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無視できの備忘録 #17
舞台監督と美術打ち合わせを実施。気づいたら4時間。いつもそのぐらいやっていただろうかと思う。何を喋ったのか最早覚えていない。ただ、台本上、これは出来ないかもしれないなどが判明し、台本の修正も必要になった。悩ましい。
また舞台において奥行きがないことや、ではけも奥に2箇所というなかなかに手強い条件を頂いた。台本を書き終わったら演出の自分にバトンを渡すことになるが、今の段階でわかっている課題は解決せねばなるまい。これは劇作家の責任範囲である。
今日には台本は書き終わって、明日だけ一日休ませてほしいと神に祈ったばかりだが、どうやらそうもいかぬらしく、祈った神が何だったのかと訝しく思う。確かに私は小学校、中学校、高校の12年間を仏教校で暮らして、毎朝学校のとある部屋で般若心経を高校の2年から3年までは毎日唱えさせられていたわけで、祈るべきはお釈迦様に対してだったのかもしれない。
さて台本の話に戻っておく。後半部分はほぼほぼ書き終わり、あと数時間頑張ればなんとか書き直さねばならない部分以外は完成する。そのはず、そのつもりだが打ち合わせでどうも力を使い果たしたようで今すぐにでも眠りたい。床に就いて一瞬で眠りの彼方へ旅立ちたい気持ちで溢れかえっておる。
そしてこの作品、どうも奇妙な印象を抱く。まるで2時間の短編集のようであり、同時に始まらない物語のようでもあり。
ネバーエンディング・ストーリーというのは私の大好きな映画(原作のミヒャエル・エンデは否定的だったように思うが)でファルコンに乗って空を飛びたいと思った幼き頃の自分、それは非現実的な夢物語だから大概にしなさいと諭したくもなる。あれはほんのタイトルとしては「はてしない物語」だっただろうか。家にあったはずが引っ越しの際にどこかへと消えてしまった。ブックオフにでも売ったのだろうか。売らなくてもいい本ほど売ってしまうのはなんなのだろうか。モモも今思えば売らなくてもいい本だった。むしろ今読み返したい作品のNo.1である。
ご観劇頂いた際には私がどういうことを思いながら始まらない物語と言っていたのか思い返して頂くのも良いかもしれない。人によっては始まらないのではなく、ここからはじまる物語と思う方もいらっしゃるかもしれないのだが。