人で帰り、同級生に電話して会う約束をしたあのときと同じ、私の【とりあえず】やってみよう精神が発揮されたのでした。
長期距離運転なので疲れましたが、何とか着くことができました。しかし、手紙の少女に会うことはできませんでした。まあ、そりゃそうですね。そう簡単には会えますまい。
しかし、好機はふいにやってきます。
数年後、別の職場に行ったとき、休みの日にそこへもう一度出掛けました。すると、そこには懐かしい面影を残したかつての同級生、私の人生における偉大な「英雄」の姿がありました。
・・・と思われます。というのも、本人確認をしたわけではないからです。しかし、そこで働いているという情報と、私の記憶の中にある彼女の面影を照らし合わせ、
「あの人かもしれない」と思いました。
その人は、仕事の打ち合わせか何かをしているようでした。
声をかけるべきか悩みました。千載一遇のチャンスです。「恋愛」に逃避せず、じっと「学び」に注力してきた自分にめぐってきた好機。これを逃せば、もう二度と会えないかもしれない。
けれども、声はかけませんでした。仕事中というのもありましたが、何より、
「私には会う理由があるけど、彼女にはない」
という状況だったからでした。
今のあの人には、あの人の生活、あの人の人生がある。無理に声をかけてしまうと困惑させるだけなのではないか・・・。
そんな気後れもあって、結局私はその女性、もしかすると私の「英雄」かもしれない人と話すことなく、その場を後にしました。
このあたりが私の甘さというか、限界だと思います。あとひと押しができない。ためらってしまう。恋愛を成就させる条件のひとつ、「傲慢性」に染まりきれない。
ただ、重要なのは「その人に会って話す」ことではありません。それは形而下的、世俗的な欲望にすぎないのですから。
本当に重要なのは、その人に会うためにこれまで勉学に取り組んだり、車の運転を練習したり、自殺を何度も思いとどまってきたことです。そこで得た教訓にこそ、真の価値がある。あとはすべて「おまけ」です。
そのことは私もわかっていました。
だから、無理に声をかけることはしなかった。
別に会って話しても恋人になる可能性はゼロですからね。なぜなら、恋人にした時点で関係は形而下的なものになり、「英雄」は消滅するからです。そうすれば、私が死ぬ理由を覆す材料はなくなるので、今後辛いことがあればすぐ死ぬことになってしまう。
それは私の本意ではありません。
まあ、礼を言いたい気持ちはあります。その人あっての人生、その人の幻影を追ってそこまで来たのですから。
ただ、感謝の意を伝えるのは難しい。
なぜなら、あくまでメッセージを個人的に解釈して、そこで得た教訓を糧に頑張ってきたにすぎないからです。
だから、お礼を言おうにも、上手く伝わらない可能性は高いでしょう。
「え?なんのこと?」と困惑させるだけかもしれない。
彼女はたしかにヒントをくれましたが、あくまで解釈は私の内部問題ですから。それがもどかしい所です。原理的に感謝を伝えられない。
まあそもそも、次いつ会えるんだという話ですけれども。
7.結論「もうひとつの美・能力」
校長先生の祝辞並みに長い話でしたが、これはあくまで素材。ここから何を学べるか、という教訓のお話を最後にしていこうと思います。
結論から言います。
「恋人いない歴=年齢」
「性的経験がない」
「非モテである」
「容姿に自信がない」
といった事情を抱えている方。
それをコンプレックスに感じる必要はありません。無理に劣等感を克服せよ、とまでは言いませんが、気にするほどのことではないと思います。
なぜなら、上記の要素は「もうひとつの美・能力」だからです。
恋人がいることやモテることは通常、「美」あるいは「優秀さ」と理解され、その逆は「醜」あるいは劣ったものとして軽蔑されがちです。
しかし、それは一方的な解釈にすぎません。
見方を変えれば、「美」にもなり、「能力」であるともいえるのです。
たとえば、今回の私の話。要約すると、
「ただの同級生から最高の教訓を得た」
ということになりますが、モテる人、恋愛に夢中な人も同じことができますか?ということです。
まず無理でしょう。そもそも、その同級生のことを忘れず記憶に留めることすらしないはず。なぜなら、ただの同級生だし、そんなことをしたところで官能的欲望は一切満たされないからです。普通の人はだるくてやってられないでしょう。
でも私は挑戦しました。「恋愛」に魂を売らず、遠回りをしてでも「英雄」の教訓を得ることに賭けた。それが長い目で見れば大きな財産となる、と信じて。
もし私がモテモテだったら、大して親しくもない同級生から救命レベルの精神的遺産を受け継ぐことは、まずなかったでしょう。モテなかったからこそ、こうした事業にじっくり取り組めたし、こうやって言語化することもできた。
これは「非モテの才能」とも呼べると思います。
恋人や配偶者がいると、そこにばかり意識がいってしまう。大きな桜に見とれて、地面の草花や昆虫を見落とすように。新幹線に依存して、まちの風景を見過ごすように。
「誰にも属さない者」だからこそ、「ただの同級生」から最高の教訓を見出だし、自らの糧とすることができる。
これは私の専売特許ではありません。誰でもできることだし、モテない人の方がこの才能はあるかもしれない。
とはいえ、反論もあるでしょう。つまり、
「それはあんたが【恋愛・結婚】を捨てたからこそ言える話にすぎない。そのどちらも諦めていない自分にとっては、そんなことは慰みにすらならない。」
ということですね。
たしかに、今回の私の思想にはそうした限界はあります。恋愛や結婚を目指すのであれば、上記のマイナス要素はコンプレックスに感じて当然かもしれません。
ただ、私が主張したいのは、たとえ恋愛や結婚を目指すにしても、そのことに執着しすぎないほうが良い、ということです。
つまり、RPGのサブクエストみたいなもので、
「いたらいたで素敵だけど、いないならいないで別に問題ない」
という風に考えられませんか、ということです。
端的な事実を申し上げますが、我々は死にます。全員、ひとりの例外もなく。そして、我々の肉体や精神世界は、長い宇宙の歴史やだだっ広い宇宙空間に比べれば塵ほどの存在感もありません。
恋人がいようがいまいが、我々は塵です。
恋人ができたら神になれるわけでも、不死身になれるわけでもありません。何のアドバンテージもない。なぜなら、死によってすべて失うからです。宇宙の歴史が何憶年もの悠久の時間であるのに対して人間の寿命はせいぜい100年。その間に恋人がひとりもできなかったからという理由で悩む必要がどこにあるのでしょうか?
あと、これは先に少し触れましたが、恋愛には向き不向きが必ずあります。で、向いていない人が無理にやろうとすると自分や相手を傷つけかねません。そういう人は無理にやらなくても良いのです。
「向いていない」というとマイナスに聞こえますが、その分、別に秀でた能力がある、ということです。私の場合は恋愛スキルが塵ほどもなかった代わりに、同級生の優しさに触れる運のよさ、それに気付く観察力に恵まれました。私は自分のことを、
「女には恵まれなかったが、女の子(女性)には恵まれた」
と評しています。
つまり、下半身的なつながりは特に誰ともなかったけれど、精神的教訓を残してくれた人はいくらでも思い出せるし、それに助けられてきた、ということです。
「非モテ」ゆえの辛い経験も、それがあるからこそ、恋愛や結婚による関係を慎重に、かつ大切にする心を育てる可能性にもなりますからね。中途半端にモテる勘違い男・女は傲慢になりやすいのかもしれない。
人生、何が得で何が損かは最後までわからないもんです。
8.おわりに
というわけで、「性問題」についてでした。一応、誤解のないように言っておきますが、恋愛や結婚を楽しんでいる人に水を差すつもりはありません。向いていない人もいる、と言いましたが、当然向いている人もいるからです。
モテる人に対する嫉みも別にありません。「美」も能力のひとつですからね。
ただ、先日の「クリぼっち問題」に関する記事でも書いた通り、「性問題」へのアプローチは多様であり、固定観念に囚われる必要はありません。「モテ」が才能なら、「非モテ」はまた別の才能と言える、という風にプラス思考で臨めば良いだけです。「非モテ」は今回のような考察・分析能力が高いと思います。内省的な性格を持つためです。
特に昔の、「普通の」同級生の存在を思い出し、その価値を再評価するのは誰でもできる試みなので、寂しくなったらやってみるのもありだと思います。もう会うことはないから思い出しても無駄、ではなく、もう会えないかもしれないなら思い出とその教訓を大切にしよう、と思えれば大したものです。肉体的快楽は得られませんが、かつての仲間たちへの感謝や尊敬の気持ちが育ちます。それは巡りめぐって自身の幸福につながりますから、決して悪いものではないと思います。
性に合わないものは無理してやらなくてもいい。自分が緩やかな幸せを感じられそうなことから始めてみましょう。
「好きな人」とか、今時期だと「大切な人との素敵な時間」など喧しく言われますが、それは一種の幻想にすぎません。
「好きな人」などというものは存在しない。相手を「好き」だという気持ち、心があるだけです。「好きな人」なんていくらでも見つかります。誰であっても良いところを見つけて、それを好きになればいいだけの話。それで充分。そこから関係が発展して恋人なり夫婦なりになるのはまた別の話であり、おまけみたいなものです。
「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉もありますが、形而下的な関係は所詮その程度でしかない。心変わりもします。なぜなら、個別的な感情に基づくものだからです。そこには普遍性がない。
私が未だに「手紙」「電話」の両少女に最高の敬意と感謝の念を抱いているのは、彼女たちが残してくれた教訓が一時的、形而下的なものではなく、普遍的なものだからです。だから、その教訓はいつ、どこで参照しても、私の支えになる。そういう理由で、彼女たちの記憶は末長く保存されているのです。
かつての偉大なる同級生たちの思い出とともに、これからも生きていこうと思います。
皆さんも記憶を繙いて、偉大な「ただの同級生」を発見してみてください。
案外、たくさんいるものですよ。
少しの観察力と考察力があるならば。
最後までご精読ありがとうございました。