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無視できの備忘録 #9

未だにてんやわんやしている執筆作業。前回公演のセブポイの空気感もありつつ、ただ構成はハルナツに近いものがある。とか書きながら考えているけど、いっこうにファイナルイメージまでの穴埋めが出来ずいったりきたり、消したり書いたりを繰り返す。

ああ、ここでこの役がいたらいいのにとかここでこういう展開にしたいけど、だとしたらその前の場面はこれだとダメだとか繰り返し繰り返し。

数日前、やばい、この作品、書き終わらないんじゃないかっていう不安を抱いたりもして、悪夢なのかそもそも眠れないのか、起きているのかよくわからない状態が続いた。その結果、少しは書き終わる気配も感じているので、それはよしとして、あの書けないというぞっとした感覚は未だに残っている。

稽古最終日、やり残したことも多くて終わるな稽古日と思ったことが一度だけ何年も前にあるのだけど、小屋入りしてなんとか間に合ったのでそれはよしとする。あれもあれでぞっとしたがその感覚とは絶妙に異なる、ぞ、である。

三原桜がバンドメンバーとライブ中に大立ち回りしてという設定を組み込んだが別にそれは舞台上で見せるシーンではない。だが何が理由で喧嘩したのかはきっと語られることはないだろう。その部分は役者に諸々イメージしてもらうことにする。

各ライブハウスを出禁になった桜はバンドメンバーに捨てられる。ってところから物語は始まるのだ。そして彼女はなんとかなるさって思っているが、そうやってうまく物事というのは進まない。失ったものは失い続ける事が多いし、思っているようにはうまくいかないのが人生でもあるってことに気づいていくのだろう。

私はこの作品は最初からサクセスストーリーにするつもりはない、というところから始まっているが、何を持ってサクセスと言えるだろうか。音楽で生きようとしている桜がバンド仲間を失ったり、色々なものを消失していき、歌える場所を探して、やれることをやってみて、でも誰かの、それも身近な誰か(例えば家族、桜には姉の裕香や義兄の学がいる)の助けがあったとき、素直に聞けない性格というのもきっと物語が進む中でビターな結果を生む、引き寄せることもあるのではと考えたりもする。

朝起きたら台本が書き終わっていたらどんなに素敵なことだろうかと夢見たことはいつもだが、本当にそういうことが起きないだろうかと願ったり祈ったりもする。まあ、自分で書かない限りは一文字も進まないのでやるしかないのだが。今日が金曜日で明日は土曜日、日曜日があって、、、今週で書き終わるはずなのに、その期待と現実は未だに乖離している。恐ろしいことだ。

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