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改過の編の羞恥心について
今日から改過の編に入ります。
ご覧ください。
《陰騭録》改過の編の羞恥心についての話
春秋時代の高官たちは、他人の言動や行動を観察することによって、その禍福吉凶を知ることができました。
それは《左伝》や《国語》などの歴史書に随所に見られます。
ほとんどの場合、吉凶の前兆は心から始まり、体の四肢や言動に現れます。
温厚な人々は通常、福徳を持っており、態度がきつい人々は災いも近づきます。
普通の人たちはその能力がなく、吉凶や福禍が予測できないと思われます。
心が天地と一体化できたら、幸福がすぐにも訪れるでしょう。
人の行動を観察すると、次にくる吉凶や福禍がわかります。災害が迫る人は、その悪事を観察すれば分かるでしょう。
今、福報を得て災禍から遠ざけたいのであれば、徳を積む前に、まず過ちを直さなければなりません。
まず羞恥心を持つ必要があります。
古代の賢者たちと同じく、私たちも人間でありながら、彼らが何世代に経っても後世の人々に尊敬される理由とは何でしょうか?
俗世の空気に染まり、密かに不正を行い、他の人々がそれを知らないと思って高慢で恥知らずなままだと、いずれは獣と同じように堕落してしまうでしょう。
世の中には、そうした恥ずべき人々がたくさんいます。
孟子は羞恥心が人にとって非常に重要であり、恥知らずの人は獣のようだと言いました。これは改過の鍵の一つです。